このクラスに入った時からずっとクラスの人たちの視線、その大半は私とグレイ様に向いていた。
だというのに不自然なほどこちらに視線を向けない者が何人かいた。
その筆頭がレイラ嬢。
他にも数人の貴族令嬢がいたから彼女たちもヒロイン候補の可能性がある。
人はある程度の緊張下に置かれると自然な行動をとれなくなる。
パーティ会場で貴族の暗殺を企んだものがいるとして、ある人物がワイングラスを落として割ってしまう。
当然人の注目を集める事になるが、暗殺者は想定外の出来事に全員の注意が逸れている今こそ行動に移すか、当初の予定通りに行動するかという迷いがうまれる。
結果として動くと動かない、二つの命令に縛られてグラスの破砕音にとっさの行動がとれなかった暗殺者は兵士から注目を集めてしまった……という事件が過去にあった。
なおこの事件に関して言えば決定的な証拠がなかったため貴族暗殺は実行されてしまうが、計画が狂ったためか兵士たちの注意力のおかげか対象となった貴族は怪我を負うだけで済んだ。
しいて言うならばその後の調査で当の貴族が色々裏でやらかしていたことがばれて仲良く暗殺者共々縛り首になったというオチが付くくらい。
ともあれ、あの場でとっさにこちらを見る事が出来なかった貴族令嬢は黒と目星が付けられた。
警戒のし過ぎかもしれないけれど、白ならばそれでよし。
黒ならば警戒していたからよしとなる。
だって警戒していたら向こうが何か行動しても、後手に回ることは仕方ないとしても対処はできるから。
あとは自然にこちらに視線を向けてこなかった平民、こちらはグレイ様を知らない人たち。
グレイ様は第一王子殿下と違い表舞台に立つことが極端に少ないから。
国の方針かなんなのかは知らないけれど、とりあえず矢面に立つのは第一王子の仕事。
グレイ様が平民に顔を見せたのは生誕後のお披露目で王城のテラスからと、年に一度行われるお祭りの際にくらい。
そしてこの学園には国中から人が集まる、言い換えるならば王都の外からも人が来るという事。
当然グレイ様も私も知らない平民はいるはず。
それでも教室に入ったときに多少のざわめきはあったし、王子だなんだと小さく聞こえてきたから遅れてからこちらを見る人は多少いたけれど……。
そんなざわめきも無視したのが彼女の失態。
とりあえずお父様には「レイラ嬢はヒロイン候補ですね」と伺いを立てて、本当にあの豚公爵とご実家で金銭のやり取りと引き換えに側室になんて話があるのか洗ってもらおう。
今の私にできる最善の手はこれくらい。
もし話した内容が事実ならお父様と陛下がなんとかしてくれるでしょ。
嘘なら、まぁ私には「対処しといた」くらいの返事が来るはず。
「どうした、マリア」
おっと、少し考え込んでしまった。
「いえ、あの方の噂はかねがね聞いておりましたが……と少し気分が悪くなってしまいましたので」
「そうか、ならば少し休んではどうだ」
「大丈夫ですわ、けれどその前に……ロバート様、盗み聞きとは趣味が悪いですわよ」
視界の端でチラチラとこちらをうかがっていたでばがめさんに声をかける。
レイラ嬢が声をかけた辺りからずっと聞き耳を立てていたのはわかっている。
ただ、これはロバート様だけではない。
他の貴族達も暇つぶしと言わんばかりの様子でこちらをうかがっていた。
王族とその婚約者である私、下級貴族とはいえその二人に声をかけられていたハインツ様の間に割り込む令嬢が目立たないわけがない。
「っと、気づかれてたのかよ」
「えぇ、バレバレですわ。このような場で実家の恥を語るレイラ嬢に問題があったとはいえ、それに聞き耳を立てるなどと言うのは紳士淑女にあるまじき行為です」
あえて教室全体に聞こえるように怒気を込めて発する。
家の恥を公言するのは貴族にあるまじき行為なのは事実、それに聞き耳を立てるのは自然な事なんだけれど趣味がいいとは言い難い。
その事を理解したのかレイラ嬢が少し青ざめている。
ついでにこちらに聞き耳立てていた高位貴族派閥の方々も、近くにいた低位貴族派閥の方々も。
「マリア! 恥を忍んでの相談に何たる言い草だ!」
「恥だとわかっているのであれば、先ほど私は二人きりで聞くと提案いたしました。それを断ったのはレイラ様であり、今回糾弾したのはロバート様個人です。もし今の言葉に刺さる者がいたならばそれはやましい行為をしていたという事に他なりません」
グレイ様良い人なんだけどね……馬鹿でもないんだけど直情的だからこの辺りサポートしてあげないといけないし、この程度のヒロインに篭絡される事はないだろうけれどもう少し歯ごたえが無いと審査の意味がないから。
だから多少厳しい言い方になっても、悪役令嬢だからしょうがないよね?
