株式会社 動物園

普通について。
あかさた菜
あかさた菜

①-②エルマーのぼうけん/ルース・スタイルス・ガネット

公開日時: 2022年3月15日(火) 18:00
文字数:4,459

「株式会社、植物園?」


 ねこは素っ頓狂におうむ返しした。聞き間違えかと思ったのだ。しかしアキヨ当人とその夫、トシキはそんなねこを不信げに見つめている。

 そりゃ、日本には数えきれないほどの会社があるのだから、一社くらい名前が似ていても、おかしくはないけれど。

 不安を覚えたらしいアキヨの表情が瞬く間に曇る。


「実は、こちらに依頼する前に植物園さんに依頼をしたんです。家のポストにチラシが入っていたので、それを見て」

「チラシ、今お持ちですか?」


 うさぎが見せてほしいと促す。

 アキヨは慎ましいベージュのハンドバッグから、クリアファイルに挟んだチラシを取り出した。うさぎとねこの方に向けて机に置く。


「あの、私たち、植物園さんに動物園さんの紹介を受けてここに来ました。植物園さんの社長さんが、こちらに話を通しておくと言ってくださって。なにも聞いていませんか? 動物園さんと植物園さんは、姉妹会社とかじゃないんですか?」


 そんなわけない。

 声を上げようとしたら、机の下でうさぎに足を蹴られた。暗に黙っていろということだ。


「だから言ったじゃないか」


 トシキが大仰に肩を竦めた。ねこたちに聞かせたいのだとわかるわざとらしさで、うんざりとしたふうに言う。


「なんでも屋なんか、怪しいって」

「あなたが大事にしたくないって言うからでしょう。私ははじめから警察に相談したほうがいいと思っていたのに」

「わけのわからない手紙が急に届いたら、いたずらだと思うだろう? だいたい警察に行っても解決しなかったじゃないか」

「だからここに来たんじゃないの!」

「知ってますよ、株式会社植物園」


 夫婦喧嘩勃発直前、白熱しかけていたタキザワ夫妻をうさぎが遮る。

 うさぎは悠然と微笑んでいた。ねこが知らないだけで、もしかして株式会社植物園はほんとうに、姉妹会社かなにかなのだろうか。動揺している様子が微塵も感じられない佇まい。タキザワ夫妻が口を噤む。


「まったく違う会社ですが、もちろん面識はあります。でもすいません。タキザワ様のご事情が少し複雑ということで、直接聞くように言われました。二度手間をかけて申し訳ないのですが、教えていただけますか」


 アキヨがほっと、肩をなで下ろした。

 タキザワ家に2ヶ月ほど前から届きはじめた怪文書。アキヨがチラシを入れていたものとは違うクリアファイルから、実際の手紙を抜き出し、届いた順に並べて説明する。


「これが、1番最初に届いたものです」


『さくら きんもくせい』


 オーソドックスな白いコピー用紙に、これまたオーソドックスなレタリング。

 『さくら』と『きんもくせい』の間にスペースが空いている。

 怪文書といえば、凝った色の使い方や書体を用いるイメージがあるが、これはかけ離れていた。質素過ぎる。


「次は、1週間後に届きました」


『らいせ いま』


「その次は、10日後くらいに」


『せんむ まつざき』


 全て同様に、パソコン初心者がとりあえずあつらえたような、紙のど真ん中に文字を配置したシンプルな作り。

 あきよが心なし、青い顔色で続ける。


「ぜんぶ、封筒に住所も宛名も書かれていなくて、郵便局の押印もない状態でポストに入っていました。直接、投函されていたんです」

「これ」


 まさしく「青」な青色をした、先が尖った爪先。うさぎのネイルアートが単語と単語のスペースを指差した。今回は装飾こそ控え目なものの、絵の具を水に溶かさずそのまま塗ったような鮮やかな青色が、やはり恒例どおり派手だ。

