ノックの音がした。
空耳かと疑いたかったが、ノックの音はハッキリと真里菜の鼓膜を震わす。
震える足で玄関に近付き、覗き穴から辺りを確認する。
玄関先には、誰の姿もなかった。
時刻は深夜一時。
こんな時間に誰かが訪ねてくる予定もない。
では、いったい誰がドアをノックしたのだろう?
真里菜には思い当たる相手が一人だけいたが、それは最も当たってほしくない結末なので、無意識の内にその考えを頭の片隅に追いやってしまう。
再び、ノックの音がした。
覗き穴から辺りを確認し、誰の姿も確認できないのに、ノック音はさっきよりもハッキリと静かな夜に響き渡った。
◇
その日の真里菜は、疲れていた。
何に疲れたという明確な理由があるのではなく、発散せず内に込めるタイプの真里菜は、時折溜まりに溜まった疲れに押し潰され、体調を崩す時がある。
それにしても、今回は最悪な気分だった。
肉体的な疲れと精神的な疲れが同時に襲ってきて、正常な判断力さえ麻痺しそうなほど情緒が不安定になっている。
そんな時、一つの都市伝説を耳にする。
『タカノリ君のイタズラ』
ネットで調べても検索に引っかからない程度の、小さな都市伝説。
記憶が曖昧で、自分自身どこでこの都市伝説を聞いたのか忘れてしまったが、気がついたら知識として脳にインプットされていた。
夜中の一時に玄関を開け、お皿の上に何らかのお菓子を用意する。
お菓子は何でもいいが、一つだけ条件がある。
それは、自分の力で叩いて砕ける程度の固さであること。
砕けないような柔らかいものでも、砕けないほど頑丈でもいけない、適度な固さ。
真里菜は、程よい固さのクッキーを用意し、開け放たれた玄関に呼びかける。
「タカノリさん、タカノリさん。お菓子の準備が出来ました」
呼びかけても、何も変化は起きなかった。
霊を呼び出す系統の、危ない都市伝説。情緒不安定だった真里菜は軽く自棄になり興味本位で行ってしまったが、タカノリさんと呼びかけた時に少し理性が戻り、自分のとった軽はずみな行動に後悔をしていた。
何も怒らなくてよかった。
そう胸を撫で下ろした刹那、微かに足音のような音が聞こえた。
思ったよりも時間がかかったが、都市伝説どおりの展開になってしまっている。
こうなったら後には引けないと、真里菜は忠実に都市伝説を遂行してみることにした。
足音が近付いてくる。
まだだ。
まだ、遠いい。
だいぶ近付いてきた。
そろそろか?
もう、いいだろう。
今がそのタイミングだと 真里菜は力いっぱいクッキーを叩き割った。
すると、足音は大きな音を立て、それだけではなく壁を叩く音などが激しく響き渡り、想像していたラップ音とは違う音色が部屋を支配する。
取り返しのつかないことをしてしまった。
震える足を強引に立たせ、後悔しながらお皿の上を見ると、砕いたはずのクッキーが綺麗さっぱりなくなっている。
この部屋に居たら、とにかくまずい!
真里菜は、靴を履く時間さえも削り、玄関を開けたまま部屋を飛び出した。
靴を履いていないので、コンビニなどの店に立ち寄ったら目立ってしまうため、人目のつかない場所を歩き続け夜を明かし、早朝なら幽霊は消えているだろうという希
望を胸に部屋へ戻ってみる。
部屋は、静寂を取り戻していた。
物音のしない室内に安堵した後、真里菜は慌てて泥棒に入られていないかを確認する。
気が動転していて、ドアを開けたまま部屋を飛び出してしまった。
これでは、不法侵入してくださいと言っているようなものである。
一通り、紛失したら困る物が残っているか確認した結果、全ての貴重品が無事に確認できた。
これで、全てが元通り。
そうこころがやすまったじかんは、残念ながら長く続かない。
ノックの音がした。
時刻は、午前一時。
空耳かと疑いたかったが、ノックの音はハッキリと真里菜の鼓膜を震わす。
タカノリ君のイタズラを実行した日を境に、午前一時になると必ずノックの音が聞こえるようになった。
我慢していれば、いつか治まる。そう信じて一ヶ月過ごしてきたが、ノックが鳴らない夜は来なかった。
このままでは、ノイローゼになってしまう。
自身の力で、何とかしなくては。
そう決心した真里菜は、今日は逃げないでノックの音に向き合うことにした。
午前一時。
トントン。
今日も、ノックの音が聞こえる。
覗き穴から外を確認するが、やはり誰もいなかった。
誰もいないが、ノックは鳴り止まない。
トントン。
連続してではなく、何分か置きに二回ノックをされる。
トントン。
このままでは、いけない。
ドアを開けるまでの勇気が出ない真里菜は、二回ノックされたあと、相手への意思表示として二回『トントン』とノックを返した。
すると、真里菜のノックに反応するように、再び二回ノックが返ってくる。
今までは、連続してノックの音が響くことはなかった。それが、今回は自分のノックを挟んでだが、連続してノックをしてきた。
何かが、動き出したんだ。
良い方向に進んでいるのか、悪い方向に進んでいるのかは分からないけれど、明らかに進展はしている。
その進展を止めたくなくて、真里菜も二回ノックを返す。
すると、やはり間髪を居れずに二階ノックが返ってくる。
進展してからの、足踏み状態。
もう一歩、先に進まなくては。
ノックが二回返ってきた後、真里菜は思い切って返事をしようと声を発した。
恐怖で喉が縮こまり、冷静さを欠いた真里菜はこう返事をする。
「入ってます」
その返事の後、すぐにノックは返ってこず、ひと時の間が空く。
今の返答は、まずかったか?
