「リノリラ嬢、君は今の者を、知っているのか?」
グレアムが、不思議そうな顔をしている。彼には、幸せの妖精のことは伝えていなかった。
一連のことを説明しようとしたその時、ざわつく会場から一人の男性が、その後ろに供を伴いながらやってきた。
「ティード、こんなところで何をしている」
「王太子殿下!」
その場に現われたのは、現王太子殿下であった。護衛を兼ねた騎士を、後ろに伴っている。
「ああ、ソングフィールド卿もこちらにおられたか。ちょうどいい、話がある」
ふと、王太子はティードの傍にいるリノリラに目を止めた。
「君は、今日の注目の二人を独占している令嬢だね。名は?」
「は、はい。リノリラ・ドースと申します。ドース伯爵の娘でございます」
「ドース伯爵令嬢か、ちょうどいい。君も関係することになる」
「殿下、お話といいますと?」
グレアムが問いかける。
「グレアム・ソングフィールド、君に、来月から隣国であるサザン帝国に、外交官として派遣したい。ついては、身の回りを綺麗にしてほしい。もちろん、独身で婚約者のいない君に、あえて頼んでいる」
「殿下!それはどうしてでしょうか?」
「サザン帝国には、皇女が7人いる。と言えば、君のことだから察しがつくと思うが?」
「……ずいぶんと、急な話ですね」
「はは、すまないね。帝国の情報を得たのは、つい先ほどでね。まぁ、君の将来にとっても、悪い話ではないハズだよ」
要するに、グレアムにサザン帝国の皇女の一人と婚姻を結ばせる。そのことで、隣国との関係を強化しようとする意図が伺えた。また、外交官として海外に行くということは、戻って来た時には、国内でも有力なポストが与えられるということを意味する。
グレアムは少し逡巡する様子であったが、リノリラがティードを信頼して身体を預けている様子を見ると、一つため息をついた。そして、胸のポケットから、ハンカチを取り出した。
「リノリラ嬢、これは返すよ」
そう言って、グレアムは白いハンカチをリノリラの手に渡した。刺繍の柄は、中に折りたたまれていた。
「君の美しさに、騙されていたよ。……騙され続けたかったけどね」
最後は小さな声で、グレアムは囁くように呟いた。
「殿下、中に行きましょう。もう少し、詳しく話を聞かせてください」
すぐに気持ちを切り替えたグレアムは、王太子殿下を見た。
「そうしようか。ティード、せっかく会えた従兄なのだから、君も後から顔を出すように」
王太子殿下もそう言うと、二人は供を連れて夜会会場に戻っていった。グレアムは、将来の約束と引き換えにリノリラのことを諦めた、ということであろう。もうリノリラの方を振り返らず、進んでいった。
庭園には、二人が残された。先ほどの嵐のような出来事に、リノリラの理解も追いついていない。
「ティード様、説明してください。あなたは何者なのですか?」
「……リノ。黙っていてすまなかった。少し長くなるが、話を聞いてほしい」
そういって、二人は庭園にあるベンチに座る。月明りが、二人を照らす。夜は、まだ長い。
「俺は、ヒーズグリム公爵家の正妻である母と、父の間に生まれた。三男だ。上には、年の離れた兄が二人いる」
ティードは静かに話始めた。
「生まれた直後に、事件が起こった。俺は、当時の召使に誘拐された。追われた召使は、ある庶民に赤子を託し、逃げた。まぁ、最後は野垂れ死んだらしい。そのため、俺の生死は長いこと、不明となった」
公爵家にとって、誘拐なんて醜聞だからな。三男ということもあり、公にされなかった、とティードは落ち着いた声で、話をした。その時の養父が、ローワンという。
結局、13歳になって護衛騎士団に入団するための試験を受けた際、珍しい髪の色と瞳、養子であることなどから、消えた公爵家の三男であることが判明した。だが、既に13歳であったティードは、ローワンと名乗ることを選択する。
「俺にしてみれば、今更、だったからな。ロクに探しもしないで、偶然見つかったから、はい、貴族になれ。だからな。思春期だったから、そりゃあもう、反発したさ」
公爵が理解を示し、既に跡取りの長男もティードの心情を理解してくれたのか、ローワンとして生きることを許してくれた。
ただ、貴族としての教育は受けることが、条件だったがな。と、当時のつらい貴族教育を思い出して、ティードは苦い顔をした。
「それも、今日の為だったのかもしれない。親父も、兄も、俺が貴族籍に戻ることを、許してくれたよ。まぁ、護衛騎士団から、宮廷騎士団に移動になるのは、ちぃ~っと不自由だけどな」
