令和23年5月7日12時25分頃、県立殻雲南高校での火災。ケガ人は生徒3名、いずれも軽い火傷。出火時運悪く火元近くに居た、2年4組桜木葵。そして───
「ケガ人を助け出したのはお手柄と言いたいところだがな、勝手な判断で火に突っ込むなんてとんでもないことだぞ!」
「ごめんなさい……葵が心配で……」
2年2組、葵の義弟、桜木千秋。
「ごもっともでぃーす」
1年2組、赤の他人、雲居晴人。
「真面目に聞けっ!!」
「俺は止めたんすけど~~」
一夜明け翌日の放課後、2階、第一選択教室。炎の中で何やらカッコよさげな大立ち回りをやらかした2人は、至極真っ当な理由で生活指導教諭に叱られていた。現実は非情である。
千秋の能力、【透明化】で現場から離れた晴人たちだったが、そのまま消えていては遺体も見つからない大事件になってしまう。色々とムリがあったので、晴人の口八丁十丁、十三丁くらいでなんとか『葵は運悪く出火の現場に居合わせ、晴人と千秋はそれを助けに行った』ということに落ち着かせた。ほとんど事実なので何もごまかされていないが、楓の存在を隠し通せたことは大きい。
「火事、地震のときはまず自分の安全を確保!」
「そうですよセンパイ」
「お前にも言ってんだよ!!」
「だから俺は止めたんですって!『まず自分の』ってそれも俺言った!」
「ごめんね晴人くん~」
千秋は今にも泣きだしそうだ。晴人には特に割を食った意識も無い。死人が無けりゃまあ、何よりで。後はどうでもいいことだ。
「ってか、火元とかわかったんすか?」
能力による特殊な火災現場がどのように判断されたのかには少し興味がある。
「……話をそらすな」
「ヴぇー」
「とにかく、余計な不安がひろがらないよう、このことについての話は控えるように。いいな?」
「は、はい」
「えーす」
最後まで適当な晴人に何か言いたげなカオをしながら、男性教諭はきびきびと教室を出ていった。
(……どっちが話逸らしてんだよ、ったく)
火事があったのに何も燃えていない、でも火傷した生徒はいる、奇妙な校舎がどう判断されたのか。直接聞くことはできなかったが、生徒全体には『校舎に損害が出ない程度のボヤ』だったというような、なんだか曖昧な言い方で周知された。今しがた晴人たちが食らったのは説教であり、口止めでもあるのだろう。
「晴人くん、僕のせいで怒られちゃって、ごめんねぇ」
「ん、べーつに、小学生じゃありませんしそんなんでヘコみませんよ」
「うん……それと、ありがとう、助けてくれて」
「───あたしからも。昨日はありがとう」
声に振り返ると、制服姿の桜木葵がこちらにやってきていた。
「あれ、どうしたんすかこんなとこまで」
「お礼、言わなきゃなと思って」
「そりゃわざわざどーも。……火傷、悪いんですか?」
昨日は火事騒ぎが落ち着いた後、全校午後の授業及び部活無しで下校となった。今日は普通に部活があるはずだが、葵は制服姿だ。
「ううん、走るぶんには問題なし。軽いヤケドでよかったよ」
そう言って笑う葵は、でもやはりどこか無理しているようにも見える。
(まぁムリもないわな。……大丈夫、ってけっこうレアな状態だと思うんだけど)
人間はすーぐ『大丈夫』と言う。『大丈夫』以外の答えを想定せずに『大丈夫?』と訊く。晴人には理解できない。
(まどうでもいいけど)
本人が大丈夫だと言ってるんだ、大丈夫なんだろう。うそつきはどろぼうのはじまりだからな。俺は詳しいんだ。
「先輩も陸上部なんでしたね」
「そ、陸部」
「僕は帰宅部~」
「……………………」
なぜか葵が微妙な貌をする。
(帰宅部に厳しいのか? 俺も帰宅部なんだが)
「葵、すっごい速いんだよ!」
「へーえ。雨の中朝練とか聞きましたけど、ウチの陸部強いんですか?」
「んー、公立にしては、くらい? 進学校だしね、一応」
「へーえ」
「推薦とかもあったんでしょ?」
「スポーツ推薦? すごいっすね」
私立の推薦を蹴ってわざわざ公立に来たのか。
「まあ、自分で言うのもだけどあたしはちょっと抜けてるかな」
「え、葵、抜けちゃってるの……? もう一回入部しなきゃってこと?」
「ちょっと黙って」
「???」
