今日も快晴だ。木に登ることに、問題もない。少し寝過ごしてしまったが、まだ早朝といえる時間だ。用意を整えて、朝の散歩と伝えて王立公園に向かう。
リノリラは、幸せの妖精に会ったらお願いしたいことを、考えていた。まず第一に、シキズキの健康だ。これだけは叶えてほしい。
そして、もし、叶うのなら、家の借金もどうにかしてほしい。借金さえなければ、侯爵家の支援をあてにする必要もない。父の言う通り、無理に結婚することもない。
「健康とお金、なんて、夢も何もないわね…」
小説の中のお姫様のように、自分の幸せな結婚とかを願わないところが、私らしい。そう思いつつ、中央の木のところに行くと、そこにティードの姿はなかった。
少し目を凝らして周囲を見ると、離れた木の下で、腕を組んでこちらを見つめる騎士をみつけた。
「ティード様」
彼に会えば、心が飛び出してしまう。まずは幸せの妖精に集中したかったリノリラとしては、ありがたかった。
覚悟を決めて、木の上から垂れさがるロープを握る。昨日までは、ティードに登らせてもらったが、本来、木登りはリノリラの得意技だ。
さらにロープまであるのだから、魔力でサポートもしながら、さっ、さっと上を目指して登って行った。
昨日、腰掛けた場所には、既に少年がいた。髪は蜂蜜色で、クルクルと柔らかそうにカールしている。背には、トンボのように二重になった羽が付いている。
「やぁ、おはよう。僕が幸せの妖精だよ。僕を探していたって、聞いたよ」
その声は涼やかで、心地いい。人外の生命らしく、赤い眼をしている。そして、ニコニコと常に笑顔だ。
「あ、はじめまして。リノリラ・ドースと申します」
「リノリラ、ね。いい名前だ」
「はい、ありがとうございます」
もう、先に来ているとは思っていなかったので、焦ったリノリアであったが、妖精の様子を見ると、そうして焦っているリノリラを見て楽しんでいるようだ。
「じゃ、リノリラ。僕に何をして欲しいの?」
「あの、弟の、シキズキの身体を健康にしてほしいのです」
「へぇ~、弟の健康ね。それが一番なの?」
「はい、そうです」
「他にはないの?」
「ええと、お恥ずかしいのですが、ドース家には借金がたくさんあるので、これも無くすことができるといいのですが」
「ふぅ~ん、何だ、普通のお願いなんだね。病気と借金なんて、ありきたりのお願いだなぁ」
「でも、それが大変なので」
「もっとさ、夢のあるお願いはないの?空を飛びたいとか、庭を花でいっぱいにしたいとか!」
幸せの妖精は、どうもしみったれたお願いごとは嫌いだ、と言わんばかりである。だが、リノリラにとってはとても重要な願いだ。
「何とか、お願いできないでしょうか。特に、弟の病を癒してもらえれば、それだけで十分、幸せになります」
リノリラも必死だ。この願いの為なら、何でもやる覚悟だ。
「う~ん、じゃぁ、君を幸せにすることを祈ってあげるよ。でも、それには条件がある」
え、また条件…今度は簡単だといいけれど。前回の精霊からの条件は、二人で飴を舐めあうなんて、いやらしかった。今度の妖精からは、何が言われるのだろうか。
「男性から、嘘でもいいから「愛してる」って、言われたらね。君を幸せにしてあげる」
「え?男性から愛の告白ですか?」
「あ、気持ちが入っていなくてもいいよ。ただ、リノリラを愛してる、って口で言ってもらえばいいよ。簡単でしょ。あ、でも、わざと言わせたらダメだよ」
「どなたからでもいいのですか?」
「でも、家族はダメだよ。君にはお父さんと、弟がいるでしょ」
「…はい」
それとなく誘導すれば、家族として愛している、と言ってくれそうだが、それはダメらしい。
「あ、期限も決めないとね。そうだなぁ~、2週間あげるよ。じゃ、条件通りになったら、また教えてね。その時にお祈りするからね~」