 タキザワ夫妻はこんな爪をしている社長を見て、なにを思うのだろう。

 ねこの心配をよそに、うさぎは1通目の『さくら』を、次に2通目の『らいせ』を指差す。タキザワ夫妻は、内心はわからないが表情でも言葉でも、その場でうさぎを咎めることはなかった。


「しりとりになっています」


 横に並んでいた手紙を、縦に並べ直す。


『さくら』 『きんもくせい』

『らいせ』 『いま』

『せんむ』 『まつざき』


 単語と単語のスペースは、そのままの意味らしい。1つ目の単語同士、2つ目の単語同士がうさぎが気づいたとおり、しりとりになっている。


「あと、1枚の手紙に印字された単語同士が対義語になっています。1通目なら、春に咲く『さくら』、秋に実る『きんもくせい』」

「ああ、だからか……」


 夫婦喧嘩を晒したことが気まずかったのか、以降、頷き程度の反応のみで黙りこくっていたトシキが呟く。


「この3通目の『せんむ』と『まつざき』ーーー彼は会社の同僚だったのですが、不祥事を起こし左遷された男です」

「『せんむ』になれない『まつざき』、たしかに対ですね」

「この3通目が届いたとき、犯人はまつざきではないかと疑ったのですが、彼は今、中国にいます。もう2年になるかな。上司に事情を話して確認してもらったから間違いありません。まあ、まつざきがこういう業者を雇って我々に仕掛けている、ということも考えられなくはないですが」


 嫌味ったらしく言ったくせに、ねことうさぎを見やしない。斜めに俯くトシキをアキヨが睨みつけた。ねこたちに謝ってから話を戻す。


「この次は、2週間後に届きました」


『むさんそ きぼう』


「なんか、抽象的ですね」


 素直な感想を述べたねこに、うさぎが見解を語る。


「人間は酸素がないと死ぬ。多分、『むさんそ』は死−−−すなわち絶望を意味しているのかもしれません。絶望の対義語は『希望』だから、理に適ってるっちゃ適ってますね」

「問題は次なんです」


『そら うみ』


 場にいる全員が首を長くし、パーテーションから顔を覗かせる。たらと遊ぶ双子を見た。


「おいおっさん! とらならとららしく、あたちを乗せなさい!」


「はあ? お前なに言って−−−うがっ! ふざけんな、急に乗るんじゃねえ!」

「よっわーい。とらなのに。やっぱりばーか」

「ふざけんなくそがきぃ!」


 「遊んでいる」のではなく「遊ばれている」兄の姿が情けない。思わず頭を抱えてしまう。


「すいません。うちの兄が……」

「いえ、うちの娘こそすいません。とてもやんちゃで、私も困っているんです」


 アキヨが席を立ち、とらの首に細い腕を回し、ぶら下がるうみを回収する。


「こら、うみ。人にばかなんて言ったらいけません。お兄さんにごめんなさいは?」

「だって、ばかなんだもん」


 不貞腐れるうみを、アキヨがこんこんと諭す。

 そらは騒がしいとらとうみから少し離れた場所に、膝を抱え座っていた。本を持っている。そらの視線は間違いなく文字の羅列を追っているのだが、ページを捲くるスピードが驚くほど早い。伏せられた目の隙間で上下に動く黒目も同様だった。最後のページに到達すると、無遠慮な動作で本をぽいっとそこら辺に放る。そして、新たな本を棚から手に取り、繰り返す。

 叱られている自分の片割れに我関せずだった。あのスピードからするに、読んでいるわけではないのだろう。短時間で信じられない量の本が、そらの周りで散らかっている。

 お母さんに怒られたうみが、それまではむきになって反抗していたのに、うっと呻いた。ばっとそらが顔を上げる。唐突な、泣き出す前兆の大きなしゃっくり。うみがみるみる瞳に涙を溜める。

