「そうしたら……あの2人はどうなりますか」
千秋が怯えた表情で問う。
「…………」
飛鳥は答えなかった。
「……ああ、最終手段だと死なすからそっち無視して俺ら使ったわけすか」
晴人が察したことをそのまま口にした。
「……気づくとしたら晴人くんかと思ったんだけど?」
「一番イヤなひとつに張っておけば、案外気づけるもんなのかもですねぇ。誰も死なせたくない、んでしたっけ?」
千秋が黙って、しかし大きく頷く。
「俺はしょーじきどうでもいいからなぁ」
「僕が……僕がなんとかします」
千秋が一歩前に踏み出す。飛鳥がその肩に手を置く。
「君が死ぬよ、やめて」
「なんとか……なんとかします」
「君の能力じゃ、安全は安全かもだけど無力化は無理だ」
「でも、やらなきゃ。死なせたく、ないです」
晴人は黙ったまま、【糸】での逃走妨害を続けていた。
「そりゃ……ワタシだって……」
飛鳥が目を逸らして言い淀む。ひと呼吸の沈黙の後、千秋が再び一歩を踏み出した。
「!」
そこに、腕を組んで見ていた晴人が割って入った。
「名前も知らないヤツが死ぬのに関わるのがそんなに嫌ですか」
「……っ、僕らには知らない人でも、お父さんとか、家族とか友達がいるのに! 死んじゃったらもう会えないんだよ!!」
「それはあんたも、この学校の生徒も同じだろ。だからトロッコ問題だってば」
「……それは私にとってだけだよ」
飛鳥が静かに口を挟んだ。
「?」
「トロッコ問題は、『大声で危険を知らせて避けてもらう』みたいな抜け道を考えないのがお約束だろ? でも現実にその制約は無い。……無いが、今その抜け道を通れるのは君たちだけだ。私だけは線路の分岐器の前に立って、なんとかそれを押さずに3つ目の結果がやってこないものかと君たちを見ていることしかできない。……それにも限界があるし、その時が来れば私は押す。」
「待ってください! 僕が、なんとか……急がなきゃ」
千秋がまた一つ歩みを進める。
(制約、か)
飛鳥の指摘に概ね納得して、晴人はあることを思い出した。
(……が、確かめてる場合じゃねーかもだわ)
こうしている内にも、能力者2人は晴人の妨害をかいくぐって出口へと近づいていっている。晴人の体力が尽きるより彼らの脱出が早そうな見込みだ。
「あーもう」
晴人がまた千秋の前に入る。
「……晴人くん、通し───」
「実は格闘技の経験があったり!?」
「へ?」
「無いな?」
「な、ないよ」
「……じゃ、俺が前出るんで、鎖に捕まったらさっきの「透明脱出」おねがいします」
「手伝って……くれるの?」
「んーー…………」
大きく息を吐く。確実な作戦があるわけでもなく、最悪の場合ただごとでない被害が出ることも考えられる。我が身可愛さを考慮しなくても、飛鳥の方に任せて済むなら正直それでいいと思う。 ───だが。
「なんか、多分、死ぬの、すげぇヤなんでしょ」
「…………うん」
それを聞いて、晴人は黙って小さく頷いた。「最悪」は人それぞれだ。字のごとく「最も悪い」なんて単純な意味ではない。それを、あるいはそれらを避けられる道があるなら。
(1回くらいこじらせ聖人にも付き合ってやるさ)
人が人間であるために。
「前もそうだったでしょ? ちょっと危険ではあるが、まぁ変わらん変わらん」
「ちょ……」
千秋の前を行く晴人に飛鳥は焦るが、分岐器の前でできるのはやはりトロッコの進路を切り替えること、あるいは切り替えないことだけだった。
「いきまーす───」
───ああ、懐かしいとかしょーもないぞ。晴人は眼鏡を直して、ひとつ息をついた。
「よーい、どどん」
鳴っていなくもない、中途半端な指パッチンと共に教室に張り巡らせていた【糸】を一斉に消す。青い光の粒が拡散する。
「!?」
出口を目指し糸を処理し続けていた2人の能力者が驚きの表情でこちらを振り返る。
「遊ぼうぜ」
ゆっくりと歩み寄る晴人。
「気を付けてね!」
そう言った直後、後ろから付いてくる千秋の姿が背景に溶ける。
「来るな!」
【鎖】が数本、続けざまに飛んでくる。腕、足に巻き付く───が、次の瞬間晴人の体は透け、鎖を抜けてまた現れる。そしてまた一歩距離を詰める。
「普通に喧嘩しようや。逃げるなら追うし」
晴人が笑いながら言う。そう、確実な作戦があるわけではない。彼がやろうとしているのはただの力押しだった。【透明化】で【鎖】の攻撃を無力化する。能力さえ考えなければ、能力者自身はただの男子高校生だ。晴人とて非力な一般男子だが、戦って戦えないことも追って追えないことも無い。
「来るな……!」
鎖に捕まる。千秋の能力で抜ける。また締められる。抜ける。───その繰り返しで、一歩ずつ近づいていく。
「くそ!」
突然、長身の男子が声を上げ、後ろ手に拘束されたままの両手を近くの床に押し付けた。
「……え?」
芸の無い力押しなどするものではない。あるいはこれでやっと芸の無い争いとして完成したのかもしれない。突如大きく軋む音が響きわたり、晴人の近く一帯の床が抜けた。
「おわああああああ!!」
姿の見えない千秋の声がした。
(【穴を開ける】能力!!)