義姉弟の(おそらくはごく日常的な)やりとりを傍目に、晴人はまた考える。左の拳を唇に当てるのは考え込むときの癖だ。
「ま、そんなこと言ってるから楓に怒られるんだけど。『才能あるくせにもったいない』って」
「……才能」
「そう、雲居くんを巻き込んだのは千秋だけど、原因はそもそもあたしにあるんだ。ケンカしちゃってさ」
やっぱりか。
「才能、ですかぁ」
「才能っていうか、うーん……あたし実際めちゃくちゃ練習してるわけじゃないからさあ。楓だってウチの中じゃ速い方だけど、あの子は相当練習頑張ってるから」
どうしてもイヤミっぽく聞こえがちだが、別に悪いことをしているわけではない。これが持つ者か。果たして自分の能力は才能と言えるのか、夢で問おうとしたところで目が覚めたのを思い出した。昨日は明晰夢を見ない日だったので、その議論は進んでいない。才能とはなんなのか。それは努力の結実でしかないのか。あるいはその成り方を決めるのが才能なのか。持たざる者は羨む。自分がそれを持っていればもっと活かすのにと。かといって才能を持つ者にそれを行使する義務は無い。当然、無いのだ。望んだ才でも無いのだから。
「昨日も呼び出されて、その話で言い争いになったんだ。……そしたらあんなことに」
思い出したくない、というように顔をしかめる。
「呼び出された?」
葵が頷く。
「連絡来てて、サンセンに来いって。」
「サンセン」
「ああ、えーと、第三選択教室? あの1階の。1年生はまだ使わないか」
火事騒ぎの時、葵がいた教室だ。
「そこに、呼ばれた……」
そもそもなぜあの現場、というか学校に楓がいたのか謎だったが、楓があそこに葵を呼び出したということらしい。
(にしても、なんでまた……色々と)
不満があったにしろ、なんだってわざわざそんなところに姉を呼び出したのか。それ以外にも謎は尽きない。
「……その楓さんは? 大事は無かったみたいですが」
晴人がそう言えるのは、今日は楓が、午後からだったが登校してきていたからだ。(晴人が存在を認知していなかったことから)元から騒ぐタイプではなかったのだろうから、普段との様子の違いはよくわからなかったが。
「うん、大丈夫なんだと思う。」
「思う。」
晴人が繰り返し、曖昧な言い方の心を問う。これには千秋が答えた。
「……あんなことの後だったし、あんまりムリにはきかなかったんだけどね、なんにも話してくれなかった」
「うーん」
晴人はまた左の拳を唇に当て、ぶつぶつと呟きだす。
「能力を獲得したタイミングの問題か? 炎を扱うのに場所を選んだ?」
「……昨日の、あの火はなに?」
『炎』という単語を聞き、葵が割って入った。
「何? 何って楓さんの能力でしょう。」
状況から見てそれは間違いない。それを聞いても、葵はなんだか不安そうな顔をしている。
(なんだ? 妹の罪をもみ消すつもりか? そもそも能力で~なんて罪に問えないけど)
「能力ってそんな、そんなの……」
「ああ、うーんと」
どうやら今度は晴人が才能を紹介する番のようだ。
(そうか、錠の存在自体……千秋先輩のを知ってると言っても受け入れがたいのか)
義理の家族である千秋の能力、【透明化】。それを知っていたとしても、『そんな感じでみんないろんな能力を持ってるんですよ~』と言われて受け入れられないのも自然なことだろう。
晴人の眼から青い稲妻が走る。同時に、晴人の腰元でカチャリと音がした。床から例の【青い糸】を伸ばし、スラックスのベルトループに留めてあったそれを器用に外して見せる。
「やっぱり、それ……」
千秋が嘆息する。『才能』などと呼んだりもしたが、晴人の能力は生まれつきのものでは無い。かと言って、ある日何の前触れも無く現れたわけでも無い。これを手に入れた、その日からだ。
(なんだよな、そんなの)
バカげていると晴人は思う。バカげている。
───才能を持っている者がいる。
(俺には何も無かった)
───努力で勝ち取る者がいる。
(別に欲しいものもほとんど無かった)
もしかしたら、それは何かの間違いだったのかもしれない。ヒト科の生物に生まれたからには、持った力を存分に振るい、努力を以って何かを手に入れるのが正しい在り方なのかもしれない。だとしたら晴人は間違っている。
間違っていたら?
