都心から少し外れた閑静な住宅街に建つ古い二階建ての小さなアパート。
外観は長年の風雨の影響で汚れ、所々塗装がはがれている。
仕事帰りに近所のコンビニでビールと惣菜を買って、俺はこの我が家に帰宅する。
1階の階段脇にある各部屋のポストは、今日もチラシ類があふれている。
誰が置いたのかポストのすぐそばにはゴミ箱が置いてあり、不要なチラシは皆そこに捨てている。
そんなものがあっても、これを撒いている連中は律儀にもちゃんと各部屋のポストにチラシを投函している。
普段ならこの手のチラシはすぐに捨ててしまうが、今日はそのうちの一枚が目に留まった。
新装開店 なんでもそろう雑貨屋 4月1日オープン 場所xxx
近所に新しく雑貨屋ができたらしい。
それにしてもなんでも揃うとは大きく謳ったもんだ。
しかしその文句に惹かれた俺は、次の日行ってみようとすでに思っていた。
翌日の仕事帰り、さっそく雑貨屋に行ってみた。
駅前の大きなビルの1階から5階までがその店になっており、確かに品揃えは豊富のようだった。
俺は1階から店内を散策し始めたが、オープンしたばかりだとあって店内は賑わっている。
1階は日用品などを扱う場所のようで特に混雑していた。
このフロアは諦めて他の階から回ろうと思ったところに、ちょうどエレベーターがやってきた。逃げるように飛び込み、フロアの案内板を見ていると、エレベーターは勝手に上り始めた。
エレベーターは3階で止まり、呼んだ人と入れ替わるように俺はそこで降りた。
このフロアは装飾品売場のようで客の数はまばらだった。
自分の背丈ほどある棚が何列も並んでおり、化粧品やアクセサリー、ストラップやビーズなど数多くの品が並んでいる。
そのフロアのある一角に、白い台座の上に置かれた黒縁のメガネを見つけた。
気になって手に取ってみると、商品タグには伊達メガネと書いてある。
「お客さま。そちらのメガネ、もしよろしければおかけになってみても構いませんよ。」
突然背後から声を掛けられビクっとしてメガネを落としそうになる。
振り返るとそこには年老いた女が立っていた。着ている制服を見るとここの店員のようだ。しかしおおよそ接客業の店員の顔とは思えない、陰鬱な表情を浮かべている。
こんな婆さんにまで接客させるとは、よほど人手が足りていないようだ。
店員は手に持った手鏡を俺のほうに向け、さぁと催促してきた。
仕方なく俺はメガネをかけてみた。
鏡に映る自分、どう見ても似合っているようには思えない。しかし店員は不気味ににやりと微笑み、
「お客さまにとてもよくお似合いですね。価格もお手頃でございますので、普段と違うワンポイントのファッションとして是非、お求めいただければ光栄にございます。」
と押し売り気味に迫ってきた。俺はその老婆の威圧感に負け、メガネを買ってしまった……。
アパートに戻るとポストには今日も大量のチラシが押し込まれていた。
妙な買い物をしてしまい、ちょっと気が立っていた俺はそれをむしり取り、ぐしゃぐしゃに丸めポスト横のゴミ箱に投げ入れた。
部屋に戻り、机にメガネをほっぽると、今日の災難を忘れようと酒を飲むことにした。
床に置いた小さな丸テーブルの上に、缶ビールと総菜をいくつか並べる。ビールを一気に飲み干し、すぐさまもう一本をあける……。
一時間も経たないうちにすっかり酔いが回り、
なにがとてもお似合いですだ。あのババァ。まったく余計な出費だよ。
とひとり管を巻いていた。
トイレに行こうとフラフラと立ち上がると、机の上のメガネが目に入った。
こんなもんどこにかけていけってんだよ。
と思いながらそれをかけてみる。鏡を見ようと後ろを振り向くと、床に知らない男が座っていた。
俺は驚き、おぉぅ!?とすっとんきょうな声をあげてしまった。
男は30代くらいでさっきの俺と同じく丸テーブルの上に用意した食事をとっていた。しかしおかしなことに、先ほどまでとは全く別の食べ物が並んでいる。
そして俺がいくら男に話しかけても、まるで聞こえていないかのように無視され続けている。
ついに頭にきて、男の手を取ろうとした。しかし男には触れることはできず、すり抜けてしまった。
一体どうなっているのか混乱していると、男の横に新聞が置かれているのに気が付いた。
その日付を見てまたえっ!?と驚きの声を上げた。
新聞の日付は今から10年も昔のものだった。
俺は酔っぱらって夢でも見ているのかと思いメガネを外し、目をこすった。するとさっきまでの部屋に戻っていた。
