「あ~、気持ちいい風」
今日もリノリラは、伯爵家の園庭にある大木に登っている。
「お嬢様!お嬢様!リノリラお嬢様!」
侍女のエリーが、自分を探す声が聞こえる。ドース伯爵家の園庭には、王都の中にあるにも関らず大木が多い。その一つに登り、休んでいるだけなのに…。エリーには淑女は木に登りません!と言っていつも叱られてしまう。
「お嬢様、また木に登っていたのですか。あれだけ、淑女は木に登るものではない、と」
「はいはい、わかりました。今、降りるから」
リノリラは木の幹を伝って、するりと降りた。園庭にはさまざまな大木があり、そのほとんどに登っているので、木登りは得意だ。淑女うんぬんと言われても、止めるつもりはない。
リノリラ・ドースは、由緒ある伯爵家の長女として生まれた。銀色のストレートの髪は、傾国の美女と讃えられた祖母から引き継いでいる。整った顔立ちと、そのアメジストの瞳は見る者を惹きつける。
建国以来の歴史ある伯爵家には、残念ながら歴史と同じく積もり積もった借金もたくさんあった。
美しく儚げな美女に育ったリノリラであったが、その外見と違い、中身はかなりお転婆な令嬢だ。家は歴史しかなくて金がない。
父親の伯爵も、社交性のない性格ということもあり、長女であるリノリラが既に18歳と適齢期になっているのに、夜会へは16歳のデビュー時に行ったきり。必要に迫られて年に数回、顔を出すだけであった。
夜会に行けば、その見目麗しい姿から噂となるが、社交界にそれほど興味もなかったので、自ずと足が遠ざかる。ついには「幻の美姫」とまで呼ばれていたが、当の本人は、それを知らない。
「お嬢様、もうすぐお茶の時間です」
はぁ、ため息しか出ない。お茶をしている時間があるなら、もっとこの大木の精霊から、声を聴いていたい。
リノリラは、魔力は少ないが、大木の精霊から声を聴くことが出来る稀有な能力を持っていた。その魔力を使って、何とか精霊の力で「幸せの妖精」を呼び出したい。
リノリラは、どうにかして5歳年下の弟のシキズキの病気を治したかった。いつも発熱していて、13歳となる少年は、常にベッドに横たわる生活をしていた。
原因は、強大な魔力からくる魔力だまり、と聞いている。が、父も母も、「成長すれば治る」といって、治療らしい治療を受けさせない。
そのために、家の図書室にある妖精と精霊の本を読み漁り、「幸せの妖精」のことを知った。そして妖精を呼び出すため、大木から声を聴くのが日課であった。
「最近、どの木からも大したお話がないのよねぇ」
声を聴けるといっても、ささやかなものだ。「明日は雨よ」とか、「風が強いわね」とか。時々、「妖精がうたっているわ」という話も聞ける。
「お嬢様、また木とお話をされていましたのですね」
「そうね、でも、最近は妖精の話が少なくて。もしかしたら、違う場所の木からきいてみようかしら」
「王立公園には、建国以来の大きな木もあるようです」
「‥‥王立公園、ね」
伯爵家から、それほど遠くない距離にある、王立公園。その中心には、建国時に当時の王が植えたという巨木の他に、歴史を感じさせる大木がいくつかあった。普段は貴族のみならず庶民に木陰を提供し、憩いの場となっていた。
木から声を聴くには、なるべく上に行く方がいい。でも、伯爵令嬢が公園の木に登っていることを誰かに見られたら、それこそ醜聞である。中央の木の下には、常に人もいるので安易に登れない。
「公園の隅の方の木なら、バレないかしら」
現状を打開するには、何か一歩進めてみよう。そう思ったリノリラは、早速出かける用意をした。
*****
今日の風とってはとても心地よい。この木陰もちょうど良い。
ティード・ローワンは警護騎士として巡回中にも関らず、昼寝をする地を探していた。夕方までには騎士事務所に戻れば大丈夫だから、と思い王立公園の隅の木の下を選んで、ごろっと寝転んだ。
「はぁ~、気持ちいいな」
ごろん、と横になると、目に入ってくる樹木の、生い茂った葉が美しい。深い緑だ。
「ん?何か動いたか?」
ごそっ、と木の上の方で何かが動いている。葉っぱがハラハラと落ちてきた。
「リスか」
小動物が木の上にいるのだろう、茶色がごそっと動くのをみて、ティードはまた昼寝しようと目をつむる。
「だ、だれか」
声が聞こえる。か細い声だが、上から聞こえてくるようだ。一応、警護騎士としての制服も着ているので、めんどくさそうにその上半身を上げると、木の上には驚くことに茶色の布地がひらひらと舞っていた。
「―――!!!―――」
ティードは、驚きのあまり息が止まるかと思った。その木の枝には、白い脚がみえる。なぜか裸足で、スカートと思われる布地の間から、二つの白くてほっそりとした脚がみえた。
「き、君。木の上にいるのか?」
「は、はい。あの、できれば、今からそこに降りたいのですが」
木の上にいるのは、どうやらまだ若い女性のようだ。
「わかった、私が受け止めよう。飛び降りることは、できるか?」
サボりの常習犯といえども、騎士である。ティードは両手を広げて、受け止めようとした。
「あ、あの。大丈夫ですから、どいていただけますか?」
女性はそう言うと、銀色の髪と、スカートをふわりとさせながら枝から降りてきた。着地する時は、どうやら浮く魔力を使ったようだ。
「はぁー、よかった。ちゃんと降りることができた」
「あ、君」
ティードは意味のなくなった、広げた両手を戻しながら腕を組み、「コホン」と咳をひとつついて、真面目な顔をして女性を見た。
「今、この木の上にいたのか?」
靴を履いて、今にも「ではまた」と言って走り去ろうとしていたリノリラに、ティードは驚いたまま質問をした。
「えーと、天気が良かったので。木の上は気持ちいいかと思いましたの」
彼女はとびきりの笑顔で答えた。
「―――!!!―――」
またも、驚きのあまり息が止まる。ティードは、彼女の花が満開になるような笑顔を見て、それまでにない感情が胸に生まれたことを実感した。ドク、ドクと心臓がうるさいほど鳴っている。
「では、わたくしはこれで」
失礼します、と、その場を去ろうとした彼女の腕を、はしっとティードは捕まえた。
「君、君はその。名前を」
「えーっと、リノ、です」
「リノ、リノ…いい名前だ。あ、失礼。自分はティード・ローワンで、第2警護騎士団に所属している」
「は、はい」
「…君は、本当に人間なのか?妖精ではないのか?」
じっと見つめたまま、ティードは声をかけた。リノの銀色の髪が太陽の光を受けて、輝いている。その整った顔は、まるで人外のもののように見えた。
優しい雰囲気からするに、かつて話に聞いた妖精ではないかと思われ、つい、聞いてしまった。
紫の瞳は、驚いたようにティードの紺碧の瞳をみつめた。
「あの、もしかして、妖精をご存じなのですか?」
「は?君が妖精ではないのか?」
「違います。妖精を探していますが」
「妖精を探している?」
「はい、妖精を」
「…それは、話を聞こうか?」
このまま、彼女を逃しては、次にいつ会えるかわからない。できれば、もう少し話がしたい。妖精でないのであれば、彼女は人間の女性だ。
女性が、木の上にいること自体、怪しいことでもある。何か事情があるのだろう。
「本当ですか?妖精のことを何か、ご存じですか?」
上気した頬に、弾んだような声がかえってきた。その反応に、ティードの心がもう一度、跳ねた。
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