たくさん約束をしていた。夏になったら海に行こうだとか、服を選んでもらうとか、一緒のゲームをするとか、先のことだとか。それは全て無かったことになったらしい。約束をしたその時には本心だったから許してほしいと言われた。そんな言い分が社会のどこで通用するのだろうと思った。当然答えは『恋愛』だった。許さなかったところでどうなるものでもなかった。彼女は圧倒的に無罪で、潔白で清廉だった。いろんな約束を大事に抱えていた自分だけが罪深くて小汚くて惨めで哀れだった。
「……死ねばいいのに」
「ハルト?」
少し低くてよく通りそうな声だ。もう聞きなれた声。晴人はゆっくりと目を開いた。
「なんだか……苦々し気な顔をしていたようだけれど」
「そう? 悪夢でも見てたんじゃねーの」
「キミまだ起きてないけどね」
アンセはいつも口に手を添えて笑う。それ自体はすごくフィクション的な仕草に思えるのに、その見た目のおかげか見た目に不自然にはならない。アニメを見ているようだと、晴人はよく思う。
「何かあったのかい?」
「別に? あー、まーた千秋先輩がなんか言い出したけど。絡みが増えるかもしれん」
「いいことじゃない」
「んー、なんか面倒なことにもなりそうなんだよなぁ」
晴人は一連の、ボランティア活動特別委員会についてを説明した。
「……とりあえず監督者をつけておきたい、か。まぁ……仕方ないのかな」
「そりゃねぇ。俺らが本気出しゃミナミの風紀は3日と保たんぞ」
「善良なユーザーたちで助かるよ……」
アンセが苦笑いする。
「まーその担当者とやらは今日は出てこなかったし、そんなガッツリ管理してるわけじゃないだろうけどね」
「それで? 結局ハルトもそれに入ることになったの?」
「んやー、持ち帰った」
楓とともに現時点では保留してある。
「迷ってる?」
「んー。入って先輩に仲間扱いされるうっとうしさと入らなかったときの面倒くささが、どっちがどうかなと」
「入らなかったときの面倒くささ? 入ったときじゃなくて?」
「まぁそうだろうとは思ってたけど、俺とか楓さんが能力持ちなのも学校にバレてるってことだろ多分。それを一応管理しますっていう、のに逆らうと余計な警戒とかされんのかなって」
学校としてはわざわざボランティア部なんかの内部組織にしてまで、つまり極秘で能力者に責任者を付けておきたいと考えているのだ。それはやはり能力への警戒ゆえなのかもしれない。
「別にボランティア部の活動はしなくてもいいんだってさ。入って面倒なのは、本当所属させられるそのことだけ」
「チームに。」
「先輩はほんとに、別に能力者がどうこうってよりそれがやりたいみたいなんよね……」
たまたまに近い形ではあったが、3人+飛鳥で協力して騒動を解決できたことがよほど嬉しかったらしい。
「いいじゃない、楽しそう」
「チームぅ?」
「出動! ってね」
「その場合本当正式名称が長くてダサい……」
「略そうよ」
「先輩がなんか言ってたわ、テドデイン? デは無いか、テドベイン?」
「テドベイン」
「語感はなんかよさげだけど、なんか、どうよ?」
「ふふふ」
アンセが珍しく声を上げて笑っている。
「気に入ったんですか……?」
「ふっ」
「テドベイン……テドベ員……?」
「ふふ」
まさか自称はしたくないが、『ボランティア活動特別委員会~』よりはマシかもしれない。『テドベ~』。
「いいんじゃない? 実際なにかあったら心強いでしょ?」
「なにかって、そんなことあるぅ? ……まぁこないだあったんだけどさ…………」
生徒の所持品が盗まれ、それを媒介して能力による攻撃が行われ負傷者が多数発生したのがもう2週間前のことだ。晴人と千秋、楓、そして『能力探偵』真渕飛鳥の働きによって最悪の事態は回避されたが、ミナミコーに潜入した2人、そしてその外にいたのであろうもう1人の能力者によって危うく死人が出るところだった。
「……その一件、アスカから情報は入らないのかい?」
「ないよ、まぁきいてもないけど。ご飯行こうってうるせぇ」
「行けばいいじゃないか」
「やだよ、俺がいても別に盛り上がらないし、俺は疲れるし、誰も得しない」
「またそういう……いや今はいいか。実際、そうやって悪さをする能力者が出るのは考えられることだよね。これまでだってそう」
それでも、未だ能力者の存在は世に知られていない。
「……警察が、対処、しているのかな」
今回は晴人たちによって被害は大分抑えられた。実害は出たものの、能力の存在を隠し通すことは可能だろう。ではどこか別の、晴人たちのような能力者の協力が得られない場所で能力者による凶行が起きたら? 既に起きていたら?
