背中から感じる気配で僕の体が固くなり、動けなくなってしまった。その気配は今にも心臓まで貫いてしまいそうなほど鋭くて、余りにも大きい。
恐怖の感情は恋をしている時の感情と同じと言うが、逆もまた然り……僕はその瞬間、天敵から息を潜めるように呼吸を殺した。
この現象を名付けるのだとしら、逆お化け屋敷効果といったところか……と、そんなことを考えてる場合ではない。
「ねえねえ聞いて。この前中学の頃の友達がさあ」
「うんうん」
「これ裕実に似てないって画像送ってきたの。それで見てみたら男の画像でさあ」
当たり前に僕の後ろで始まる会話が鮮明に耳に届く。今までで一番近い距離で聞こえる折原さんの地声……話し声はこういう感じなのか。
「見てこれ」
「え、イケメンじゃん」
「そこ?まあイケメンかもしんないけどさ。似てるって男の画像送ってくるかな普通」
「嫌なの?」
「嫌でしょ」
これはもしかしてチャンスなのではないか。僕が望んでいたきっかけという状況なのではないか。突然訪れた好機にどんどん鼓動が早まる。
でもダメだ。後ろを振り返るどころか、正常に体を動かすのもままならない。
その判断は一瞬のことであった。深く考えなくても今の僕が後ろの折原に話しかけるなんて絶対に無理だと直感した。
脳内シュミレーションはではこういう時の話しかけ方はとにかく自然に、何でもいいから男友達に話しかけるような感じで状況を考えながら、今なら「何で列できてるか分かる?」とかか。
でも僕が言うのか。今そんなことを。後ろを振り返って。おかしくないか。絶対無理だ。
それとも自然と会話に加わるか、そんなことも考えたけれど、僕が次にとった行動は前の男友達のほうの会話に加わることだった。
「いや、ラーメンはとんこつしかないでしょ。それ以外ゴミじゃん」
「でたあ。とんこつ至上主義」
夜食の話から始まっていたラーメンの話へ。緊張をどうにかする為に加わる。
ちょっと今日のところはまだ無理だ。そんな話しかけやすい状況じゃないし、2人とも近くに複数人友達がいる。こんなところで2人で話し出せば目立ってしまう。
「まあとんこつが1番王道じゃない」
「1番王道はしょうゆじゃねえの」
「最近塩ラーメンしか食ってない」
「それは味覚おかしいわ。塩はなくない?」
「いやお前ら塩ラーメンの旨さ知らんじゃん」
そんな話をしながら、また今度もっと良い機会があれば話しかけようなんて決めると、チャイムが鳴った。
ようやく進み出した多目的室前の行列。しかし、そこでまた事件が起きる。
「あ、ごめんなさい」
背中に何かがぶつかり、自分にかけられたであろう声に振り向くと、そこに折原がいた。
一瞬、時が止まる――。
後ろの女子たちがじゃれ合い出していたことを知っていたので、どういう状況かはすぐ分かる。好機も好機、大チャンスが訪れた――。
「うん大丈夫……」
けれど僕はそんなそっけない一言だけで、前に向かって歩き始めた。僕側からそれ以上会話はしないという形。目も碌に合わせずに……。
というか、見れなかった。真っ直ぐ見た折原がかわいすぎて。
そこからはもう何も覚えてない――。
ちゃんと多目的室で座っていたとは思う。けれど授業の内容なんて全く頭に残っていない。そこから、家に帰ってくるまでの間のことも、どういうルートを通って歩いてきたか……夢だったんじゃないかと疑うくらい。
ただ折原のことで頭がいっぱいになって、まだこの恋心に上があったんだなと驚いたり。そして、情けないという気持ちもあった。
あれだけどうにかきっかけをくれないかと神様にお願いしていたのに、いざそれを貰っても何もできなかった自分が情けない。
だらしない顔をして帰ってきた僕は、そのままの状態で黒いパソコンを取り出し、倒れるように椅子に座る。
「折原さん 所属部活」
入力したのはこのワード。まずはこんなところか。
今日の1件でよく分かった。何て言って話しかけるとか、話しかけやすい状況とかではなく、僕に足りないのは自信だ。
こんなんじゃもし黒いパソコンに話しかけ方を聞いたとしても、実行できない。
待っているだけでは絶対ダメ。受け身のままじゃいつまで経っても動き出さない。自信をつけて自らアタックしに行かなければ。そういう意志が必要だ。
まずは所属部活なんかでも検索して、アタックする方法のヒントにする。可能ならばいつかそこに乗り込んでいってやるくらいの気持ちである。
「折原 裕実さんの所属している部活は軽音楽部です。」
軽音楽部か……なるほど。へーそうなのか。
僕は机の上にあった紙とペンで「折原」という文字を書いて、今一度目標を定め、気合を入れた。
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