幸いなことに迷子に気づいたこの場所から僕の家はそれほど遠くなかった。
何か僕に困ったことが起こったとしても、家まで近いのであれば、それは困ったことではない。1日1度の制限はあるけれど……。
「ほんと?」
「本当本当。でもちょっと準備しなきゃならないんだよね」
「じゅんび?」
「うん。5分間だけ待っててもらっていいかな。そこの公園で」
僕が指差す方向にはちょうど公園があった。休日の午後だというのに誰もいない。ブランコしかない小さな公園だ。
「絶対に5分で戻ってきて、そしたらお母さんの場所まで連れてってあげるからここを動かないでね」
「うん……」
「大丈夫?」
「うん……」
公園には入ってみたものの、やはり不安そうなちひろちゃん。僕にとってはここが山場だった。5分待っててもらうことさえクリアできれば安心させるための嘘ではなく本当に親の元まで迷うことなく連れて行ってあげられる。
何かいいものはないかと鞄の中を探ってみると、ちょうど小さなポケットからアメ玉が出てきた。何のアメかは分からないけどイチゴ味っぽいピンク色のアメ玉だった。
「これあげるから。このアメを舐めて待っててくれたら無くなる頃には帰ってくるよ。いい?」
「……わかった」
小さな手をぎゅっと握ってアメ玉を渡すと、僕はすぐに走り出した。これ以上は何か安心させる策を考えるよりさっさと帰って、さっさと戻ってきたほうがいい。
いつにない速さで自転車を走らせる。僕は時間に余裕を持って行動できる人間だったのでこういうことはあまりない。正直なところ5分で戻ってくるのはかなりギリギリな時間だった。けれど、迷子の少女の気持ちを考えるとうやるしかなかった。
自宅にはすぐに到着できた。自転車をまたすぐに出せる状態で止めると、さらにまた家に入って検索してから出ていくまでのRTA始まりである。
交番に連れていくだとか、僕が自転車を漕いできた道を遡っていくとか他に方法はあったけれど、たぶんこれが1番確実で早いと思う。僕も初めてで何をすれば正解か分からない状態だと不安だし。
「迷子 親の場所」
収納に黒いパソコンを入れたままの状態で検索を行った僕は、ざっと文を読み終えると画面をスマホで撮影した。
黒いパソコンにやるべきだと指示されたのはそんなに難しい内容ではなかったけれど、1分1秒が惜しい。
そのまま黒いパソコンを奥に入れずに収納を閉じるだけで、また走り出す――。
公園まで戻るときも同じように急いだ。けれど、心の余裕は全然違っていた。不測の事態が起こったとしても解決までの道が見えさえすれば落ち着くことができる。
そして、ちひろちゃんの姿がまだ公園にあることを確認すると僕は勝ちを確信した。
「さあ。行こうか。準備完了したからお母さんのところ行こう」
他人からしたら根拠のない自信。ちひろちゃんから見てもおかしいという思いは多少あったかもしれない。けれど、そんな自信は程なくして安心を与えた。
「俺ねえ。本当は神様なんだよね」
「かみさま?」
「うん。だから1発でちひろちゃんのお母さんの位置も分かっちゃうんだよね」
「すごい」
「すごいっしょ。何でも知ってるんだよ。俺が調べれば何でも分かるの」
相手が子供なのを良い事に僕はべらべらと喋った。
「ドラゴンって知ってる?」
「うん」
「あのドラゴンって奴はね本当にいるんだよ。人間に混じって地球に暮らしてるの」
「うそだ。いないよ」
「いるいる。見たことあるんだから。また今度機会があったら見せてあげれるのにな。あとは魔法もあるし未来のことも分かるし……あ、この辺通って来たでしょ。見覚えない?」
黒いパソコンの画面を撮影しておいたスマホを確認しながら歩く。黒いパソコン曰く、思うままに歩いて僕が今日行ったアウトレットの近くにある公園まで戻ればちひろちゃんの親に会えるということだった。
その結果が出たということは、このちひろちゃん……かなり気合が入った迷子である。いつからか詳しくは分からないが、帰りのバスに乗る前からついて来ていたということだ。
鬼ごっこどころか追跡ごっこというかストーカーごっこというか……全く、なんてかわいいんだろう。
「わたし、ちくわになったみたい」
「ちくわ?」
「うちのねこのなまえ」
「へー」
「このまえまいごになってさがしたの」
自分から話すようになってきて、笑顔を取り戻したちひろちゃんは天使のようだった。というか天使である。
バスに乗るときはちひろちゃんのほうから手を握ってきた。その手はこんなに小さいかというほど小さくて。バスの座席で隣に座ってずっと握っていると、小さな子ってこんなにかわいいんだと思った。
とてつもなく純粋で素直。守りたいと心から思える。
「ねえかみさま。わたしもいつかドラゴンにあえる?まほうつかえる?」
「うん。きっといつか。大きくなったら」
――バスから降りる頃には綺麗な夕焼けが見れた。その町をまた、僕は自信を持って歩いた。
目的地の公園の前までくると、繋いでいた手がほどかれた。僕が母親らしき女性を見つける前にちひろちゃんは走り出した。
僕はちひろちゃんが母親に抱きつく前にはもう後ろを向いて来た道を帰りだしていた。親子の喜んでいる声が後ろから聞こえてくればそれだけで幸せな気分になれたから。
黒いパソコンを使って人助けをするって、良い事をするって悪くない気分だ。ちひろちゃんが最後に約束した「もう知らない人についていっちゃダメ」をこれから守ってくれるのなら検索した価値はある。
「……かみさま、ありがとー」
背中から微かに聞こえた声で胸が痺れる。たった1時間にも満たない時間だったけど寂しさもあった。
けれどそれ以上にいつか自分も……そんな元気が心に満ちていた。
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