もう一度メガネをかけてみる。するとやはりそこにはあの男が現れる。
気味が悪かったが、酔っているだけだと思い、メガネを外して早々に寝ることにした。
翌朝、今度はすっきりした頭でもう一度あのメガネをかけてみた。するとあの男は現れなかった。しかしメガネ越しに見る部屋に、妙な違和感を感じていた。
違和感の正体を探るべく、周りを見渡し、あっと声を漏らした。畳がきれいだった。
この部屋は入居以来一度も畳の張替えなんて来たことはないので、長年の影響で剥げていたり、黄ばんでいたりしている。しかしメガネ越しにみる部屋の畳はまだ新しくきれいだった。畳だけではない。もともと備え付けの冷蔵庫やガスコンロなどもまだあまり使用感を感じられない。
どうなっているのか考えていると、昨夜の新聞の日付を思い出した。
もしかしてこのメガネを通すことで、昔のことが見えるのかもしれない。
俺はさっそくメガネを持って部屋を飛び出した。
試しに近所の公園に行き、メガネをかけてみた。すると自分の周りを取り囲むように背の高い草が生い茂り、整備された公園とは程遠い景色が広がった。
実際に触れることはない草をすり抜けながら進むと、立ち入り禁止の看板と柵が現れた。それすらもすり抜け公園の外へ出ると、建設予定の看板がかかっていた。公園の完成予定は今から20年ほど前の日付だった。
メガネを外すと、やはりもとの公園が現れる。
俺はこれが過去を見ることができるメガネだと確信した。
昨夜部屋で見た男はきっと前の住人だろう。そしてこの公園も、公園になる前の空き地の時を見たのだと思った。
そのあと、他の場所でも何度かメガネの性能を試してみた。それで分かったことは過去には干渉できないことと、時期を特定することはできないということだった。
時期を特定できない過去を見たってどうしようもないな、と俺は思いながらアパートに戻った。
一日中町を歩き回った疲労感からこの日はシャワーを浴びてすぐに床に就いた。
徐々に遠のく意識の中、夢を見た。
それは俺がまだ中学の頃だった。
クラスの女の子がいじめをうけ、学校の屋上から飛び降り自殺するという事件があった。
俺はクラスの中で他のクラスメイトから叩かれたりしている彼女を見て見ぬふりをしていた。
彼女を見ないことで最初からいない人、自分には無関係なことだと思い込んでいた。
自殺する前日も暴力行為は行われていた。いつものように彼女を見ないように目を背けていたが、一瞬、彼女と目が合ってしまった。
彼女は唇をかすかに動かし、何かを訴えようとした。しかし俺には何と言いたいのかわからなかった。
再び目を背け、早くこの時間が過ぎることを待っていた。そして翌朝、校庭で亡くなっている彼女が発見された。
ハッと目を覚ますと、全身にびっしょり汗をかいていた。枕元の時計を見るとまだ1時間ほどしか経過していない。
どうして今更こんな夢を……。
もう30年も昔のことだった。
ふっとあのメガネのことが頭をよぎる。
もしかしてあのメガネをかければ、あの時彼女が何を言おうとしていたのかわかるかもしれない。
わかったとしても、もうどうしようもないことだろうが、鮮明に現れた彼女の苦痛の表情が瞼に焼き付いて離れなかった。
翌日、母校を訪れることにした。
かつての学び舎は市町村の統廃合の結果、現在はもう使われていないようだった。しかしそれは俺にとってはかえって好都合だった。現役の学生がいる学校にこんな男が入っていったら、即捕まってしまうところだ。
クラスメイトの自殺事件のこともあり、俺は高校に入ると同時に他県へと引っ越した。それからもこの地を訪れることはなかった。
最寄りの駅まで2時間ほど電車を乗り継ぎ、さびれた無人駅に到着した。
改札を抜けると周りには木々が立ち並んでいる。それを抜けると畦道が続いており、人影はない。
俺は記憶を頼りに畦道を外れ、山道に入っていった。10分ほど坂道を上ると、大きな錆びた校門が現れた。
校門横の石柱には苔がびっしり生えているが、かすかに母校の名前を読み取ることができた。
門の内側はかつてのまま、校庭が広がっており、そのさらに奥には木造の古い校舎が見える。もっと廃墟になっているかと思っていたが、誰かが管理しているのか建物自体はさほど風化していなかった。
俺はまずそこでメガネをかけてみた。
すると校庭を駆け回る体操着姿の学生たちが現れた。距離があり生徒たちの顔はわからない。