 今にも溢れる寸前、それまで本に夢中だったそらが、アキヨとうみに駆け寄った。


「ママ、お腹空いた」


 ここまで聞こえたことが奇跡のような、か細い声をしている。

 ねこは急いで申し出た。


「よかったらパン、食べませんか?」


 ねこの誘いに、そらがうみの手を握り、てくてくとやって来る。ねこがパンの詰まったビニール袋の口を広げると、自分は一歩後ろに下がり、うみを前に立たせた。いいの? と尋ねるようにそらを振り返るうみに、顎先を少しだけしゃくる。うみが頷いた。ビニール袋を覗き込む。

 うみは現金にも、チョココロネを手にした途端、不機嫌に顰めていた顔はどこへやら、ぱっと笑顔になった。またとら兄にじゃれるため、たたたっと駆け出す。

 そらはその様子を見届けてから、パンの袋に向き直った。

 きっと、そらはうみを庇ったのだ。

 労いの意を込め、選びやすいように袋からパンをひとつひとつ持たせ、それらの名前とどんなパンなのかを簡単に教える。子どもが好きそうなメロンパンややきそばパンには無関心を貫き、そらはクロワッサンを選んだ。ぱりぱりの生地が崩壊することを恐れずに鷲掴む。終始無言のままだった。踵を返し、再び本に没頭する。


「ふたりとも! お姉さんにありがとうは?」


 またもや眉を釣り上げたアキヨに「いいんですよ」と声をかけ、夫妻にもパンを勧めた。ちょうど、おやつの時間に差し掛かろうとしている。あのうさぎが、気を遣ってか紅茶を淹れなおしてくれるという。明日の天気は雨で決まりだ。しかも土砂降り。

 夫妻はマフィン、うさぎはパンオショコラ、ねこはアップルパイ。

 アンティーク調の机の上、置かれた4つのパンと、中央に鎮座する華美なティーポット。

 カップに注がれた甘栗色の紅茶が、淡く湯気を放つ。

 それぞれパンを口にし、感想を言いあってから、アキヨが再び話し出した。


「最後の手紙は、次の日に入っていました」


『イツカ ツイガ オワル』


 優雅なティータイムに似つかわしくない、不気味な手紙。

 物騒な単語に目が吸い寄せられる。


『オワル』


 カタカナで印字されているところがますます気味悪い。アキヨの唇が青ざめていた。悪態ばかりのトシキも、頬の筋肉を強張らせている。夫婦共々、恐怖を感じているに違いない。


「これが届いてすぐに、主人と警察に行きました。でも、いたずらだろうと判断されて、周辺のパトロールはしてくれていますが、実害がない以上捜査のしようがないと言われています」

「護衛の対象は、そらくんとうみちゃんですか」

「そうです。2週間後、どうしても主人とふたりで出かけなければならなくて。子どもを連れて行こうにもできないから、その1日、そらとうみを見ていてほしいんです」


 アキヨが恨みがましい視線をトシキに送る。妻の視線をため息ひとつで躱す夫の仕草から、ふたりが散々この件で言い争ったことがわかった。


「仕方ないだろう。先方が子ども、嫌いなんだから」

「あなただけで行けばいいじゃない。おふたりとも再婚なんでしょう。ご祝儀だけじゃいけないの?」

「お前、俺たちのときも家建てたときもご夫婦で祝ってもらって、いろいろ戴いているのに、それはないだろう。同じ部署の上司だぞ。万が一機嫌を損ねて仕事に影響が出たらどうするんだ」

「まあまあまあ、おふたりとも落ち着いて!」


 徐々にヒートアップするタキザワ夫妻に割って入る。

 話題を変えるため、気になっていたことを尋ねた。


「植物園にも、同じ依頼をされたんですか?」

「はい。家が広めなので2名体制をお願いしたのですが、先客があるそうで、ひとりしか割けないと言われてしまって」

「なら当日は、植物園と合同ということですね」


 ねこが確かめた返事を聞くより早く、うさぎが言った。


「お受けします」


 普段からは想像もつかない平坦な声。けれどそれは力強く響いた。うさぎが真摯に、タキザワ夫妻を励ます。


「ねこは当社随一、優秀なスタッフです。必ずやお子様をお守りしましょう」

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