恋愛チョコレート物語

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愛情

公開日時: 2020年9月3日(木) 15:30
文字数:2,259

アンがいる部屋に入った。ベッドで横たわる彼女を見て、僕はアンと同じ目線になるように屈んだ。


「アン。君の家に帰っていいよ」


「え?」


閉じられていたアンの目が開かれる。


「僕は、君がここで痩せ衰えていくことを望まない。君は元いた場所に帰って、笑っていて欲しいんだ」


すると、アンの目が大きく開かれた。かさかさとした、薄紫色の唇が小刻みに震えた。


「いいの? メル」


僕は深く頷いた。


「うん。僕は君を縛りたいわけじゃない。君に、幸せになって欲しいんだ」


アンの目から大粒の涙が零れた。


「ごめんなさい、ありがとう、メル」


鼻を真っ赤にさせ、アンは両手で顔を覆った。

僕はアンの頭を優しく撫でた。涙を流すアンがとても愛おしく思えた。彼女が王宮で幸せになれないのであれば、別の所で幸せになってほしい。例え、僕の傍にアンがいなくても。


僕は部屋を出た。深い満足感が、胸の中に広がっていた。すると、壁に寄りかかっていたロフィと目が合った。


「いいの? 兄さん」


怪訝そうに言うロフィに、僕は静かに笑った。


「彼女の最善を願うこと。これが、愛だろう」


ロフィは小馬鹿にしたように、口を開いた。


「ふぅん、そう。優しい次期国王だね」


「優しさが無ければ、人を治めることは出来ないだろう」


「そうかな。優しさは人を潰すよ。優しさなんて邪魔なもの、捨てれば良いんだ」


吐き捨てるように言うロフィが、憐れに思えた。


「優しさは、捨てちゃ駄目だ。幸せになりたいのなら」


そう。優しさは捨ててはいけないのだ、と思いつつも、僕の良心は傷んだ。アンを助けに人身売買の商人達のところへ行った時。


アン以外の人間も売られていた。その人々を助ける金は、僕は持っていた。助けようと思えば、助けられたのだ。


でも、僕はアンを優先した。一刻も早く、アンを王宮に連れていきたい、この場所から離れたいという欲に負けた。


僕は、弱い。


翌日、アンをヨーク通りまで女の召使いに送らせた。アンの容態が良くなるまで、アンの面倒を見てやってほしい、アンの容態が良くなったら、王宮に戻ってこいと召使いに命令した。


一週間ほど経った頃に、召使いが王宮に帰ってきた。アンの容態は、すっかり良くなったという報告を持ってきた。僕は安心した。


そして、再びアンに会いに行った。


相変わらずヨーク通りは人が多い。

人の波をかき分け、アンの店に到着した。


「アン。こんにちは。元気にしてる?」


アンは僕を見て、ぱっと嬉しそうに笑った。


「メル、こんにちは」


頬が赤く、すっかり健康的な体つきになっている。笑顔も明るく、毒が抜けたように、すっきりとしていた。


「良かった、元気になったみたいだね」


アンは、にっこりと微笑んだ。


「本当にメルには、感謝してもし尽くせないわ。本当にありがとう。ユーリにも会ったけど、殴って清々したわ!」


力こぶを作って見せるアンに、僕はおかしくて吹き出した。


「ふふ、そっか」


「本当にありがとうメル。あなたには、お世話になりっぱなしだわ」


「僕を好きになっても良いんだよ?」


茶目っ気たっぷりに言うと、アンは恥ずかしそうに目を伏せてはにかんだ。


「ふふ。私なんかが、メルを好きになっても良いのかしら」


アンは屋台に置かれたチョコレートケーキを包みに入れて、僕に差し出した。


「チョコレートケーキよ。メル、あなたが来てくれた時は、好きなだけチョコレートケーキをあげるわ」


「ありがとう、アン」


大切に包みを受け取ると、背後から騒ぎの声が聞こえた。振り返ると「反対」と書かれた看板を首から下げる男女達が、ヨーク通りの中心を歩き「新王は消えろ!」と叫んで歩いていた。


「あれは?」


アンは眉間にしわを寄せて、言った。


「新王反対派のデモ集団よ。気にしちゃ駄目よメル」


デモ集団を横目に見てから、僕は考えた。僕は、三日後に戴冠式を控えている。僕の心に正直になると、不安でいっぱいだった。


僕が王になるには、何かが欠けていると感じていた。その何かは分からなかった。


不安な気持ちを振り払い、アンに笑いかける。


「アン。今度時間が合う時に、ここの商店街を見て回るのは、どうかな」


アンは目を細めて、笑った。光のような笑顔だった。


「えぇ、喜んで」


僕の心は弾んだ。彼女と離れていても、アンと心は繋がっている。アンに僕の存在を受け入れてもらっている。それが、たまらなく幸せで、何故か不安だった。


人の心は変わりやすい。今は僕を受け入れてくれても、次に会った時には否定されるかもしれない。決定的な証が欲しい。


しかし、証とはなんだろう?


僕は考え込みながら、王宮の自室のベッドの上に座っていた。ふと、窓を見た。薄暗くなっている空に、明るい月がぼんやりと浮かんでいた。夜が近くなっている。


綺麗だなと思っていると、こんこん、と扉が叩かれ、ユーガが部屋の中に入ってきた。


「失礼します、メル様。新王反対派のデモが拡大しているようです。場所はヨーク通り。騎士団をその場所へやって、鎮圧させます」


「ヨーク通りだって?」


僕は寝巻きを素早く脱ぎ、簡素な服に着替えた。


「メル様、着替えをなされて、もしや一緒に行こうと考えておられるのですか?」


壁に立てかけていた剣を手に取る。


「僕も行こう」


「危険です、メル様!」


ユーガは吠えた。しかし、僕は無視した。

しっかりとユーガの目を見つめて、はっきりと言った。


「黙ってここにいろって言うの? 次期国王が安全な所にいてどうするんだ。実際にこの目で見て、状況を判断する」


そして僕は部屋を飛び出した。


アン。


ふと、アンの笑顔が頭をよぎった。アンは大丈夫だろうか。胸騒ぎが、僕の心を掴んだ。


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