「かもね」
飛鳥は言っていた。晴人千秋で敵わないのならば『警察がなんとかする』と。ただし犯人が死ぬ方法で。能力者と言えど、身体はただの人間だ。問答無用の方法を取るのならば、非能力者が太刀打ちできない相手ではないだろう。
「……とにかく、自分の身の安全に気を付けてよ?」
「んー、まぁ」
「私の夜が退屈になってしまっては困るからね」
アンセがわざとらしくウインクして言う。
「……善処しま」
「お、ちょっと照れたね」
「照れてねー」
テストが終わって木曜日。採点のため、本日は授業ナシ。球技大会の開催である。男女それぞれサッカー、バレー、バスケットに分かれ、クラスごとに優勝を争う。真帆乃、楓は女子サッカー。千秋は男子バレー。晴人は当然バッくれて家にいた。
「はぁ、やれ」
独り言がしんと響く。半分起こしていた体をもう一度ベッドに投げ出す。
「……苦しい」
誰にともなく呟く。家には晴人ひとりだ。
「んんん~~、んん…………」
濁った声で唸り、伸びをする。
「…………はぁ」
溜息。別に普段と比べて特別体調が悪いわけでもない。特に仲良くも無いクラスメイトと半日サッカーをする利点を考えてしまって、ベッドから起き上がれなかった。晴人にとってはよくあることだ。
(自分でも、しょーもない考え方だとは思うけど)
でもなんの意味も無いと思ってしまっているのに、それが良くないからと言って参加して何か変わるものだろうか───とも考えてしまう。
(哀れだ 惨めだ 不幸だ 不幸か?)
『幸せは自分の心が決めるものだ』と聞くことがある。いくら金があっても、本人が不幸を感じているならばその者は幸せとは言えず、逆に、その日食べるものに困っていたとしても幸せを感じているのならばやはりその人は幸せなのだと。
(しょーもな)
貧富に限らず、幸せが絶対的ではなく相対的なものだというのはわかる。それはわかるが、その『幸せは自分が決める』というその言い方には、『自分は自分の心に従って幸せである』とか、あるいは『幸せになってみせる』という主張を感じてしまう。抽象的なことしか言っていないのにそれらしさだけがある。それに対して反論でもしてみようものなら、それは心の貧しきによって不幸であると見なされてしまうのではなかろうか。晴人はそれが嫌だった。
(幸せな奴しか言えないからなぁそういうのは)
自分でそう考えて努力するなりなんなりは勝手にやっていただければいいが、晴人の耳に入っているということはそういうことで。
(人生楽しんでる顔で喋んじゃねえよ…………)
その基準で言えば彼は不幸である。ただ、ごく普通の恵まれた家庭に産まれ、何不自由無く育てられ、その認識でいるのもどうかとは思う。
(他人の苦労なんか知らないけどさ 俺は……どうしよう)
今この瞬間、学校では友達と楽しみ笑いあう生徒もいる。そういう生徒ばかりではないかもしれないが───
(どうなのかね)
少なくとも晴人はどこにもいない。晴人の居場所はどこにもない。
(ああ、前はあったんだ あったからなくなったのがわかるんだ)
───全部そうだ。晴人には、この1年そこらで無くなった口癖がひとつある。
「…………帰りたい」
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