「ドース伯爵令嬢、次は私と」
驚いて見上げると、その瞳を見つめるのは、紺碧の瞳をした、ティードであった。
「あっ」
「しっ」
名前を呼ぼうとしたリノリラの唇を、だまって、といった風に人差し指で示す。
「君、今は私が誘っているのだが」
相手を睨むように、グレアムがティードを見る。が、ティードはその視線を避け、リノリラに微笑んだ。
「よろしければ、ダンスを踊っていただけますか?」
リノリラは無意識のうちに、ティードの手をとっていた。グレアムはその手をみて、さっとその場を離れた。ここで戸惑っていても、周囲に新たな噂話を提供するだけだ。
次の曲が始まる。驚いたことに、ティードのダンスは完璧だった。
「運動ごとは、何でも得意なんだ」
そう語るティードは、普段の汗臭い感じとは違って、ムスクの香りがした。いつもと違い、豪奢な服装の彼は、違った魅力を放っていた。
そして、周囲からの視線も変わらない。それは、彼が今日の噂の中心人物でもあったからだ。
「ティード様、あたなは…貴族の末席だと言われていましたが」
「だまっていて、すまない。ようやく、父の許しが出た。後ほど、陛下に挨拶が済めば、正式に表明する」
「それでは、貴方が」
「そうだ、ヒーズグリム公爵家の隠れていた三男だ」
ダンスは続く。ティードのリードに助けられて、緊張ばかりのリノリラも、この時は安心して踊ることができた。
「この時が、続けばいいのに」
ティードの手をとって、歩むことができたら、どれだけ幸せだろう。だが、今、彼が公爵家の者と知った今、自分には手の届かない相手だ。王族とでさえ、結婚できる身分の男性と、自分のような借金まみれの伯爵令嬢が釣り合うわけがない。
「……続くさ。リノ。後で、話をさせてほしい」
「ティード様」
ダンスが終わる。さすがに2曲続けて踊ったので、休みたい。誘ってくる男性はいるが、その男性陣を押し分けて、グレアムがリノリラの手をとった。
「もういいだろう、こちらへ」
ティードはダンスが終わると、陛下と挨拶する時間となった為、その場を離れていった。
グレアムの渡してくれた果実水は、冷たくてリノリラの喉を潤した。
「ありがとうございます、このヒール靴でのダンスは、踊り慣れていなくて」
「もう、私以外の男性と踊らなくていい」
少し機嫌の悪い声で話すグレアムであるが、注目を浴びる二人である。
そんな時、ヒール靴に慣れなかったリノリラは、つい、転びそうになってしまった。手に持っていたグラスの果実水を、ぴしゃっとグレアムのジャケットにかけてしまう。
「も、申し訳ありません」
「いや、大丈夫だ」
残りわずかであったとはいえ、何か拭くものを、と思ったリノリラは咄嗟にハンカチを差し出した。
「これは…」
その刺繍を見たグレアムは、さっと頬を上気させ、リノリラの顔をみつめた。一瞬、わけのわからなかったリノリラであるが、彼が握っているハンカチの刺繍を見て、とっさにその意味を思い出した。白地に薔薇の刺繍のハンカチ、それを差し出していたのだ。
グレアムは、そのハンカチをぎゅっと握り、胸のポケットに入れた。受け取ったのだ。
「あ、あの…私」
「……こちらへ」
グレアムはリノリラの手をとって、人気のない庭園に出た。人の波から離れ、少し夜風が心地よい場所だった。
「君は、このハンカチの意味を知っているのか?」
「……はい」
リノリラは、今夜、グレアムに「愛している」と言わせたかった。
―――思わず、ハンカチを渡してしまったけれど。グレアム様も受け取ってもらえたから、意味を知っている、ということよね。
真の意味を知らないリノリラは、今だけでも愛の言葉を欲しいとうつむいていた顔を上げた。
「グレアム様、あの、私のこと愛」
言い終わらないうちに、グレアムはぐっとリノリラを引き寄せた。
「たまらないな…」
そう呟くと、グレアムは噛みつくようにリノリラの唇にキスをした。
グレアムは唇をリノリラの首元に落とすと、そこには、自分のつけたものではないキスマークが残っていた。
「これは……誰がつけた」
「っあ」
チョーカーをグイっと下げて、その痕をじっと見つめる。グレアムの瞳は冷えていくようであった。
「何を考えている。純情なようで、私をハンカチで煽り、しかしその首元には他の男からの痕を残している」
先ほどまでの激しいキスをした人物とも思えない。怒りの目をしている。
「私、その……ごめんなさい」
「私は理由を聞いている」
リノリラを問い詰める声は、鋭さを増してきた。
その時、リノリラを探していたティードが、二人を見つけて庭園へ来た。
「リノ!ここにいたのか」
「ティード様!」
リノリラは駆け出してティードの傍に行き、強く抱きしめられた。
「リノ…リーノ、大丈夫か?」
リノリラを心配するその声は、甘く囁いた。
「ティード様、私…」
「もういい、大丈夫だ。俺が話をつける」
一旦、抱きしめていた腕を離し、リノリラの腰を抱きながらティードはグレアムに向き合った。
「君は……蒼の貴公子か。彼女は私の婚約者だが、それを知っての行動か?」
「まだ、正式な婚約者ではないだろう」
「……時間の問題だ」
お互いを牽制しあうように、言葉を選ぶ。
「俺は、彼女を……リノリラ・ドースを愛している」
「ティード様!」
今にも二人が決闘でもしかねない雰囲気のところに、パァッと光が一瞬輝いた。
「おめでとー!リノリラちゃ~ん!条件クリアだね!」
そこには羽をヒラヒラさせて、ニコニコとしている幸せの妖精が現れた。
「なっ、なんだ?」
グレアムは初めて見る妖精の姿に、驚いてひるんでしまった。
「じゃあ、祝福のお祈りしてあげるね~」
そう言うと、さっと手をかざして、妖精はリノリラに向けて祈り始めた。
「イドレ・グロデ・ウル・ズリーム!」
手のひらから、何か白い光が雪のようにでて、リノリラを一瞬包み、すぐに光は消えた。
「これは…何ですか?」
「僕からの祝福!リノリラちゃんの願いをかなえているよ!」
「本当ですか?」
「じゃぁね~」
リノリラが問いかけると、それに応えることなく幸せの妖精は、姿を消してしまった。残された3人は、驚きのあまりその場に立ちすくんでいた。
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