次の日の早朝は、快晴だった。風も心地よい。シキズキはやっぱり熱があったので、休ませていた。
「姉さん、終わったら、話を聞かせてね」
寂しそうな目をして、リノリラにねだる。
「もちろんよ、楽しみにしていてね」
そうしてリノリラは、待ち合わせの木の下に急いで行った。そこではもう、ティードが早朝の鍛錬をしているところだった。
「騎士様、お待たせしました」
「あ、大丈夫だ。ちょっと待ってほしい、あと少しで終わるから」
そう言うと、片手だけで腕立て伏せをしていたティードは、続けて10セット行い、「はぁ」と一息ついてからリノリラの顔を見つめた。
「会えて嬉しいよ」
ニコッと笑うと、リノリラもつられて「はい、私も」と、笑顔になる。その無邪気な笑顔に、ティードはまた心臓を止められるような痺れを感じた。
「リノ、俺のことは、ティードと呼んで欲しい」
「え、そんな、騎士様を名前でなんて」
「いいから」
「は、はい。ティード…様」
「どうした、リノ」
その声は甘く響いていた。昨日会ったばかりの人なのに、その低い声から自分の名前を呼ばれると、心臓がドキドキしてくる。こんなことは、初めてだった。
「あの、妖精の話ですが、私の探している妖精のことは、何かご存じでしょうか」
「あ、ああ、そのことだが、祖母の話を思い出すと、どうやら公園の中央の建国の木が、昔は妖精の集まる木という話だった」
「え、あの中央の木ですか」
「ああ、だから、今日はそこに行ってみないか?」
初めて具体的な情報が得られて、嬉しくなるリノリラであったが、中央の木は人目につく。女性である自分が木に登る姿を、あまり視られたくない。
「行って登りたいのですが、その…木に登る姿は、その、あまりみられたくなくて」
「ああ、今なら人も少ないし、俺も一緒に登ろう。そうすれば、早く登れるし、それほど注目もされない」
え、という間もなく、早く移動しようということになり、二人は中央の木に行くことになった。
中央の木は、建国以来の木ということもあり、その存在感は大きかった。枝ぶりもすごい。下から見上げても、葉が生い茂り、空など見えない。これだけの大木であれば、妖精のことも聞けるかもしれない。期待してしまう。
「じゃ、俺が先に登ってロープを垂らすから、それを離さないように。すぐに引き上げるから」
ティードはそう言うと、ロープを使ってするすると登ってしまう。そして、初めの枝に立つと、ロープに輪を作り、下に垂らした。
「この輪に、足をかけて。大丈夫、これでも騎士だから」
リノリラを安心させるように、笑顔を向ける。リノリラも、えいっと足をかける。人を一人、持ち上げるなんてすごい力が必要になる。リノリラも、少ないながらも魔力を使って、浮くようにした。
「はっ、よしっと。どうだ、すぐだろう」
息を切らすこともなく、リノリラを引き上げたティードは、そのまま彼女の腰を持って、今度は木をのぼり始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください、自分で登れます」
さすがに、ここから先は慣れている。だが、ティードは話を聞く間も与えず、リノリラを抱えたまま木の上に登っていく。
「さ、どうだ。この辺りなら、声が聞こえそうか?」
木の中央辺りにまで来ると、さすがに下を見るのが怖くなる。リノリラは、ここまで高いところに登るのは、初めてだった。ティードの腰に腕を回し、必死にしがみついてしまう。
「あの、すみません。怖いので、ちょっと掴まらせてくださいぃぃ」
「いいぞ、俺も、捕まえておくから」
そう言って、ティードもリノリラの肩に腕を回す。片方は落ちないように、木の枝を掴んでいた。
このまま、彼女を捕まえておくことができればな、と思うティードであるが、そうした意図がわかってしまうと、きっとこの初心な娘は、逃げてしまうだろう。
まずは、安心させて、自分のことを意識してほしい。―――その上で、先に進めればいい。
ティードにしてみると、妖精のことは二の次で、この妖精のように可愛らしいリノリラを捕まえたい。その一心での協力であるが、そんなことに気づかないリノリラは、一生懸命に大木に話しかける。
**木の精霊、木の精霊、私は聞いています、声を聞かせてください**
普段と同じように、言葉に魔力を乗せて、話しかける。
**木の精霊、木の精霊、私は声が聞こえます。どうか、妖精のことを教えてください**
何度か話しかけると、精霊がリノリラに応えてきた。
**なんだ、お前、男連れか~**
「えっ?あ、はい」
集中していたリノリラが、いきなり声をだして話始めたため、ティードも驚いてしまった。
「リノ、精霊が話しかけてくれたのか?」
「そうなんですが…」
「何を言った?聞いていいことなら、聞かせてほしいが…」