「レイラ様、差し出がましいかとは思いますが今後このような相談があれば私を通してくださいませ。必ずやグレイ様にお取次ぎいたしますので……間違っても二人きりになったりなされぬようにご注意を」
「マリアっ!」
「グレイ様は少し女と言うものがわかっていませんね」
小さくため息を吐いてから扇を広げる。
「まず一つ、婚約者たる私は今やきもち半分おせっかい半分で二人きりになるなと忠告をしました」
うそでーす、100%忠告でーす。
グレイ様直情的だからコロッと騙されそうなんで先手を打ちましたー。
「まずやきもちの部分についてはおわかりになると思います……わかりますよね」
「あ、あぁ……まぁ女性の嫉妬は何より恐ろしいと聞き及んでいる」
「誰から聞いたかはあえて問いませんが……その方には夜道にお気をつける様にお伝えくださいませ。さて残りの忠告に関してですが、レイラ嬢は話の内容から察するにあの公爵に狙われています」
まぁ仮に話が真実であれば、だけれど。
グレイ様の直情的な性格は割と知れ渡っている。
一部の貴族からは、公ではないにせよあの性格では次代の王は長男か三男がいいのではないかとまで言われているほどだ。
その話を知らなくても、入学式の挨拶の時点で性格は推し量れる。
なら同情をひいて取り込もうというのは悪い手段じゃない。
実際引っ掛かってるし、私の忠告に声荒げてたし。
それに令嬢候補ならそのくらいの腹芸はやってみせるでしょう。
できないとしても、陛下の入れ知恵とかがあれば簡単。
グレイ様の性格を一番理解しているのが誰かと言われたらたぶん私。
貴族や王族は家族間の付き合いが希薄だから、親が子の性格や行動を知らないというのは結構ある話だから。
だとしても、フットワークが羽毛より軽い陛下の事だから私と同じくらいにはグレイ様の性格を理解しているだろうし、それを矯正しようとはしなかったはず。
矯正しなかった理由は想像でしかないけれど、補佐が優秀ならいいと考えたのか、あるいは面白ければいいと考えた可能性。
……後者だったら、前国王陛下に一言文句を言いたいけれど既に鬼籍に入ってらっしゃるからお話ができるとしたら神の御許に召されてからね。
「そう……だな」
少し表情が暗いけれど、もしかしてグレイ様に女の嫉妬が怖いと教えこんだの陛下じゃないでしょうね。
だとしたら大問題だけれど……適当な近衛騎士だという事にしておきましょう。
深く考えたら面倒そうだわ。
「話を戻しますが、レイラ嬢がグレイ様と、第二王子殿下と懇意にしている……いえ、言葉を濁さずに言うならば恋仲であると噂がたてばどうなりますか?」
「そんなのはあくまでも噂だろう」
ばーかばーか、グレイ様のばーか。
貴族社会の噂がどれだけ怖いか知らない立場じゃないでしょうに。
「それを婚約者がいる貴方が、醜聞を気にした取り繕い出ないと保証する方法はどこにありますか?」
「む……」
流石に気付いたみたいね。
つまるところ、グレイ様がレイラ嬢と禁断の恋をしているなんて話になったら民衆は美談として歌にでもするのでしょう。
でも貴族ではそれは醜聞、あるいは悪評でしかない。
立場が立場というのもあるけれど、王家の決めた一夫一妻の制度を根本からひっくり返すことになる。
最悪の場合「王家の血筋を流出させた」なんて理由で処刑されても……じゃなかった、事故や病に倒れる事になってもおかしくはない。
それに加えてもう一つ。