───後から修正を入れればいい。
セカイのデバッガーたるカミサマがいるとしたら、そう考えたのかもしれない。才能も、努力の気概も無かった少年には、奇妙な力が与えられた。それは南京錠の見た目をしていた。ただし本体はよくある鈍い金色ではなく、暗い銀白色をしている。形は歪で、埋め込まれた小さな青い石が鈍い光を放っている。この不思議な錠は、晴人の意思一つで開閉し、開いているときには晴人に【糸】の能力を与える。どんな理屈だと聞かれても困る。文句はカミサマに言ってくれ。なにしろこの錠を持っているのは晴人だけではない。そういうものなのだ。
「僕だけ持ってるんだと思ってた」
千秋が自分の錠を取り出して見せた。形の歪み方は少し違っているし、埋め込まれた石は黒色をしているが、銀白色の程度はほとんど同じに見える。パッと見でも「同じもの」だ。
「楓が持ってたのとも、同じだ」
葵が苦しそうに呟いた。
「まぁつまり、錠は使うと透明になるモノってわけじゃなくて、開いた人によって違う───うーん、能力としか言いようが無いですねぇ。能力が使えるようになる、ふざけたアイテムなんですよ」
「…………」
葵の顔色が見るからに悪い。千秋は特に落ち込む様子無く、自分の錠と晴人の錠を見比べている。
「晴人くん、くわしいんだね」
千秋が感想を述べる。晴人は困る。何の気ナシなんだろうが、なかなか鋭い。
「まあ、他の錠持ちを何人か知ってるので……」
言うべきか、言うまいか、迷って結局言った。葵にとっては進んで知りたくない話だろう。
「そ、そんなにいっぱいあるの、これ」
「さぁ、どうだか」
これは気を使ったわけではなく、当然どこぞの製品というわけもないので、どの程度世に出回っているのかはわからない。
「ま、楓さんはなるべく錠を開くべきじゃないとだけ言っときますよ。……能力を得たものの上手く扱えずに大変なことになることも、あるみたいですから」
晴人はそう言い残し、廊下へ向けて歩き出した。錠をもとどおりベルトループにかける。ロックがひとりでにかかり、晴人はただの高校生になる。
「あ、待って」
呼びとめたのは葵だった。
「楓、見てない? あいつも謝らせようと思って呼んだんだけど、既読つかなくて」
「別にいいですよ。成り行きと興味です、特に助けたつもりもありません」
晴人がまた歩き出し、しかししばらくしてまた立ち止まった。今度は呼び留められたわけではない。思い出したのだ。
「あれ、でもジャージに着替えてたのを見たような? 気がしてきました。普通に部活行くんだと思って気にしませんでしたけど」
「ホントに? 今日はやめとけって言ったのに……わかった、部活の方探してみる!」
「じゃあ、えーっと、僕は図書室とかも見てみようかな」
千秋が手を上げて宣言する。なんでそうなる───
「んじゃ、俺は帰りまーす」
───というツッコミは飲み込み、晴人は帰ることにした。
「じゃあ3階のチェック任せた!」
葵がビシッと晴人を指した。
「おおー、人は自分の都合の良い情報しか聞こえないようになってんだなァ」
「ありがとう!」
千秋が屈託の無い笑顔で感謝する。
「マジかよ マジなのかよ」
分担を決め(?)、葵は1階への階段を下りて行った。千秋は早速2年生の教室を覗き込んでいる。
(さすがにそこにはいない気がするが……まぁいっか)
晴人は3階への階段を登りながら、また別のことを考えだす。今回の一件、姉の才能を妬んだ妹が能力なんてものを手に入れて、そして姉妹の間でなんのやり取りがあったにせよ、能力をうまく扱えずに火事騒ぎに。そして、収束。それでめでたしにしてもいい。他人である晴人はそうだ。だがこの筋書き、言うまでもなく物語としてはめちゃくちゃだ。火事騒ぎを起こしておきながらアッサリ収束するのは、能力沙汰なのでしょうがない。なんだ能力沙汰って。……ただその能力が問題だ。桜木楓はその能力を、錠を如何に手に入れた?
「ふー、む」
成り行きと少しの興味。晴人の動機は大抵の場合それに尽きる。決して照れ隠しではない。結局はすべてどうでもいいことなのだ。
(にしても、もうちょっと噛ませてもらうかな)
折よく5時のチャイムが響きだした。よい子はお家に帰る時間だ。
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