美しい貴婦人と隠された秘密

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***** 13 - 02

公開日時: 2021年9月18日(土) 10:22
文字数:2,368

 アネイシアから話を聞くつもりで屋敷へ戻ったディトラスは、意外な人物から面会を求められて気をそがれてしまった。

 「マリナが俺に?」

 「はい、奥様の体調について申しあげたいことがあると」

 主人の外套と手袋をうけとりながら執事が告げる。

 「なんの話か聞いたか」

 「いいえ、旦那様に直接お伝えしたいそうです」

 「わかった。書斎へ呼んでくれ」

 重厚な樫の木の机でメッセージカードを整理していると、十分ほどしてマリナがやってきた。

 執事が一緒ではないところをみると、気をきかせたらしい。

 ディトラスはカードの束をわきへ寄せて、椅子に背をあずけた。

 「アネイシアの体調はどうだ」

 「あまりお変わりありません」

 調子のいい日もあれば悪い日もある、という状況がずっと続いているようだ。

 マリナは机から少し離れた位置に立っている。

 主人を恐れているというふうではないが、ある種の緊張感がただよっており、それは表情にも表れていた。

 「彼女について話したいことがあるというのは?」

 率直に問うと、若い女中は前で重ねた手を組みかえ、意を決したように顔をあげた。

 「奥様のご不調の原因はこのところの外出ではないかと思うのです。どうか旦那様からアトリエへ通われるのをしばらくとどめていただけないでしょうか」

 「アネイシアはなにか言っていたか」

 「ロッシ夫人と会うだけなので、なにも心配はいらないと。……奥様は大変忍耐強い方ですが、お身体があまり丈夫ではありません。このまま無理を重ねられてもっとひどいことになるのではないかと心配なのです」

 マリナの憂慮はディトラスにもよくわかる。

 アネイシアがもっとも信頼しているであろう自分の女中にも、最近の行動についてなにも告げていないのは意外だったが、彼女が慎重な性格だというのはわかっていたので納得もしていた。

 「彼女は昔から虚弱なのか」

 「わたしが奥様のお世話をさせていただくようになったのは奥様が十四歳のころからですが、そのときが……おそらく一番弱っておいでの時期でした」

 「大病を患っていたのか」

 「ええ、いえ……」

 いつも明瞭な受け答えをするマリナらしくなく、答えをさがすように言いよどんだ。

 しかしすぐにはっとして続ける。

 「いまは、問題なく健やかでいらっしゃいます。人並み以上に頑健とはいえませんが、たしかに健康で」

 「わかっている。責めたわけじゃない」

 新妻が病持ちだったなどとわかれば大問題だ。

 しかもその事実を前もってあきらかにしていなかったと知れれば、夫婦両家の信用に関わる。

 マリナがそれに気づいて慌てて弁明したのを察して、ディトラスは安心させるために言ったのだった。

 意外だったのは、彼女がアネイシア付きの女中となってからの年数がさほど長くないことだ。

 二人の親密な様子から長年の主従関係かと思っていたが、そうではないらしい。

 「このところのアネイシアの体調は俺も楽観していない。アトリエ通いについては気がかりな点があるため、今後の対処を考えているところだ。これ以上彼女に負担をかけるつもりはない」

 主人の言葉を聞いても、マリナは厳しい表情をくずさなかった。

 「奥様は旦那様を大変信頼し、頼りにしておいでです。どうかよろしくお願いします」

 嘆願したというより、暗に期待を裏切るなと牽制するような語気の強さだった。

 自分はまだ主人を信用していないという含みが多分に感じられて、それは普段の態度からも察せられる。

 ディトラスはマリナのはっきりした性格が嫌いではなく、むしろアネイシアが彼を深く信頼しているということのほうが不思議だった。

 初めて会った結婚式の日以来、まともな夫婦関係を築いてきたとはいえない。

 いや、十年以上昔に本当に会っていたのだとしたら。

 「アネイシアは……」

 言いかけたものの、ディトラスは言葉の先を見失って声をとぎれさせた。

 いったいマリナになにを尋ねられるだろう。

 おまえの女主は子供のころ母親とともに貴族の屋敷で下働きをしていたのか、本当にハイオーニア伯爵の実子なのか、あるいは以前から秘密の恋人がいていまもなおその関係は続いているのか。

 彼のもつ疑惑はなんであれ、ただのひとつもこの年若い女中へ投げかけられるものではなかった。

 もとより彼女はなにも知らないかもしれない。

 かといって、いまアネイシアと顔を合わせて二人で話ができる気はしなかった。

 屋敷に戻ってきたときの勢いはすでになく、自分が完全に理性的な状態だといえる自信がなくなっている。

 不自然に生まれた沈黙のなか、ディトラスは机の引き出しから小箱をとりだした。

 ふたをあけると内側は絹のクッション台になっており、銀のペンダントがおさめられている。

 厚みのある楕円のチャームはよくあるロケットペンダントにみえるが、あけられるようにはなっておらず、表面に精緻な彫金がほどこされている。

 ディトラスはいつもそうしていたように手のなかでなめらかな表面を撫でると、立ちあがってマリナに手渡した。

 「以前拾ったんだが、アネイシアのものだと思う。返しておいてくれないか」

 主人の脈絡のない言動に、女中はとまどった様子をみせながらペンダントをうけとった。

 「わたしは見たことがないお品ですが……」

 「一度彼女に見せてくれ。違うと言われたら、また俺へ戻してくれればいい」

 「かしこまりました」

 いぶかしげにしながらもマリナは丁寧に布で包んで、懐へはさんだ。

 彼女が退室してひとりになると、ディトラスはからになった小箱に目をおとした。

 しばらくそのままじっとしていたが、乱暴に頭をかくときびすを返して書斎を出る。

 とても屋敷にいられる気分ではなかった。

 「馬車を」と命じる主人に執事が驚いている。

 さきほど帰ってきたと思ったら、日も暮れているのにまた出かけようとしているのだから無理もない。

 ディトラスはかまわず「今夜は戻らない」とだけ告げて、足早に屋敷をあとにした。


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