リノリラは家に帰るとすぐに、いつものように弟のシキズキが休んでいる部屋に立ち寄った。
「シキズキ、入るわよ」
「はーい、姉さま。ちょっと待ってください」
中から、少し慌てたような声で返事が返ってくる。今までは、日中でも寝ていることが多いので、返事があったことが嬉しい。
「もう、いいかしら」
「はい、大丈夫です」
部屋の中は、シキズキの好きなものが飾られている。多くは、外国の絵や、風景だ。彼は生まれてから、魔力だまりの為に発熱してばかりで、この屋敷を出たことすら、あまりなかった。
とはいっても、ドース伯爵家にとって、大切な跡取り息子である。成長すれば、身体も丈夫になるだろう、そうすれば、外国に行くこともできるかもしれない。希望を持って、彼は外国の絵を飾っていた。
魔力だまりとは、魔力の強い子どもが生まれた場合、その魔力を上手く循環させることができず、身体の中に貯めてしまう状況のことだ。そのため、ひどく高い熱がでることが多い。
その症状があることから、シキズキがすでに強い魔力を保有している証明であった。そして、熱は13歳になっても未だ、続いていた。それだけ魔力の保有量が多いのであるが、姉のリノリラにとっては、心配でしかなかった。
「姉さん、今日も精霊と話をしたの?」
「ええ、今日は、王立公園の木に登ってみたわ」
「王立公園か。家から出てみて、どうだった?」
ベッドに横たわりながら、リノリラをみつめる。シキズキは、姉と同じく銀色の髪だったが、瞳は魔力の高さを伺わせるように、黒かった。
「うん、精霊の声は聞こえたけど、あまり大したことはわからなかったわ」
「なんだったの?」
「あ、でも、今日は変わっていたかな。ふふ、運命に出会う、ですって」
「運命に出会う」
「そう」
シキズキは、リノリラの話は何でも素直に聞いてくれる。精霊の話も、話半分にしか聞いてくれない両親より、熱心に聞いてくれる。
「そういえば、変わった人にも会ったわ」
「え?」
「護衛騎士の方が、たまたま木の下にいて、困っちゃったの」
「姉さんが登っていた木の下にいたの?」
「そうなのよ、だから、降りるに降りられなくなっちゃって」
「で、どうしたの?」
「仕方ないから、どいてください、って声かけて、魔力を使って降りたわ」
「‥‥姉さんがドース伯爵家の令嬢だって、ばれなかった?」
弟も、やはり一番気になるのはそこであった。木に登る伯爵令嬢など、聞いたことがない。バレたら困るのは姉だ。
「それは、大丈夫だったと思うわ。あ、でも明日も会う約束をしてしまった」
「え?姉さん」
「だってね、妖精を探している話を、きちんと聞いてくれたのよ。彼」
「それは…姉さんだからだよ」
シキズキは、リノリラが世の中の男性にとって、非常に魅力的な外見をしていることに、本人が気付いていないことが心配であった。
「明日は、だれかお供を連れて行ってね、でないと心配だよ」
「大丈夫よ、彼、警護騎士よ?悪人をやっつける側の人よ」
「そうかもしれないけど…」
男はいつでも狼になる。が、それを伝えても、この能天気な姉は理解できないかもしれない。
でも、いつまでも屋敷に閉じこもってばかりいる姉が、珍しく興味を持ったようだ。それに、精霊のことばのように、もしかしたら彼が「運命」なのかもしれない。シキズキは、その可能性を考えると、その警護騎士に会いたくなってきた。
「姉さん。その人が悪い人でなかったら、僕も会ってみたいな」
「え?シキズキ?」
「元気なら、僕も公園に行きたいけど」
「そうね、熱がなかったら、外出できるかもしれないわね」
弟の年齢であれば、もう騎士を目指す子などは、朝早くから鍛錬を行う。それに比べると、シキズキは家の庭でさえ、十分に散歩する体力もない。その彼が、現役の騎士に会うことが、いい刺激になればいいが、反対に落ち込ませてしまう可能性もある。いろいろ考えると、まだ難しそうだ。
「明日の朝、決めましょうね。もし明日が難しくても、会える場を考えてみるわ」
そう言うと、リノリラは「おやすみなさい」と言って、弟の部屋をでるのであった。
******
「ふぅー、これ、どうしようかしら」
白い手袋を見て、考える。洗ってから返すべきだろうか、それともこのままでいいのか。侍女のエリーに相談すればいいのだろうが、そうするとティードのことを根掘り葉掘り聞かれるかもしれない。
せっかく、妖精の話ができる人がいたのに、余計なことを心配されて、会うのを禁止されたら、それこそ情報が得られなくなってしまう。
知識のない自分が洗って、変に変色させてもいけない。やはりこのまま渡そうと思い、袋に入れようとしたところで、手袋についている紋章を見つけた。
ヒナギクの紋章…それは、王弟であるヒーズグリム公爵を表す。でも、彼はティード・ローワンと名乗っていた。公爵家の名前ではない。
ヒナギクではないのかもしれない。まさか、高位貴族であるヒーズグリム公爵に関係する人と、知り合うとも思えない。万一、ヒーズグリム公爵の息子だとしたら、彼のいうおばあ様とは、前王妃という可能性もある。
「ふふ、まさかね。そんなこと、あり得ないわ」
とにかく、一刻も早く幸せの妖精を探し出したい。明日、ティードからそのヒントが得られると嬉しいな、と思ったとたん、彼の紺碧の瞳を思い出す。
「素敵な色だったな」
髪から服装まで、青を纏った彼を思い出したとたん、ほわんと暖かい想いを感じるリノリラであった。
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