「眼から、血が……」
「え? あれ、ほんとだ……」
千秋が眼から流れた血を指で拭う。
(能力の使用限界だ……)
強力な能力だと思っていたが、案外時間制限が厳しいらしい。異郷への潜入とやらで少なくない時間使ったのもあるのだろう。
(【透明化】が使えないとなると……)
結局晴人1人だったときと状況はほとんど変わっていないということになる。
「……逃げるのが精々か」
「ええ!? いや、大丈夫だよ、いけるよ!」
「いやどーにもならん」
「僕たちならいける!」
「根拠が無い!」
「楓も真帆乃ちゃんもいる!」
「いやアイツらもいるのかよ!?」
「あ、別の場所で隠れてるよ」
「いやでも……」
楓の能力では少なくとも距離を詰めなければ相手にならなそうであるし、真帆乃は───
(できることならアイツには頼りなくない……が)
「ッはは、お前ら、もう逃げられねェよ!!」
また女が叫ぶ。
「パニックで電車止まってるってよ! 今から駅行って残ってる奴ら全員殺してやるからよー、嫌だったらさっさと出てこい!」
「ど、なんとかしないと……」
「…………」
電車に乗れず駅に残された人を見捨てれば、やり過ごすことはできるかもしれないが───
「駅にはまだ楓と真帆乃ちゃんもいるのに!」
「ほんっと何しに来たんだよ!! ッもーーー」
そういうわけにもいかなくなってきた。
「楓サンがいるならどーにか焼き殺……いやそんなこと頼めねー……とか言ってる場合じゃねー……けど……」
「……ねぇ晴人くん」
「あ?」
「今日勝てたらさ、僕らトモダチになろうよ」
汗で湿った黒い前髪をビル風が揺らした。晴人はまだ気づいていないが、今日の空は快晴だった。
「……んだそのしょーもない死亡フラグみてーなの」
「晴人くんは一人が好きなの?」
「そうじゃないけど」
「でも友達は要らないの?」
「……それでいい」
「ふーん……まぁ友達じゃなくてもいいんだけどさ」
千秋が前髪をかき上げる。
「……行こうか」
「いや行かないけど」
「あえ?」
「まだ無策やねんぞ」
───殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した。郡山美里は荒々しく息を吐いた。大学に受かって上京してきて、周りに馴染めずに、ある日ベッドから起き上がれなくなった。あっという間にどの授業も出席日数が足りなくなって、漫然と毎日を寝過ごして、何かを変えるきっかけが欲しくて───気づいたらこの様だ。なんだか大層な能力を与えらえて、他の能力者を殺さなければ命は無いと脅されている。
(まぁいいや)
───殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した。どうせ私が生きていけない世界だ。私を独りにした、見放した世界だ。どうにでも壊れてしまえ。
(殺してやる)
ヒーロー気取りのガキ2人、腹が立つ。殺してやる。駅の入り口に向かって歩みを進める。あの混乱の中わざわざ向かってくるような奴だ。こうすればどうせ出てくるだろう。恐れをなして出てこないのならそれでもいい。駅に残った人間全員殺して、その中に能力者がいようがいまいが、私は言われたことをやった、向こうも文句は無いだろう。そしてあいつら2人は一生後悔すればいい。
「ッ!?」
突如、身体の左右をそれぞれ青い筋が駆けていった。
(また能力者!? ……いや違う、さっきアタシの炎を止めたあの壁と同じ……!?)
慌てて振り返るが、そこには誰もいない。飛んできた糸の先はそれなりに遠くまで伸びてビル陰に消失している。
(何!? なんのつもり!?)
考えがまとまる前に後ろから熱が迫り、気づいたときには左右の糸が激しく燃え上がっていた。
「熱……!!」
かなり長い距離を糸に囲まれているので、抜けられない。無我夢中で片方の糸に向けて火球を放つ。確かに命中した手ごたえはあったのに、糸はその形を保ったまま燃え続けている。
「なんで! さっきは燃えて消えたのに……!」
「……もう逃げられませんよ」
背後から声がした。勢いよく振り返る時に一瞬顔が炎に向き、よりいっそう熱を感じて嫌な汗が背中を伝う。そこには少女───乙倉真帆乃が立っていた。右目に赤い光が揺らめいている。
「……また能力者!? あんたら一体なんなの!?」
「ナニと言われると、えっと……」
千秋なら胸を張って「テドベ」を名乗るのだろうか、とよぎるが、いや、さすがに。
「それはまぁ……いいとして……そろそろ警察の人も来るはずです。お願いだから大人しくしてください」
美里が何か言い返す前に、左右の糸がゆらりと動きその幅を縮めた。揺らいだ炎が頬の側を掠める。
「し、死にたくなければ……大人しくしてください」
「ね、ねぇ、真帆乃ちゃんに任せてよかったの?」
2人の影を遠巻きに眺めながら千秋が心配そうに言う。
「ん? まぁ、俺らが並んでもたいした威圧感出ねーしですね」
「そうじゃなくて、危ないでしょ? あの人が攻撃してくるかもしれないし……僕だったらそうなっても【透明】になれるのに」
叶うなら相手を傷つけずに無力化するために晴人が立案した作戦。それは、晴人の【糸】で挟み込み、それを楓の【炎】で燃え上がらせて、糸が焼け切れるのを真帆乃がなんとかし、そしてまた真帆乃が説得に当たるというものだった。
「あんたはもう限界が来てるし、こっちの最高戦力はアイツだからなぁ……」
「うん……え? せんりょく?」
「あれ、まだその話になったことないっすか?」
「真帆乃ちゃんの能力って、【ケガを治す】……だよね?」
確かに、千秋は真帆乃がその能力で致命傷を一瞬で完治させるところを見ている。
(……てっきり俺がいないところで仲良ししてる過程で話してるかと思ってたな)
晴人は糸の先、真帆乃の姿に目線を遣って、眼を細めた。
「全然違います。消耗が激しいのが難点なんですが……それさえ考えなければ、アイツに勝てる奴はそうそういませんよ」
「なんで……なん、で」
美里が掠れた声であえぐ。大人しくしろと言われてハイそうしますとなるわけもなく、火球を放ってこの生意気な小娘の顔面をぐちゃぐちゃにしてやる───そのつもりだった。一発目は真帆乃の眼前で突然消えてしまった。二発目は放たれた途端に消えてしまった。打ち消されたという様子もなく、まるで全てが嘘だったかのように。三発目からはもう撃ち出すこともできなくなった。───使用限界? そんなはずはない。───コイツだ。コイツが何かしているとしか思えない。
(負ける? ここまでして、結局───負けて、全部終わる?)
実感が毒のように全身を這い回り、力が抜ける。美里はぺたんと尻餅をついた。右耳のイヤリングがカチャリと音を立てる。───次の瞬間、晴人と千秋がいたのとは別のビル陰から飛び出した者があった。
「そこを動くなァァァ!!」
(梨依奈さん!?)
梨依奈が例のスタンガンを抱えて駆けてくる。真帆乃が一瞬取られた視線を美里に戻すと、いつの間にか彼女の隣には中年の男が立っていた。
「え!?」
真帆乃が自分の目を疑う。
「───ッ!!」
最悪の事態が過った晴人が【糸】に意識を向ける。
(────問答無用!!)
梨依奈はしゃがみこんで狙いを付け、スタンガンを放つ。
「……お前はまだ使えるからってよ、よかったな」
男がそう言ったのが真帆乃には聞こえた。後はもう、糸の間隔が閉じるのもスタンガンも間に合わなかった。そのときにはもう、2人の姿は消えてなくなっていたが故に。
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