「えっと、男連れか?って」
「は?」
木の精霊がなぜ、そんなことを聞いてくるのだろうか。不思議に思った二人だが、とりあえず会話を続けることにする。
**はい、男性と一緒です**
**そいつ、あんたの何?**
「えっと、私にとってティードさんは何者ですか、と聞かれました」
「・・・とりあえず、友人と答えておこう」
**友人です。警護騎士なので、私を守ってくれています**
**ケッ、そうかよ。朝っぱらから、木の上でおデートかい。いいご身分だな!**
「・・・あの、朝からデートしているのか、いいご身分だな、と言われました」
「それは、木の精霊が言うような言葉なのかい?」
「他の木の精霊は、こんなこと言いません。私も初めてです」
「・・・続けよう」
**あの、妖精のことを聞きたいのですが、何かご存じですか?**
**妖精って、あの幸せの妖精のヤローか?**
「妖精のことを訪ねましたら、何かご存じのようです」
「そうか、では続けてみよう」
**幸せの妖精を探しています。もしご存じでしたら、教えてもらえますか?**
**教えてやらねぇこともねーけどよ。条件がある**
「ええと、幸せの妖精のことを教えてくれるようですが、条件があると言っています」
**条件とは、何ですか?**
**そうだなぁ、明日また来ることができたら教えてやるよ。じゃぁな!**
「あ、条件は、明日おしえてくれるそうです」
この会話を最後に、何度話しかけても木の精霊が応えてくれることはなかった。やはり、明日まで待たなくてはいけないようだ。
「仕方ありません。今日は帰りましょう。これ以上いても、意味がないようです」
「あ~、意味がない、か」
「はい、どうやら、明日でなければこれ以上、話ができないようです」
それに、ティード様の時間も限られているでしょうし、と言いかけた先に、ティードが話しかけてきた。
「もう少し、座っていないか。あ~、ほら、木の気持ちがわかるような、気がするし」
「はい?そうですか?」
ティードの提案に、リノリラはコテンと首をかしげて、不思議そうな顔をしている。
「でも、ティードさんの勤務の時間もあるでしょう」
「時間は、まだ大丈夫だ。朝の鍛錬の時間を、俺はいつも長めにとっているから」
本当は、いつも遅刻ばかりしているから、とはさすがに言えない。
「ほら、風が気持ちいいだろう」
サワサワと葉っぱ同士が重なり合う音がして、心地よい。
「それなら、もう少しだけ」
「うん、もう少し」
ティードは、それとなくリノリラの肩を自分の方にぐっと引き寄せた。リノリラは、相変わらずティードの腰に手を回している。自然と、リノリラの身体をティードに預けるような体制になる。
木の爽やかな匂いに混ざって、ティードの汗のにおいがする。さっきまで、鍛錬をしていたから、きっと汗もかいたのだろう。
これほど近くに、これまで男性を感じることのなかったリノリラにとって、この距離は心臓に悪い。ドキドキしすぎて、恥ずかしい。
でも、近くにいたい。ティード様の触れているところを、熱く感じる。
どれだけ時が過ぎただろうか、それほど過ぎていないかもしれない。そんな時、ふとリノリラは顔を上げると、すぐそこにティードの精悍な顔があった。
「っあ」
何かが頬を掠める。それがティードの唇であったことに気づくまで、しばらくかかった。
「人も増えてくるから、そろそろ、行こうか」
お互い、耳の辺りを赤くした二人は、そろりそろりと降りていく。ティードが抱えてくれたので、登る時よりも簡単だった。
最後は、ティードが先に下に飛び降り、そしてリノリラに自分の腕の中に飛び降りるように伝えた。
「大丈夫、俺が受け止めるから、飛び込んでおいで」
木の枝から飛び降りることは慣れているし、なんなら魔力でちょっと浮くこともできる。でも、ティードの腕の中に飛び込んでみたい。そう思ったリノリラは、えいっと飛び降りた。
「きゃっ」
どさっと音を立てて、リノリラをティードが受け止めた。その勢いに、思わずティードは尻もちをついてしまった。
「あぁ、ごめんごめん。ちょっと失敗したか。どこか痛いところはないか?」
ティードの上に重なるようになってしまったリノリラは、その体勢に思わず赤くなってしまった。
「あ、あの。ありがとうございます。私は大丈夫です」
「そっか、受け止め損ねて、悪かったね」
そう言うと、ティードはそっとリノリラの髪を一房にぎり、そこにキスをした。
「では、また明日の朝、ここで待っているよ」
そう言うと、サッとティードは職場に向かって行った。その後ろ姿を、リノリラはぼぉっとしながら、見つめていた。
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