溺愛されたい令嬢と騙されたい騎士

貧乏伯爵令嬢は、なんとかして「幸せの妖精」に会ってみたい!
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最終話.溺愛されている妻と騙されている夫

公開日時: 2021年6月20日(日) 23:37
文字数:2,569


 今日は、王宮でドース伯爵と、ヒーズグリム公爵の両家で婚姻の調印を行うことになった。本来であれば婚約をしてから結婚、という流れであるが、今回はそれをすっ飛ばしている。まぁ、その……イロイロと大人の事情もあって。


 あの初めての夜、ドレスを着ている、だけのリノリラは、玄関から帰るとドース伯爵家でちょっとした騒動となった。どうやら、何かあったらしいが、相手がわからない。ソングフィールド卿かと思えば、帰りに乗って来た馬車に、その家紋はなかった。


 翌日、支度を整えてやってきたティード・ヒーズグリム公爵子息は、リノリラとの婚約の申し込みと同時に、その前の晩にあったことを正直に話した。そもそも公爵家からの話を、伯爵家が断ることはできない。が、誠実でありたかったティードは、リノリラの純潔を散らしたのは自分だ、と全てを話した。


「私は、リノリラ嬢を愛しています。順番を違えていますが、心から、愛したいと思った故の行動です。そのことに後悔はしていません。ですが、伯爵が怒りを覚えることもわかります。ですから、一発殴られる覚悟で来ました」


 ドース伯爵は、戸惑っていたが現役騎士を相手に、殴るほどの覇気はない。


「ヒーズグリム卿、気持ちはわかったから、頭を上げてほしい」

「いえ、それでは伯爵に申し訳が…」


「じゃぁ、僕が代わりに殴ってもいい?父さん」


 そこで割り込んだのは、シキズキだった。伯爵が許可を出す前に、「歯を食いしばれ」と言ってシキズキは思い切りティードの右頬を、拳で殴った。


「ぐっぅぅ」

 ティードは、予想しなかった方向からの拳によろけたが、騎士の矜持で倒れることはしなかった。


「お前、魔力も込めただろう…」

 成人男性から殴られても、こんなに痛いことはない。


「あ、歯が折れたね。さすがにそれは治しておくよ」

 そういって、シキズキはティードの歯だけ、治療魔術をかけた。頬は赤く腫れている。


「シキズキ、お前、なんてことを!ヒーズグリム卿、愚息が申し訳ないことを」

 心配した伯爵は、ティードに駆け寄った。


「父さん、このくらい殴っても足りないよ。姉さんなんて、所有印が身体中についているよ」


「…‥‥」

「…‥‥」


 どうしてそれを知っているのか、誰も問わない。父親である伯爵も、シキズキの使い魔のことは知っている。


「ま、それに僕の将来も、このエロおやじのために売って来たからね。王太子殿下に、サザン帝国の情報を持って行ったら、将来は宮廷魔術師になることまで誓約させられたよ」


「そうか、生憎だな。俺も結婚したら宮廷騎士団の、王太子専属の護衛騎士になる予定だ。よろしく頼むよ、未来の同僚さん」


 近い将来、二人は宮殿の内外で暗躍することになり、この「護衛騎士が少年魔術師に殴られた」事件は、語り草となった。


 ティードは結婚しなければ護衛騎士にならないと主張し、さらにリノリラの体調不良が続き、よって大人の様々な思惑が重なった結果。リノリラとティードの婚姻は、至急速やかに執り行われることになった。



*****



「では、ヒーズグリム殿。こちらに署名を」

「はい」

 婚姻誓約書に、ティードが署名する。


「リノリラ嬢は、こちらに署名を」

「わかりました」

 彼の名前の隣に、リノリラ・ドースと名前を書く。


「では、お二人が婚姻を結んだことを証明します。お幸せに」

 王宮の担当技官が書類を受け取ると、さっとその場を整理してしまう。あっけないものだ。


「今回の婚姻は早急だったので、式と披露宴は、また落ち着いた頃に」

と、ヒーズグリム公爵が伝えると、ドース伯爵も「よしなに」と答えた。落ち着くころに、とあるが、今やリノリラの体調次第だ。もうすぐ安定期に入るので、式は出産後となるだろう。


 ティードの狙いどおり、リノリラはあの夜会の夜(多分)に、妊娠した。何度か邸宅を抜け出していたので、多分であるが。ティードは言葉通り、責任をとったのである。


「リノ、本当に、式は出産後でもいいのか?」

「ええ、だって、今は新居とかの準備で、お金ないでしょ」

 いたって現実的な妻である。


 結局、二人とも社交界は、あの夜会に顔を出しただけであった。ティードも、任務の都合もあり、ローワンを名乗り続けることになった。そのため、ヒーズグリム公爵家の三男は、またも幻となり、リノリラも「幻の美女」が幻になっただけであった。


「そういえば、あの片方の手袋、まだ持ってる?」

「ん?リノに渡した手袋か?ああ、あるよ」


「薔薇の刺繍のある、白いハンカチ」

「もちろん、持ってるよ」


 それらは新居の書斎に、ひっそりと入れてある。あの女体本も一緒なのは、秘密だ。


「新居には、登れそうな木がないのよねぇ」

「まだ、力は戻らないのだろう」


 リノリラは、木の精霊と話ができる魔力を、失ったままだ。シキズキが抑えていた魔力は、新たにお腹の子に引き継がれていったことに、まだ気が付いていない。


「木に登れないし、精霊の声も聞こえないし。あ~あ、幸せの妖精さんに、また会いたかったな」

「なんだ、また何かお願いするのか?」


「ううん、今、幸せだよ~って、お礼を言いたかったの」

「はは、きっと、それは知っていると思うよ」

 シキズキのことだから、もう、姿を表さないだろう。


「それに、また君の実家に呼ばれると思うよ。近い将来さ」

 シキズキの体調も、魔力循環もずいぶん良くなったようだ。魔術師となるべく、訓練を開始するなら、近いうちに伯爵位の話もあるだろう。


「そうかなぁ…」

「それより、可愛い奥さん。今夜も愛しているよ」

 そう言って、ティードは白地に薔薇の刺繍のついたハンカチを、妻に渡した。


「もう。無理しないでよ」

 ハンカチを嬉しそうに受け取って、微笑む様は新婚そのものである。


 嬉々として二階の寝室に向かう夫の後ろ姿を見ながら、リノリラは幸せの妖精のことを思い出す。シキズキの変装、全然似合っていなかった。腹黒なのが、バレバレだったし。


 ティードとシキズキ、二人で秘密にしているけど、もうその秘密は知っている。飴の辺りで、おかしいと思い始めていた。


「でも、まだ言わない。またどこかで、利用できるかもしれないしね。シキズキ魔術師さん」

 にこっと笑うリノリラは、腹黒な弟の、やっぱりちょっぴり腹黒な姉であった。


 能天気な夫は、そうとも知らずに妻を溺愛している。二人は溺愛されている妻と、騙されている夫、なのだった。


(おわり)



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