「先輩の初恋はいつですか?」
「へ!?」
千秋が文字通り目を丸くして驚いたカオを作る。通りすがりの女子がこちらを二度見した。この美少年が晴人を訪ねてくるのももう何度目か。奇異の目で見られることは無くなってきたが、この話題は聞き捨てならなかったらしい。
「うーん……」
晴人はなにも本当に恋バナがしたかったわけではないので、また何やら考えて唸った。千秋もフリーズしたままだったので、この話題に進展は無い。嗚呼、名も無き少女Aにまた次の機会にでも碧眼美少年とのロマンスあれ。通りすがった彼女はやや名残惜しそうに教室を後にした。そして出口扉をくぐってまた二度見をした。今度は千秋をではなく、そこに立っていた見慣れぬ私服姿の男を。───いや女性か? そう思って三度見した。服装こそ男物のトップスにジーンズという出で立ちで身長もそれなりだが、長髪を後ろの低い位置で縛っているし、長い前髪のかかる顔はどこか中性的な印象を与える。歳は若いが、それでも大学生くらいに見える。服装と合わせて考えるとミナミコーの生徒では無いだろうし、教師ではないのは言うまでもない。その彼、もしくは彼女が腕を組んで立ち、1年2組の教室の中を眺めている。面持ちは真剣だ。───OB? でもなぜ2クラに? などと考えていると、当の本人と目が合ってしまった。
「こんにちは」
真剣な表情を崩し、こちらへ微笑む。黒白のキャップを留めたカラビナが揺れる。高めの声ではあるが、聞くにやはり男性だろうか。
「こ、こんにちは!」
慌てて挨拶を返す。
「ちょっと聞きたいんだけど、クモイくんってあの子かな?」
そう言って彼が指さしたのは、少女がさっき二度見したまさにその辺り。
「そうです、あの眼鏡の……」
「へー」
さも面白いことのように目を細める。どうしてそんなことを訊くのか、とはなんとなく訊きにくかった。雲居が何か盗んだとか盗まないとか、聞いた話も頭をよぎった。
「ありがとう、引き留めてごめんね!」
「は、いえ」
適当に会釈をしてその場を離れた。嗚呼、来世にでも長髪男子との逢瀬あれ。
(ふーーーむ…………)
長髪の男は少し視線を泳がせて、また雲居晴人に戻した。全国どの学校どのクラスにもいそうな地味な眼鏡男子。依然、こちらは探すのにだいぶ骨が折れそうな美少年と何やら言い合いをしている。なんだか和気あいあいという感じもしないが。
「ん」
男のスマホに着信があった。周りを見渡す。放課後間もない廊下、階段にはそれなりの人通りがある。下りるよりは、と考え階段を半分上り、踊り場で取った。
「へい、アスカちゃんです」
気の抜けた応答をする。それに対する電話口の女性の声は冷ややかだ。
「えー、いいじゃん別に。うん、一通り話は聞いて、校舎見て回ってるとこ。───え? 目立───つかもだけど、そんなに話しかけられたりは無いよ? 今?階段の途中。別に人いないよ」
部活やら帰宅やらで降りていく1年生は多いが、放課後こちらへ上ってくる生徒はほとんどいない。
「うん。──────へえ。電話で? 全員出せ、かあ……。 実はねー、2人組を見つけまして。んー、なんとも言えない。───いやふざけてないって!───そう、生徒。───うん、了解」
通話を切ったスマホをパタパタと弄ぶ。
(全く関係なかった時だよな~、どっから見つけよ 囮みたいなことしていいのかなぁ 警察のなんかそういうのどうなってんだろ)
スマホが短く振動した。今度はメッセージだ。
『こちら宇藤先生から頂きました。盗難とはなんのことですか?』
文書ファイルが添付されている。───『盗難被害を申し出た生徒の一覧』。肩掛けカバンからクリアファイルを取り出し、その中から1束の書類を取り出す。これは今日の昼休みに保健室を利用した生徒の名前のリストだ。これと今受け取ったファイルの中身を交互に確認する。
(……うん、ケガをした生徒とだいたい一致する。もっと言うと───ボタンを取られた子はケガはしてないのかな? 教科書、問題集、シューズケース───割とバラバラだけど、ボタン以外を取られた子はみんなケガしてるっぽいか?)