それとも、ベストな返答をしたからノックをしなくなったのだろうか?
様々な疑問が頭を支配してから数分後、真里菜に一通のメールが届く。
受信したメールには、差出人の名も、差出人のアドレスも表示されていない。
件名は『先ほどの返答について』と書かれている。
明らかに、普通ではないメール。
開いたら呪われるかもしれないが、開かないのもそれはそれで怖いので、真里菜は思い切ってメールを開いてみた。
【入ってますって、トイレかいΣ\(゜ロ゜ )!】
幽霊に突っ込まれた! しかも、顔文字付きで!!
「あの…怒ってますか?」
もう、どうにでもなれと幽霊に問うと、今度はすぐにメールが返ってきた。
【怒ってる? なんで(?∀?)】
どうやら、幽霊…タカノリ君はメールでコンタクトを取るのに積極的なようだ。
「お菓子が用意できましたと言っておいて、近付いてきたら砕いたから」
【いや、あれは寧ろ嬉しかった( •̀ ω •́ )✧】
「どうして?」
【小さい方が食べやすいっす( ̄∀ ̄)b♪】
「砕いたら、怒ったように壁を叩いたりとかで音を鳴らしまくったじゃない」
【いやー、あれは嬉しくって、ついはしゃいじゃって(〃▽〃)】
「じゃあ、あの音の後にお菓子がなくなってたのは、もしかして食べたから?」
【ぽっ(/ω\*)】
なんだか、相手は幽霊なのに怖さがまったくなく、一ヶ月もタカノリ君に怯えていたのが馬鹿らしくなってくる。
【ここに来ればお菓子をもらえるかなと思って、毎日来てたんだけど、今日はお菓子ないっすか(´∀`)?】
真里菜は、最近の買い物を思い返す。
そういえば、一昨日に買ったクッキーがまだ残っていたはずだ。
ドアを開ける。
「少しならあるけど、食べてく?」
【まじっすか(≧∇≦)】
足音が、横を通り抜ける。
タカノリ君が室内に入ったと確信した真里菜はドアを閉め、リビングに移動しクッキーを用意した。
クッキーが用意されると、すぐにタカノリ君からのメールを受信する。
【砕いてもらってもいいっすか?】
希望通り、クッキーを砕く。その直後、室内に以前と同じような騒音が響き渡る。
「はしゃぐな!」
すかさず注意すると騒音は鳴り止み、同時にメールを受信する。
【ついf^_^;】
なんだか、室内に騒音が鳴り響くのはポルターガイスト現象なのだろうけど、あまりにも幽霊らしくないタカノリ君の言動にため息が出てしまう。
「メールで意志が伝えられるなら、早くからそうしてくれれば良かったのに。ノックを繰り返すだけなんて趣味が悪いわ」
【メールで意志を伝えるという手段を、さっきまで思い浮かばなかったんっすよ。ノックの後に『入ってます』なんて返事をするから、これは突っ込まないとと考えたら、メールだと思いまして】
「まぁ、映画とかでも幽霊から着信がある展開とか少なくないもんね」
【自分、ホラー映画とか好きなんっすよ。で、今まで観てきた映画がヒントになったかな】
なんて呑気に話をしていたら、いつのまにかクッキーはなくなっていた。
真里菜の視線の先に気がついたのか、なくなってると気づいた後のメールの内容は。
【おかわり!】
メールの内容に笑みが零れそうになったが、真里菜は我慢してつんとした態度で返事をする。
「駄目」
【しょぼん(´・ω・`)】
「残りは、また明日」
そう伝えると、室内は今まで以上の騒音に襲われ、真里菜は慌てて『騒ぐんじゃありません!』と注意した。
了
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