「そして付加価値というのは持ち主によって変わるのです。ただの鉄の剣も凡夫が作り上げた物であろうとも王家が好んで使っているとなれば名剣に匹敵する価値を得ます」
まぁ要するに王子様お気に入りの女の子と言うだけでも貴族社会では相当なカードになりうるというわけで。
殿下のお気に入りの女の子を交渉の場に持ち出すようなことがあれば、まぁ大変。
直情的な殿下であればその場で切り捨てる可能性もあるけれど、最悪なのは豚公爵の出す条件をホイホイと飲んでしまう事。
些細な頼みごとをいくつか聞いてくれたらいいのです、なんてのは貴族と詐欺師の常套句。
誰にとって些細かというのも伝えてないし、どれだけの頼みを聞けばいいのかもわからないのだから操り人形にされる。
そうなれば国が亡びるのも時間の問題。
そうなる前に、そういった膿をどうにかする人たちがいるのだけれどね。
「貴方方が二人で密会などすれば、数日中にレイラ嬢は学園を去らねばならなくなります。あの公爵の手によって」
あーこの距離だとグレイ様の顔が引きつるのがよくわかるわ。
王子お気に入りの女の子がお手付きされる前に、なんてのはまぁ彼女の話が本当ならやりかねないからね。
「だから私が仲介すると申し出たのです」
「な、なるほど……だがもう少し言い方というものがあるのではないか?」
「あったかもしれませんね。ですがそこは嫉妬心から強い言葉を選んでしまいました。申し訳ありません、レイラ様」
はいはい、嘘です。
嫉妬心なんかありません、グレイ様の前で迂遠な言い回ししても伝わらないから厳しい言葉を選んだだけです。
あと他の令嬢候補へのけん制。
「い、いえこちらこそお気遣いさせてしてしまい……」
まぁこれで物理的に関係を持って云々といった強引な手段をとろうとする輩はいなくなるでしょう。
うん、レイラ嬢だけじゃなくて他のヒロイン候補に対する忠告でもあったわけです。
お前ら不用意にグレイ様に近づくなよ? という。
グレイ様の発言で近づきにくくなるのは駄目だけど、私が牽制する分には何の問題もない。
むしろ悪役令嬢ぽく独占欲みせてるのでいい手段だと自負してるわ。
「ま、まぁ2人がそれでいいというのならばこの話はここまでにしよう。しかしロバート、なぜ聞き耳など立てていた?」
「そりゃまあ貴族様の暴露ネタだぜ。俺達は平民だけどいずれは貴族社会の端っこで働くことも夢じゃない、そんな立場を得たんだから外にせよ内にせよ貴族様の家庭事情は知っておいて損はないだろ?」
「なら入学式も出るべきでしたね……」
ロバート様は馬鹿なんだけれど意外と周囲が見えているんだなぁ……。
いや馬鹿だけど。
案外グレイ様と気が合うんじゃないかしら。
どちらも性格は直情的、片方は普通に馬鹿だけど視野が広く裏でも動けるが身分が弱く資産がない。
片方は資産も身分も最上級で馬鹿ではないけれど視野が狭く、動きを見せれば必ずどこかで察知されてしまう。
この二人を上手く組み合わせたら面白い事も出来そうね。
「ともあれレイラ嬢、このように聞き耳を立てている人も少なからずいますので公の場で家の恥を話すのは今後お控えになった方がよろしいかと」
「そ、そうします……」
こうしてすごすごとレイラ嬢は下がっていった。
よし、完全勝利!
悪役令嬢らしく嫌味も交えながら、それでいてグレイ様に嫌われるような物言いはせずに、ついでに教育もできた!
いう事なしの満点!
と、浮かれていた時期が私にもありました。
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