二人は、大木のある庭園を巡るように、歩き始めた。
「この木は、建国以来の木と同じほどの樹齢と聞いています。あちらも…」
金はないので、花壇などの手入れはされていないが、歴史だけはあるので、大木が多い。王都の中では、比較的広い庭園に、見事な大木が植わっている。リノリラにとって、それら1本1本が大切な樹木であった。
「あなたは、本当に木を大切にしているのですね」
「……はい」
ここで、自分が木の精霊と話ができることを、伝えてみようか。でも、稀有な能力だから、それこそ笑われて終わってしまうかもしれない。かつて、夜会での貴族たちの様子を思い出す。彼らは、リノリラがおとぎ話をしているだけと、鼻で笑っていた。
だが、将来結婚するかもしれない相手だから、自分を知ってもらうことも大切だ。もし、笑われたら―――その時は、仕方ない。自分が傷つくだけであれば、我慢すればいい。
「あの、私……木の精霊の声が、聞こえるのです。稀有な、魔力なので、信じられないかもしれませんが」
「木の精霊?声が聞こえる?」
グレアムは不思議そうに、リノリラの顔をみつめた。だが、そこには侮蔑の色はなかった。
「はい、魔力で話しかけると、応えてくれるのです」
「それは……面白い」
「え?信じていただけるのですか?」
「以前、そうした魔力が存在したということを本で読んだことがある」
さすが、宰相候補と言われるだけのことがある。魔力にも精通していた。
「では、今、ここで聞くことはできるのか?」
リノリラの顔を見るが、先ほどの甘い雰囲気から、どこか研究するような目つきとなる。
「それは、あの」
さすがに、今日あったばかりの人の前で、木に登る勇気はない。
「木の上の方にいかなければ、声が聞こえにくいので、今すぐは難しくて」
「では、木の上に登るには、どうしているのか?」
「えっと、身体を浮かせる魔力を使って、枝をつかみます。あとは、自分で登ります」
「自分で、登る」
しまった。つい、言ってしまった。淑女が木に登るものではない、といつもエリーに叱られているのに。
「ますます面白い。ぜひ、私もこの目でみてみたい」
グレアムはそう言うと、「この木でいいのか?」と聞いた後、上着を脱いで、腕まくりを始めた。
「ソングフィールド卿?いけません、危ないです」
「でも、君はいつも登っているのだろう?私も久しぶりに、身体を動かしてみるよ」
そう言って、グレアムは自身の魔力も使いつつ、初めの枝に登って腰掛けた。
「リノリラ嬢、気持ちいいものだな、来てごらん」
「は、はい」
言われるまま、久しぶりに木登りをする。庭園の木であれば、周囲を気にすることもない。「よっ」といいつつ、リノリラも木に登る。
「はっ、ソングフィールド卿、大丈夫ですか?」
隣の枝に登り、一息つく。
「はは、いくら私が文官と言えど、このくらいはできるさ」
輝く金色の髪を風になびかせて、普段より上気している様子は、また違った美しさを放っている。
「ソングフィールド卿、では、私はもう少し上に登ります。卿はそちらでお待ちください」
そう言って、リノリラは再度少し上に登る。
そして、いつものように魔力をのせて、木の精霊に話かけた。
*精霊さん、精霊さん、話をきかせてください*
*………*
*精霊さん、話を聞いています、声を聞かせてください*
*………*
「おかしいですね、普段であれば、すぐに話ができるのですが」
自分の調子が悪いのか、木の調子が悪いのか。どちらにしても、今日は無理そうだ。
「申し訳ありません、今日は話ができそうにないので、下に降りますね」
そう言って、下に降りようとしたリノリラであったが、グレアムは近くまで登ってきている。
「あ、今、君の隣まで行くから、ちょっと待て」
はぁ、はぁと息を切らしながらも、グレアムはリノリラの隣に来た。
「はぁ、やはり、もう少し身体を動かすべきだな。はは、息が切れた」
そう言いながらも、リノリラの隣に腰を下ろす。
「もう少し、ここから景色をみたい」
そう言われると、断ることなどできない。リノリラも、腰を下ろす。
「君は、こうして木の上に登ることが、好きなのか?」
「はい、木は、いつも優しいので」
つい、肩と肩が当たるのが気になる。昨日まで、いつも木の上にはティードと一緒にいたので、ふと彼のことを思い出す。彼は、いつも力強く支えてくれていた。
「あの、ソングフィールド卿は、女性が木に登るのははしたないとか、思われないのですか?」
「グレアムだ」
「え」
「グレアムと呼べ。卿と言われるより、いい」
以前も、同じようなことがあったな、と思って、つい微笑んでしまう。
「グレアム…様」
「ああ、そうだ。君の声はいいな。……その声で、いつも呼ばれるのは、心地いいだろうな」
そうして、微笑んでいるリノリラの頬を、そっと手で撫でるように、触れた。
「あっ」
「失礼、君の頬が、あまりにも可愛らしかったので。妖精のようだな、君は」
ドキッと、心臓が跳ねる。
「木に登る令嬢に会うのは、初めてだ。話にも聞いたことがない。一般的には、はしたない行為かもしれないな」
リノリラの目を見つめながら、グレアムが話す。
「だが、君であれば、不思議だな。許せるようだ」
まだ、頬を撫でる手は離れない。その手が、下に下がり、顎を持ち上げた。
「リノリラ嬢には、初めて会ったが、どうやら私の心を掴まれたようだ」
そう言って、顎を持つ親指で、リノリラの下唇を、ツーっとなぞる。
「……キスしても、いいだろうか」
二つの翠が光り、まっすぐに見つめる。
「それは、お許しください。まだ、何も…」
まだ、何も決まっていない。婚約も、何も。何より、まだ自分の覚悟もできていない。
「はは、この私のキスを断る令嬢がいるとは」
そう言った途端、グレアムはリノリラの顎をくっと持ち上げて、自分の唇をその上に乗せた。
やわらかな感触が、唇の上に落ちる。それは一瞬のことであった。
「今日は、このくらいにしておこう。嫌われても、悲しいからな」
そう言うと、ははっと笑顔になったグレアムは、「そろそろだな」と言って、下に降りる。
リノリラも、顔を赤らめながらも、木の下に降りて行った。
二人で木登りをすることになるとは。そして、木の上で軽くとはいえ、唇を合わせてしまうとは。リノリラは、恥ずかしさでいっぱいになる。
「あの、そろそろ戻りませんと、父が心配します」
「そうだな、まだ今後の話をしないといけないからな」
「今後の話、ですか?」
「ああ、私たちの婚約のことだ。君も、聞いているだろう」
「……はい」
「では、戻ろう」
そう言うと、応接間に戻り、あとは伯爵と話をする、と言ってリノリラは自室に戻らされた。残ったグレアムが、父とどういった話をしたのか。わからないまま、彼は帰っていった。
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