錆びついた校門に手をかけ力をこめる。
重い鉄製の門がガリガリと音を立てながら少し開いた。
少しずつ近づくと、顔もはっきりと見えてきて、懐かしい声も聞こえてくる。その生徒たちは俺の元クラスメイトだった。
そしてその中に、彼女もいた。
俺はこの光景を見た瞬間にあの時のことを思い出した。
この体育の授業の後、体育祭の準備をすることになる。
運動もろくにできない彼女が出ると、うちのクラスが負けるとかいう話になった。
そして誰かが出られないようにしてやればいいと言った。
それに賛同した奴らが彼女に暴力をふるい、足に怪我をさせた。
俺が見た夢の記憶はまさにこの時のものだった。
教師が授業の終わりを告げると、生徒たちは校舎へ戻っていく。
俺もそれについていき、かつての教室に入り、自然と自分の席に座っていた。
次の瞬間には放課後のホームルームが始まっていた。
体育祭の参加種目分けが話し合われた。大方の部分が決まるとその日は解散となった。
皆急いで部活や、帰宅するために教室を出ていった。
彼女もカバンを手に取り、帰宅しようとしたところ、男子生徒に道をふさがれた。
怯えた彼女が別のところから逃げようとすると、今度は女子生徒に道をふさがれる。
そして謂れのない非難を受け始める。
この時も俺は自分の席からただそれを見ることしかできなかった。
彼女も最初こそやめてと抗議していたが、徐々にそれもなくなり、ひたすら耐えるだけになった。
誰かが彼女の足を踏みつけた。
苦悶の表情を浮かべ顔を上げた瞬間、俺と目が合った。
「たすけて」
かすかに動いた口元はそう言っているように見えた。
俺は手を差し伸べようと席を立とうとした。が、いつの間にか教室は薄暗くなり、夕日の残光がわずかに入る程度になっていた。
目の前の床にはすすり泣くように肩を震わせて、彼女が倒れていた。
赤黒い夕日が彼女の顔を照らす。
すべてに絶望し切った表情で彼女は
「誰も助けてはくれない」
とつぶやいた。
机を支えにしてなんとか立ち上がると、腫れた右足を引きづるように教室をゆっくりと出ていった。
無意識で俺は彼女の後を追っていた。彼女は階段の手すりにしがみつきながら必死に上っていった。
長い時間をかけて、ようやく最上階にたどり着く。屋上に出る鉄扉を開けると、ひんやりとした風が入ってくる。
外は既に真っ暗になっており、月も出ていない。
彼女は迷いなくそのまままっすぐ進み、欄干に手をかける。
足を上げて乗り越えることができないのか、そのまま下を覗き込むように柵に覆いかぶさり、そのまま身を投げた。
俺は慌てて柵に駆け寄った。
しかしそれは過去に存在した柵だった。
気が付くと俺はどこかに寝かせられていた。
見覚えのない天井に、大きく開いた窓から入り込む風で、白いカーテンが揺らいでいた。
体を動かそうとしたが、思うように力が入らず動かない。
なにがあったのか思い出そうとしたが、うまく思い出せない。
「気が付かれましたか?」
かすかに視線を動かすと、ベッドの傍らに白衣を着た医者らしき男と女性の看護師が立っていた。
「あなたは廃校になった学校の校庭で発見されました。たまたま現場にいた方が発見し、すぐに処置を施すことができたので一命はとりとめましたが……」
医者の男が説明している。
俺は彼女は無事かと尋ねた。
「彼女……?発見された方を覚えていらっしゃるのですか?」
視線を足元に向けるとそこに彼女が立っていた。
なんだ無事だったんだ。よかった。
安心すると俺は再び眠りについた。
「先日のあの方、ご容体はいかがでしょうか?」
病院を訪れた初老の女は医者の男にそう尋ねた。
「あの方ならあなたのおかげで一命をとりとめ、意識を取り戻しましたよ。しかしあなたはなぜあんな場所へ?」
「娘の命日だったもので……」
「そうだったんですね……」
あまりに陰鬱な表情の女に医者はそれ以上話を聞くことをためらった。
「し、しかしあの方、茂みの中とは言え顔面から落ちましてね。その時していたメガネの破片が両目に入ってしまっていて、両目ともに失明してしまったんですよ。それにも関わらず、まるで目の前にいる誰かと話をしているように、毎日毎日一人でしゃべっているんですよね。」
「それは昔この病院にいらっしゃった患者さんではないですかね……?」
女は不気味ににやりと微笑んだ。
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