恋愛チョコレート物語

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逢瀬

公開日時: 2020年9月3日(木) 12:15
文字数:2,831

王宮に連れていくと、ユーガに酷く叱られた。なぜこんなにも遅く、しかも女性を連れて帰ってきたのですか、と厳しい表情で、僕に詰め寄った。理由を説明すると、怯えているアンをちらりと見てから、深いため息を吐いた。


「彼女が寝泊まり出来る部屋を用意します。こちらへ」


ユーガの後について行くと、使用人達が使う個室部屋の前に到着した。


「この部屋が空いていますから、ここでお休みになってください」


「入ろう、アン」


「お待ちください、なぜメル様も入ろうとなされるのですか」


「こんな状況でアンを一人に出来るわけがないだろう。気になるなら、ユーガ、お前は部屋の外で待っていろ」


「はぁ。かしこまりました」


僕はアンの手を引いて、部屋の中に入った。狭い部屋だったが、清潔で簡素な部屋だった。一人分が眠れる大きさのベッドの上に座り、アンも僕の隣に座るように誘導した。


アンは、おずおずと部屋を見回してから、僕を見つめた。


「メルは、王子様だったのね」


僕は笑った。


「そうだよ、驚いた?」


アンは僕の手を離した。


「王子様なのに、私ったら馴れ馴れしかったわね。敬語もろくに使わないで、ごめんなさい」


「気にしないで、アン。いつも通りに接して欲しいな」


「いつも通りなんて出来ないわ。私はこれからどうすればいいのかしら。私はあなたに買われた。私はなにをすればいいのかしら」


彼女を買った。甘いしびれが背中を走った。酔う甘さを含んだ言葉に、僕は思わず笑いそうになったが、堪えて真顔になった。


「そうだね」


何をすればいいか。アンがここに居てくれれば、僕は充分だと思ったが、なにか仕事を与えた方が良いかもしれない。考えていると、はっと、一つの良い思いつきが浮かんだ。


「アン、君は僕の専属の菓子職人になって欲しいんだけど、駄目かな」


「菓子職人?」


「そう。チョコレートケーキを、僕に作って欲しいな」


アンは、操り人形が頷くように、機械的に頷いた。


「メルが望むなら、いくらでも作るわ」


「ありがとう、アン。さぁ、今日はここでゆっくり休んで」


アンは不安げな声で、立ち上がろうとした僕を引き止めた。


「待って、メル。私にはここまでしてもらう理由がないわ。こんな立派なお部屋を借りて、申し訳ないわ」


僕はアンと向き合った。頬が熱くなる。僕はアンの顔を見ずに、口を開いた。


「あるよ。だって僕は、君のことが好きだから」


「好き?」


アンの抑揚のない声が聞こえた。僕は顔を上げて、再びアンの片手を取って握りしめた。


「そう。初めて会って、君のチョコレートケーキを食べた時から。僕は一瞬で心を奪われた。僕は、君が好きだ」


「そう、なの」


アンは目を伏せた。アンを握る僕の手の上に、握っていないアンの手がのせられた。拒絶の手だった。


「ごめんなさい、メル。私は今、色んな感情がごちゃ混ぜになって、メルになんて返せば良いか分からないの」


アンの手を、名残惜しく思いながら離す。


「いいよ。返さなくて。ただ、知って欲しかったんだ。本当は、言うつもりは無かったけど」


僕は立ち上がり、アンの頭を優しく撫でた。


「アン、ゆっくり休んで。また、落ち着いた時に話そう。お休み」


立ち上がり、部屋の外に出る。部屋の外で待っていたユーガと目が合った。そして、ユーガの隣に立っていたロフィとも、目が合った。ロフィは、にやっと目を細めて笑った。


「本当に女の子を連れてくるなんて、やるねぇ、兄さん」


「うるさい、ロフィ。たまたま、そういう状況になっただけだ」


「このまま、うまく行くといいねぇ」


「ユーガ、ロフィは無視して行くぞ」


「えぇ、酷いなぁ兄さん」


そして、僕の王宮生活にアンが加わり、僕は胸が踊った。次期国王としての勉強や馬術、剣術の練習が終わり、空いた時間にアンの元へ訪れることが日課になった。


夜は、ユーガを連れて、ほんの少しだけアンと語り合う為に、アンの部屋に通った。ある日、アンは震えながら言った。


「私、立ち直れないの。彼に、ユーリに売られたことが」


アンは自分の体を抱きしめた。


「酒代が足りないからって、簡単に私を人身売買の商人に売ったわ。ユーリの目が、忘れられないわ。私を見つめる、関心のない目。お金ばかり見る目」


僕は堪らず、アンを抱きしめた。アンは泣きじゃくって、僕の胸の中で、わぁわぁと声を上げた。


「私、愛してた。ユーリを、愛していたのに! 彼は、違かった!」


背中を優しくさする。


「アン。辛かったね」


「私は最低な人間だわ。メルに助けられて、とても良くしてくれてる。なのに私、自分のことばかり考えてるわ。本当にごめんなさい、メル」


「大丈夫だよ、アン」


僕は、ほんの少しだけ力を込めて、アンを抱きしめた。


「安心して、これからは僕がアンを守るから。怖がらないで」


そう言うと、アンは小さく、小動物のように頷いた。こんこん、と扉が軽く叩かれた。ユーガの声だ。


「メル様、お話が」


「アン、またね」


アンの体をゆっくりと離すと、アンは少しだけ笑った。あぁ、久しぶりの笑顔だ。僕は嬉しくなった。良かったと思いながら部屋を出ると、眉間にしわを寄せたユーガの姿があった。


「メル様のお部屋に戻りましょう」


「あぁ、そうだね」


歩きながら、ユーガは僕に重々しい口調で言った。


「メル様、そろそろ戴冠式が近づいて参りましたね。ですが、日が近づくにつれて怪しい動きがあります」


「怪しい動き?」


「新王反対派のデモが、活発化しているそうです。今までのように、簡単に下町に行くことはお控え下さい。暴動に巻き込まれる可能性がありますので」


「下町に興味はもう無いよ。僕は愛しい人を、僕の傍に置けた。愛している人の傍から離れるものか」


ユーガは、立ち止まった。僕も立ち止まる。


「メル様。あなたは次期国王。愛することは自由ですが、彼女を妃にすることは出来ないのですよ」


僕は鼻で笑った。


「分かっているよ、ユーガ」


「それなら、良いのですが」


平民の彼女を妃に迎えることは出来なくても、僕の心は彼女だけを愛している。アンさえ、傍に居てくれれば良い。そう思っていたのだが。


アンは笑わなくなった。


いくら話しかけても、彼女は少しも微笑まなくなった。それだけではなかった。彼女は、食べても味がしないと言い始めた。アンの食欲が大幅に減った。僕は焦り始めた。味がしない恐ろしさを、僕は身に染みて分かっている。


それでもなんとかして、アンに食べるように進めた。アンは食べるが、食べた分だけ、吐いてしまう。


一日、一日が過ぎる度に、彼女の顔は青ざめて、やつれていった。ついには立てなくなった。ベッドで微かに息をするアンを見て、僕は涙を堪えられなかった。


医者を呼んだ。


医者によれば、環境の変化による過労と、心労が、彼女の体の負担になっているという事だった。


「メル様。彼女を家に戻してやってはどうでしょうか?」


ある日、アンの見舞いに行こうとした僕に、ユーガが提案した。


僕の目の前に選択が突きつけられる。


彼女を元いた場所に帰すか、帰さずに僕の手でアンを守るか。


僕が出した答えは。


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