リノリラは、今日初めて会ったグレアムが、想像以上に整った顔で、気遣いのできる男性であったか、思い出していた。
その一方で、あれほど爵位も高く、有能な貴公子が、自分と結婚すると本気で考えているのだろうか、と疑問も持った。
こんなにも釣り合わない婚約が、認められるものだろうか。
何よりも、自分の心は、未だにティードにある。消さなくては、と思いつつも、すぐに消せるものでもない。
いっそ、グレアムが自分の精霊話を笑い飛ばして、バカにするような態度であれば。自分は彼に、何も惹かれなかっただろう。あんな、甘い目で見つめてこなければ。
リノリラは、自分の心が2つに裂けるように感じた。そう、グレアムにも惹かれている自分がいる。将来のことを考えれば、その想いに染まればいいのだが、でも、ティードを好きだと想う自分もいる。…まだ、好きでいたい。
苦しい思いを胸に、枕に顔を伏せてしまった。
次の日から、ドース伯爵邸に、花束が2つ、毎日送られてきた。一つはソングフィールド侯爵家から、もう一つは、差出人の名前は添えられていなかった。
リノリラの両親は、その名前のないもう一つの花束を不審に思ったが、心当たりのあったリノリラは、誤魔化すために「きっと、一つは侯爵家から、もう一つはグレアム様個人、ということではないでしょうか」と伝えたところ、妙に納得しているようであった。
結局、あの後グレアムは父である伯爵と、具体的に婚約の件を進めるべく、話をしていったようだ。話の流れで、夜会のエスコートも彼になったようだ。
「だがな、ソングフィールド卿は、お前に会うまでは、この話を断りたがっていたのだが。お前のことを、ずいぶんと気に入っていたようだな」
「そうでしたか。私の婚約は、ソングフィールド侯爵家の遺言がからんでいると聞きましたが、お断りできる内容なのでしょうか?」
「ああ、それは、我が家を支援しなさい、ということだけで、結婚するように、とまではっきり遺言されていないらしい。ただ、今の侯爵殿が、我が家と婚姻を結ぶことで、恩を返したいと思っているようだ」
「では、お断りすることも、できるのですね」
「リノリラ、お前は断りたいのか?ソングフィールド卿は、確かに過ぎる人だとは思うが…」
父は、伺うようにリノリラの話を聞いた。社交界や、家柄などのしがらみを嫌う父は、何事も個人の意見を大切にする。
「いえ、ただ、もう少し時間が欲しいだけです。‥‥夜会までは、まだ」
2週間後に、無事に妖精から祝福を受ければ、何か変わるかもしれない。その期間が終わるまでは、何も決定的なことを決めたくないだけだ。
「そうだな、お前にとっても、急な話だからな。夜会で、もう一度ソングフィールド卿に会うだろう。その後、お前の覚悟が決まれば、話を進めよう」
「わかりました、ありがとうございます。お父様」
優しい父で、よかった。家に金はないが、家族愛は十分ある家でよかった。よく考えれば、家の犠牲となって嫁に行くようなものだが、この家族を守るためと思えば、頑張れるような気もする。あとは、自分のこのティードへの想いを、どうにかすればいいだけだ。
そうは思うものの、届けられる花束を見る度に、紺碧の瞳を思い出す。差出人の名前のない花束は、いつも、蒼いリボンが巻かれていた。それは、彼の髪と、瞳の色だった。
*****
「セルゲイ、お前、女体本はどこに保管されているか、知っているか?」
隣に座っていたセルゲイが、ぶぶっと飲んでいた水を吹いてしまう。
「ティード、何を聞いてくるかと思えば。お前、溜まっているのか?」
「俺じゃない。あ、まぁ、なんだ。知り合いが、ちょっと、な」
恥ずかしいが、俺は騎士団に伝統的に引き継がれている女体本があることは知っていたが、その場所までは知らなかった。
「騎士団の図書室の、書庫だ。奥にある。貸出もできるぞ」
「わかった、後で行ってみる。助かったよ」
「そうか?お前の顔なら、本でなくても実物を拝みたい放題だろう」
「はは、そんな迂闊なことできないさ。後からどれだけ、付きまとわれるか」
かつて、気軽に手をだした女性から、痛い目にあった。その時、上手く追い払ってくれたのは、他でもない、セルゲイだ。彼は、ティードの先輩でもあり、親友でもあった。
「で、お前のいい娘とは、どうなんだ?早朝デートは、上手くいっているのか?」
「それだがな…、少し、やっかいなことになった」
「お前。また、変な女に引っかかったわけではないよな」
「それはない。彼女は純粋すぎるぐらい、純粋だ。ただ、彼女の弟は、ちょっと純粋でもないが」
純粋ではない、どころではなく腹黒なくらいだ。
「は?弟?」
セルゲイには、ここで一度、話をしておく方がいいだろう。そう思った俺は、これまであった状況を説明した。彼女がドース伯爵令嬢であることと、婚約させられようとしていること、俺の考えていることを、一通り説明した。
「そうか、だから女体本なのか…」
「お前…もう少し違う感想があるだろう」
「はは、すまんすまん。俺としても、お前が真剣に考えていることは、わかったよ」
「そう言ってもらえると、助かる」
「だが、お前、本当にいいのか?貴族に戻るのは、厄介だぞ」
「構わんさ、そうしないと、彼女が手に入らないのであれば、何でもするさ」
「そうか、そこまで決めているのなら、協力してやる」
「…助かるよ。マジで、彼女にこれが最後と言われて、目の前が真っ暗になったからな」
「お前を振るなんて、ある意味、貴重だな」
そうかもしれない。確かに、俺からアプローチして、断られた経験はない。
その後、セルゲイの助言に従って、毎日花を贈ることにした。名前を伝えると彼女が困るといけないので、名前は入れなかった。だが自分からの花束であることを知って欲しかった俺は、リボンを蒼色に指定した。リノであれば…気が付くだろう。
そうして、夜会までの2週間、俺は必至になって周囲に助けを求めた。使えるカード、をこれでもか、と使うために。何よりも、リノをもう一度、この腕に抱くために。
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