別に、こんな真似しなくったって教えてあげるのに。
目の前のパパ、ミチオさんはあたかも「撮影してます」と見せかけ机の上にビデオカメラを置いているが、動作中黄緑色に光るはずのランプが灯っていない。電源を切っている証拠だった。今日は茶番にとことん付き合おうと決めたばかりだ。うさぎが気づいていないふりに徹していると、強張っているのに平静を繕うミチオさんの声が問う。
「今お前は、幸せか」
–––「なんでもしてあげる。だから、幸せになって」
昔、うさぎは言った。太陽を知らない肌をした男の子に。背が小さくて痩せぎすな体をしていた。ガキはきらい。だって言葉が通じないしすぐに泣くし。あの子もそうだった。いちいちこの世の終わりかってくらい渾身の力で泣く。黙らせるために言っただけだったが、いつしか本当にそう思ってしまったのだから言霊は怖い。
「もちろん」
今やうさぎにはあの子だけではなくプライドがエベレスト並みに高いぞう、趣味は被害妄想と尾行という一歩違えればただのストーカーないぬ、いつか事務所の玄関を破壊するであろうとら、格闘のプロで別名はゴジラなねこ–––たくさんの仲間ができてしまった。最悪だと思う。他人と関わるとろくなことがない。うさぎは責任がだいきらいだ。そのことが原因で、株式会社動物園を設立する際、ミチオさんと激しい口論になった。
「わたしは誰であろうとなんにも望まれたくない。その代わり、他人になんにも望むつもりはない」
「そんなふうにずっと生きていけると思うか?」
「そんなふうにずっと生きてきた」
夜の世界に戻ろうとするうさぎを、ミチオさんは必死に引き止めたくれた。
ドルチェ&ガッバーナのドレス、ルブタンのハイヒール、ハリーウィンストンのジュエリー、エルメスのバーキン。
すべてを手にしたと言っても過言ではない全能感。だって金も男も腐るほど側にある。けれども足りなかった。豪奢なシャンデリアの下、幾数の煌びやかなシャンパンボトルとそれらをうさぎに与えてくれる所謂いい男。望んだ世界はここのはず。なのにどうして。ちっとも満たされない。
「言葉にできないくらい、感謝してる。–––ミチオさんがいたから株式会社動物園は生まれた。わたしは幸せだよ」
ミチオさんが鼻を啜る。
年寄りは涙腺が弱いからいやだ。
「知り合いのプロデューサーが新しい番組を企画しているのだが、どうにもベンチャー企業を密着取材したいらしい。雰囲気はあれだ、情◯大陸。どうだ、宣伝がてら出演してみないか」
「お断りしまーす」
「どうしてだ? こんな機会二度とないぞ。出演したほうがいい。なに、ほんのちょっとカメラに密着されるだけだ。狼狽えるな。普段通りにしていればいいんだ」
「だからお断りしまーす」
「お前は相変わらず頑固なやつだな! いいか、よく聞け。社会に出たからには–––」
いくら企画が仕上がったばかりの未確定な番組とはいえ、胡散臭い「なんでも屋」に白羽の矢を立てるわけがない。そもそも正当な打診であればミチオさんが言う「知り合いのプロデューサー」か、もしくはその関係者がうさぎを訪ねるはずだ。極め付けはカメラマンが自称敏腕、実際素人のミチオさんひとり。明らかにおかしい。
うさぎは今日の「密着取材」にまつわるすべてがミチオさんの嘘であることを、はじめからわかっていた。ミチオさんがなぜ下手くそな芝居をし株式会社動物園に侵入したのかも、その目的も。
朝からミチオさんの茶番に付き合った褒美と照れ隠しとして、店員を呼びメニューを片っ端から注文する。潤んでいた両目をひん剥きあーでもないこーでもないとお得意の説教を開始したミチオさんに笑顔で教えた。
「大丈夫。ATMに行かなくてもクレジットカードが使えるお店だよー」
「腰の次は財布まで痛めつけるつもりか! まったく、恐ろしい会社だよ、動物園は!」
うさぎからするとひねくれていた自分をこんなにもまっとうにさせたミチオさんのほうが「恐ろしい」。思いながら容赦なく運ばれてくる料理の数々に舌鼓を打つ。
どーせ、「社長・うさぎの素顔は金の亡者だった」とかなんとか、テロップ入れられてるんだろうなー。
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