と、そう言うとバイバイと言って、リノリラの目の前からふぉわっと消えてしまった。
「愛している、と言われるだけ…でも、なんて難しい条件なの」
家族ではダメ、となると、思い浮かぶのはティードの顔であった。が、彼がリリノラに「愛している」と言った場合、それは真剣な告白になるだろう。
でも、自分はその告白に応えることはできない。だとしたら、やはり彼を利用してはいけない。
今日で、ティードに会うのは最後にしなくては。そう決めると、リノリラはするすると木の上から滑り降りた。
木の下に降りると、遠くにいたティードが、走ってこちらに来るのが見える。
「ティード様」
「ど、どうだった?無事に会えたかい?」
はぁ、と息を整えている間に、リノリラは幸せの妖精に会えたことを説明した。また、伯爵家としてきちんとお礼をしたい旨を伝える。
「そうか、君はドース伯爵家の娘だったのか。貴族とは思っていたが、伝統のある家だね」
「はい、よくご存じですね」
「はは、俺も一応、貴族の末席にいるからね。生まれも育ちも庶民だけどさ、イロイロあって」
「そうでしたか。ティード様、お礼については、父さまと相談してから、ご用意しますね」
「そんな、かしこまらなくてもいいよ。リノにまた、会えればそれで」
そう言って、ティードは人差し指をつーっと、リノの唇に添わせた。キスをねだる仕草だ。でも、それに応えることはできない。
リノリラは、あえてその仕草を無視するように、準備していたものを取り出した。
「あの、これは先にお返しします」
そう言って、ティードの手袋を入れた包みを渡そうとすると、やはりティードは受け取らない。
「ダメだ、これは僕たちの絆だ。持っていて欲しい」
「…だから、なのです。私がティード様にお会いできるのは、これが最後です」
「なんだって?」
最後の会話になるのだから、しっかりと伝えなくては。涙が出そうになるのをこらえて、勇気を振り絞って、リノリラは話した。
「昨日、父から、婚約の話が決まった旨を聞きました。ですので、もう、これ以上お会いできません。ごめんなさ…」
最後まで言い切る前に、ティードはリノリラを抱きしめた。
「ダメだ、これで最後なんて、ダメだ」
「ティード様、止めてください、誰かに見られたら」
「見られたら、俺が責任を取る」
「‥‥‥‥ダメだ、これで最後とは言わせない」
ティードはリノリラをもう一度、その両腕でぎゅっと抱きしめた。
「ティード様、私、どうしたら…」
リノリラ自身、彼にまた会いたい。でも、二人きりで会ってはならない。二人きりにならない場所であれば…、その時、2週間後の夜会を思い出した。
「父から、2週間後の王宮での夜会に行くように言われています。そこでしたら、お会いできるでしょう」
ティードも貴族の末席にいるという。それなら、王宮での大規模な夜会に伝手もあるだろう。
「2週間後か、わかった」
ティードは何かを決めたように、リノリラを抱きしめていた腕を緩めた。
「リノ、君が好きだ」
紺碧の瞳が、熱く、まっすぐにリノリラのアメジストの瞳を見つめる。胸の中に、熱い想いがじわっと広がる。だが、その言葉に応えることを、何も言えない。
「リノ、俺が何とかする。今は、まだ詳細を言えないが、だが、信じて待っていて欲しい。大丈夫だ、何とかする。君の家のことも、婚約者も」
そうであったら、嬉しい。でも、そんなことを一介の護衛騎士ができるとは、やはり思えない。
リノリラの頬を、一筋、涙が伝う。「私も好き」と言いたいが、言うことは許されない。
「夜会で」
これ以上、ここにいたら何か言ってしまう。その前に。リノリラは、ティードの腕から逃れると、後ろを振り返らないようにして走った。
その後ろ姿を、ティードは固く決意した瞳で見つめていた。
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