ははっ、と、乾いた笑いをするティードに、リノリラはそっと手を、彼の頬に添えた。
「そんな背景があるとは知らなくて、ごめんなさい」
「リノ…俺が勝手にやったことだ。こうして貴族にならなければ、俺はお前に求婚もできなかった」
「それでは、王太子様のお話もティード様が?」
「あ~、あれは、俺も知らなかった。王太子とは、従兄になるから、剣の相手をしたり、まぁ、年齢が近いからな。交流はあったんだ。今回、改めて挨拶をした時に、リノリラのことも伝えてはいたが…」
「まぁ、ではなぜ、このタイミングで外交官の話が」
「わからないが、もしかしたら、妖精の祝福も関係しているのかもな」
と、ティードはもしかしたらシキズキの使い魔が、サザン帝国の情報を与えたかもしれないな、と考えた。
「それはともかく、リノ。いや、リノリラ・ドース嬢」
そう言うと、ティードは地面に片膝をついて、リノリラの片方の手をとった。
「我、ティード・ヒーズグリムは、リノリラ・ドース嬢を生涯かけて、愛し、守ると誓う。私と共に、生きてほしい。リノリラ嬢……結婚してほしい」
月明りに照らされて、ティードの蒼い髪は、銀色に光っているようだ。
「はい、ティード様。私もあなたを、愛しています」
気持ちが高まり、リノリラはその紫の瞳から、涙が一つ、流れた。ようやく、自分の本当の想いを、彼に届けることができた。
「結婚を、お受け致します」
そう答えたとたん、ティードはリノリラを抱き上げて喜んだ。
「リノ、リーノ!結婚しよう!」
ティードは素直に、喜んでリノリラを抱きしめ、その瞳を見つめた。
持ち上げられたその時、リノリラの手から白いハンカチが落ちた。それは、グレアムが返したハンカチだった。落ちた拍子に、中に折り込んであった薔薇の刺繍が、ティードの目に留まった。
「リノ、これは。君のものか?」
それを拾い、確認するように刺繍を見る。
「あ、はい。ええと、グレアム様にお渡ししたのですが、先ほど返されました」
「なんだと!グレアムに渡した?…君は、この刺繍の意味を知っているのか?」
「はい、愛している、という意味だと聞きました。あの、実は妖精の条件が、男性から「愛している」と言われること、だったので…」
はあぁ~、とため息をつきながら、ティードはハンカチをリノリラに見せた。
「リノ、これはな。今晩、あなたと愛し合う行為をしたい、という意味だ」
「え?愛し合う行為?」
「そう。エッチなことをしたい、ということだ」
「えええええ!!!」
「で、ハンカチを受け取れば、エッチなことをしよう、と合意したことになる」
「そんな!ハレンチな!」
「そう、そのハレンチなことを、お前はあの堅物のグレアム様にした。そしてアイツは応えた」
「まさか!」
「そのまさかだ。・・・リノ、俺が来る前に、グレアムから何かされなかったか?」
「……黙秘します」
「リノ、今、正直に答えれば、俺は怒らない」
沈黙が二人の間に訪れる。じとっとした目で、ティードはリノリラを見つめる。
「あの…唇を奪われて…」
「それで?」
「キス、されました」
「‥‥‥」
あの野郎、やっぱり殴っておけばよかった、と呟く声が聞こえてきた。
「仕方ない。俺が消毒をしてやる」
「え?」
そう言うと、リノリラの目を見つめながら優しく頬に手をおいた。
「リノ、キスしたい」
いつもであれば、すぐにキスを仕掛けてくる。その雰囲気を嗅ぎ取ったリノリラは、手に持っていた白いハンカチを、口元に持ってきた。
「リノ、邪魔だ」
ハンカチをどかそうとするティードに、リノリラは、薔薇の刺繍のある白いハンカチを、そっとティードに渡した。
「いいのか?意味は、わかっているのか?」
頷いて、はい、と小さく答える。我ながら大胆なことをしている。
「忘れたいの。…全部、あなたに奪われたいの」
グレアムに、心を寄せてしまったこと。彼のキスに、応じてしまったこと。それら全て、ティードに消して欲しい。
「リノ!…君は、俺を煽る天才だな」
はぁぁ、とティードは何度目かのため息をついた。
「ん、こんな外で、君の純潔を奪うわけにはいかないしな…」
ティードはそわそわとして、周りを見回す。王宮に慣れていないから、休憩するスペースなども、わからない。
「よし、オレの宿舎が近いな。リノ、夜会はもういいな?」
「あ、はい。ティード様は、いいのですか?」
「リノの気が変わる方が、重大だ」
そう言うと、リノを連れて騎士団の宿舎まで、馬車を走らせた。
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