少し笑いながら画面をスクロールする。
(ほんとに探偵らしくなってきたじゃないの)
「だからー、別にその……今回の……がそうかもってだけっていうか……もういいんすよ初恋の話は!」
「そうなの? だって急にそんなこと言うから…………」
所詮はただの高校生、視線を気取るはずもない晴人は、うっかり『初恋』なんて口にしたもんだからこれまた千秋と面倒なことになっていた。
「そういう話なら葵の方が……」
「だぁら違うんだって!」
つまり話はほとんど進んでいない。
「今回は全員、ケガと言っても軽傷だったんでしょう?」
「そうみたい。……あ、そういえば、けっこう大きなキズだったはずなのに急に治っちゃった子がいたんだって。これも能力……のせい?」
「……かもですね。それか、パニックでなんか勘違いしたのかも」
個々人は軽傷で済んでいるためか学校としてそこまで大きな騒ぎになっている様子は無いが、それでも実害は先月楓が起こした「火災」をはるかにしのぐ。
「それに、もし俺の思ってる通り色恋が絡んでたら、……なんか、次なんかあるかもなって思ったんですよ」
「…………」
黙り込む千秋の顔は、一見物憂げに何か深いことを考えている表情にも見える。だが晴人にはなんとなくわかる。
(全然ピンと来てない顔をしていらっしゃる…………)
「…………あ。そういえば晴人くんが昨日調べてたのって、もしかしてリサちゃんの机? ほら、5組で」
「は? 見てたんですか?」
「あぅえ!」
「あぅえ?」
あからさまに焦りだした。昨日5組とはつまり千秋と真帆乃が透明状態で晴人を目撃した一件であり、そのことはとりあえず黙っているようにと真帆乃から釘を刺されていたのだった。
「まぁそーすよ。えーと、どっから話したもんか。2組のサッカー部で、ひとり、まー、訳あって俺が疑うとしたら彼───な人、野田くんっていうんすけど、が、いるんですよ。」
そもそもあのタイミングでロッカーを開けさせ、それをクラス中に知らしめたのは彼だ。確たる証拠は無いが、晴人はずっと疑ってはいた。
「んで、昨日の帰り楓さんに出くわしまして。そいやサッカー部じゃんってんで野田のこときいてみたら、どうも最近フラれたらしいと。その相手ってのが大戸さんでして。で大戸さんはボタン盗られてると。で一応───あ、許可は取りましたよ? 制服だけ確かめさせてもらいました。まぁ、別に、確かにボタン無いなーってだけだったんですけどね」
「それを調べてたんだね、よかったぁ……」
「?」
千秋がほっとした顔をする。晴人にはいまいち何がなんだかわからない。
「で、そう、彼女、ケガもしたんでしょう? 人の被り方からして、盗むことがみんなにケガをさせる能力の発動条件みたいになってる可能性はありそう……まぁ、たまたまと言われて論破できるだけのものはないんですが」
それでも、野田が『物を盗んだ相手を遠隔から傷つける』、そういう能力を持っていれば筋は通る。
「???」
今度は千秋がよくわからないという顔をした。
「え、そのサッカー部の子が……物を盗ったのも、みんなにケガをさせたのもその子ってこと?」
「かもなーってだけですけどね」
「その子がリサちゃんのことがすきだから?」
「まぁそういう前提のもとですね」
「それは……違うんじゃない?」
「そすか? 矛盾は無いと思うんですけど」
「だって好きな子が困ること、しないんじゃない?」
「……ま、そうであってほしいですけどね。相手のものだったらなんでも欲しくなったり、とかあるのかも」
「ケガは?」
「自分のものにならないならいっそぶっ壊れちまえってことも、あるんじゃないですか」
「…………」
気づけば教室に残っているのは2人だけになっていた。しばしの沈黙が流れる。
「ま、当然それを根拠に詰め寄るわけにもいかないんで、とりあえず今日の放課後は見とこうかなーと」
「何を?」
「野田を。今日は普通に部活出てるみたいなんで、まあなんかあったら校庭がザワつくかなって」
晴人が今一度校庭を見下ろす。どれが誰かまではわからないが、今のところ見た目に何か異常は無いようだ。
「…………」
話すことは一通り話した。ここで爆発でも起きてくれればテンポがよいが、時間は依然穏やかに過ぎていく。当然のように、あるいは当然に。千秋は、好きな異性を傷つけうる、その感情について考えるともなく考えていた。晴人はなんとなく、未来の自分がこんな日々を「青春」と呼称していないといいな、と思った。
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