「はあい、株式会社動物園でーす」
その間抜けな喋り方はどうにかならないのか。ぞうは呆れ続けて約1年。年齢不詳な社長・うさぎはぞうの白い目をさらりと一瞥し、表情を変えず視線を自分の爪にやった。受話器を左肩と顎の間で挟む。うさぎが毎月変えるネイルアートは途方もない時間がかかっていそうなほど派手で、いつもきらきらのストーンやラメで飾られている。ハンドクリームを塗りながら「はいはい」「あー、そうなんですねー」と相槌を打つ姿は社長というより、ゆとり教育が産んだ新入社員だ。とはいえぞうもゆとり教育世代だがそれは棚に上げる。
「もう、仕方ないなー。今回だけですよー、まけてあげるから、ちゃんと感謝してねー」
「失礼します」を言わずに電話を切るうさぎ。会社の従業員はうさぎの年齢を皆知らない。よって、うさぎがゆとり教育世代なのか否なのかも誰も知らない。ぞうの見解は25歳以上、30歳以下である。うさぎが今年32歳になる自分より年上だとしたら化け物だ。
「ねー、ぞう。依頼。いぬに連絡して」
「浮気調査ですか」
「うん。パパ6号からの依頼なんだけど、奥さんがジムの男性トレーナーと怪しいんだってー。ジム行くだけなのにメイクばっちりして、髪の毛しっかり巻いて、よそ行きの洋服着てでかけるんだってさー」
「そうですか」
「明日の13時、イノウエさんっていう小太りで歯が真っ白なおっさんがここに来るからいぬに対応させて。で、そのまま依頼受けてもらって。よろしくー」
「かしこまりました」
いぬはこの春に新卒で入社した女の子だ。大学時代、先輩が経営する探偵事務所の手伝いをしていたという彼女は特徴のない容姿を活かす術を既に持っている。周りの景色や人々に溶け込み、自然体のままターゲットを追い続ける必要がある尾行に長けており、その技術が必要な浮気や不倫調査を担当することが多い。
株式会社 動物園
5年前に設立された所謂「なんでも屋」だ。
人員構成は「なんでも屋」の社長なくせになにもしないうさぎと、事務兼経理のぞう、依頼主からの要望を遂行するいぬ、くま、とら、ねこの計6名。事務所は一応全員分のデスクが用意されているが大抵いるのはうさぎとぞうだけ。加えて結構な確率でとらが出社する。とら曰く「社会人は通勤する生き物」。他は依頼をこなしているか、自宅で「在宅ワーク」と名ばかりなさぼりをしている。
会社は池袋駅東口から徒歩1分、水天宮の向かいに建つ雑居ビルの最上階、4階。12畳の事務所は贅沢好みな社長の趣味で、床は大理石が敷き詰められ、天井はシャンデリアがぶら下がっている。それだけではなく壁一面に備え付けられた本棚や猫足のデスク、金釘が打ち付けられた革張りのソファー、事務所の奥をパーテーションで仕切り作られた簡易的な仮眠室のベッドはまるでラブホテル–––と、社長に口が裂けても言えないが、ともかくレースが可憐な天蓋付き。おそらくまだ若いうさぎが、なぜこれだけ豪華に金をかけることができたのか。うさぎは包み隠さず話している。「パパたちのおかげ」だと。
「あー、今月不況だなあ。どうしてもゴールデンウィーク終わり、ボーナス前の6月って暇だよねー」
「なら依頼費まけなきゃいいのに。大切なパパさんなんですか?」
うさぎが微笑む。
「パパに大切も大切じゃないもないでしょう。パパはパパ。愛しているけど、パパはパパ」
健全に生きるぞうにとって、うさぎの言葉はまったく理解できない。
「ねー、コーヒー淹れて」
甘党な社長の為に、低脂肪じゃない牛乳(うさぎは低脂肪牛乳を忌みきらっている)と角砂糖を2つ溶かす。ネイルアートが気になるのか、さっきからずっと爪ばかり眺めている社長の前にカップを置き、無駄だとわかっていながらも不可抗力でこぼれたため息と共に小言もこぼれた。
「社長、たまには働いてください」
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