恋愛チョコレート物語

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波紋

公開日時: 2020年9月2日(水) 22:00
文字数:1,882

アンに婚約者がいると発覚してから数日経っても、僕はとてもアンを諦められる気がしなかった。チョコレートケーキを買いに行こうと、木綿の布で頭を巻いていた時だった。


「兄さん。最近よく町に出かけるね。好きな子との逢瀬はどうだい?」


いつの間にか、僕の部屋に弟のロフィが入り込んでいた。僕は無視した。


「ねぇ兄さん。逢瀬を楽しむのは良いけど、兄さんは王様になるってことをお忘れなく」


「何が言いたいの」


ロフィは口の端を釣り上げて笑った。


「好きな子が欲しいなら、無理やりこっちの王宮に連れてきても良いんだよ。庶民一人ぐらい、どうとでもなる。奪える」


心臓が、跳ねた。

奪える。そんなこと、少しも考えたことは無かった。


何を言ってるんだと思う反面、この恋の始末の方法の一つが発見出来て、微かに喜んでいる自分もいた。


「そう。わざわざ、ありがとうロフィ。もう言いたい事は言った? さっさと出ていけば」


僕の心を見透かされないように言うと、ロフィは、はいはい、と言いながら出ていった。


奪える。


その言葉に魅了された。あぁ、そうだ。


僕は、権力を持っている。


もし、彼女を王宮に呼び寄せたなら、彼女の意思とは関係なく、この場所に永遠に閉じ込めることも出来るのだ。


ほの暗い考えが頭をよぎるが、振り払う。


違う。僕は彼女の自由を奪いたいわけではない。では、どうしたいのだ?


僕と同じ気持ちを、アンが僕に対して向けてくれたらと思うのだ。


僕は笑った。自分の執着の強さに、願望に、深く呆れた。


その後、僕はアンの元へ訪れた。


屋台で接客をするアンに、僕は、自然な笑みを浮かべるように努力した。


「アン、こんにちは。チョコレートケーキを貰えるかな」


アンがこちらを見て、ほんの少しだけ目を大きくさせた。


「メル! また一人で来たの? 危ないわよ」

「心配してくれてありがとう」


僕は媚びるようにアンに尋ねた。


「ねぇ、アン。もし君が、この国の王子様に一目惚れされたとして、王宮においでって言われたら、君は行く?」


すると、アンはすぐさま口を開いた。


「行かないわ。だって、私にはユーリがいるもの」


予想していた反応に、僕は思わず苦く笑ってしまった。


「そこまで、君はあの人が好きなんだね」

「そうよ。私の大事な幼なじみなの」


アンは、優しげに目を細めた。


「あの人は元々気が弱くて。私が守らなきゃって思ってた。でもお酒を飲むようになってから、人が変わったわね。女遊びもするようになったし。でも、私が一番好きって言ってくれるの。だから、そんな彼も守ってあげたいって思うの」


彼女の想いの強さが、言葉のあちこちから滲み出ていた。僕は言葉に詰まりそうになった。だが、耐えた。


「そうなんだね。その、ユーリは今日はどこに?」


呆れた口調でアンは言った。


「またお酒を飲みに行ってるわ」


アンは、チョコレートケーキが入った包みを、僕に丁寧に手渡した。


「はい、チョコレートケーキよ。メル、また来てね。わたし、メルと話すの楽しくて好きだわ」


美しい笑顔だった。直視出来なかった。


駄目だ。幸せそうにユーリについて喋る彼女の姿を見るのは、苦痛だった。僕の恋心よりも、その痛みの方が上回った。


もし彼女を無理やり王宮に連れて行ったところで、僕に心を向けることは、きっとないだろう。


彼女に会うのは、次で最後にしよう。


「ありがとう。また来るよ」


僕は、そう決心した。


また数日経った後に、アンの店に一人で訪れたのだが、屋台には誰も居ないどころか、商品すら陳列されていなかった。


僕は、アンの店の隣で、野菜を売っている屋台の女店主に尋ねた。


「あの。ここの店にアンっていう女の子がいたと思うんだけど。今日は休業日かな?」


女店主は、大袈裟に手を振った。


「違うわよ。あの子、婚約者いたの知ってる?」

「知ってるよ」

「噂だけどね、婚約者に人身売買の商人に売られたみたいよ。酒代代わりに」


一瞬、何を言われたか分からなかった。


「何だって?」


人身売買? アンが?


「その、人身売買の商人はどこにいるか分かる?」


女店主に詰め寄ると、女店主は、困ったように後ずさりした。


「ごめんなさい、分からないわ」


アンが、人身売買に。

目の前が真っ暗になる。


一体どういう事だ。あまりのことに、足元の地面がなくなったような、そんな感覚に陥る。


しかし、僕は自分自身を奮い立たせた。冷静になれるように、何度も深呼吸を繰り返した。


何としても彼女を取り戻す。


その為には一刻も早く、情報が必要だった。


僕は走り出す。闇雲に走ったわけではない。


人が集まり、情報がよく集まる場所と言ったら、酒場しか思いつかなかった。


走る、走る、走る。


人の波をかき分けて、走った。

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