晴人の体も背中から落ちていく。咄嗟に天井から【糸】を伸ばし自分の腕を吊る。
「ちょっと思ってたよりド派手なんすけど!!」
千秋の姿は───確認できない。
「うっ!?」
そうこうしているうちに【鎖】が宙吊りの晴人の首を捕らえた。急いで糸を縮め体を床に投げ出す。間に指を入れようとするが、締め付ける力はいっそう強くなっていく。
「くっ、そ…………」
もう声が声にならない。ガタガタと音が聞こえる。2人が逃げていく音だろうか。
(逃がしたくない、な…………これ、どうなるのか、な)
今度は何やら喚き声が聞こえる。もう外でなにか騒ぎになったのか? ───わからない。
(……………………)
「雲居!」
「ぐはっ」
突然呼吸が通り、濁った声が出る。喉に伸ばした手の辺りには【鎖】の感触は無く、代わりに仄かな暖かさがあった。
(これって───)
───橙色の、炎?
「大丈夫!?」
駆け寄ってきたのは、桜木楓だった。
「なん、で」
ヒューヒューと苦しい息をしながら晴人が問う。
「アスカさん? って人に声かけられて、それで…………あたしにも何かできるかと思って」
晴人の体に纏われていた炎が消えた。特に火傷などは無いようだ。
(そうか、あの人この人の能力も知ってたから……)
ふと足元を見ると、焼き切れた【鎖】が落ちていた。材質が金属でなかったのが幸いしたのか、楓の能力で燃やせるようだ。
「……とにかく助かった、エーと、ジャ……じゃねえ、下に千秋先輩が!!」
「え?」
教室の床にできた穴を覗き込む。棚や事務机の上、その周りの床に落ちた2組の机椅子と一緒に千秋も転がっていた。何室なのかわからないが、他に人気はない。
「無事ですか!?」
「う、うん……ちょっと背中、痛いけど……」
見たところ【鎖】が巻き付いている様子は無い。意識もある。
「大丈夫? 立てる?」
「あれ、楓? なんで?」
「……え、なんか」
言い淀むでもなく、楓にそれ以上話す素振りがまるで無い。
「??」
(説明ダルがりすぎだろ……)
普段から千秋と暮らしていたらこうなるんだろうな、と思った。
「で、えーと、すんませんけどとりあえず待機で!」
「うん、わかった~」
その声はやや苦しそうだ。しかし今は心配ばかりもしていられない。
「なぁ、ジャージ2人とすれ違わなかった? ってかどっから来た?」
「それも聞いてる。今階段のところで【炎】で足止めして……できてるといいんだけど」
楓が不安そうに廊下の方を見やる。そういえば微かに喚き声が聞こえている。おそらくは上手くいっているのだろう。
「ん、それ、【炎】……人は燃えないんだっけ? あれ?」
今さっきはなんだか器用に【鎖】だけを燃やしていたが、先月の一件では逆に無生物は一切燃えずに人体が焼けていたはずだ。なにかしらの理由でそれが逆転し人体に危害が及ばなくなったのであれば、足止めは見せかけとしてしか成立しない。
「……燃やすもの、選べるようになった、というか」
「え、そりゃ……すげえ。練習したんだ」
「……まぁ」
能力の扱いも練習すれば上手くなる。───と聞いて納得できるかは人それぞれかもしれないが、実際そういうことは晴人にも身に覚えがあった。楓の能力は晴人が予想したよりも器用な性質をしていたらしい。
「カバンも燃やしといたから、もう鎖は使えないと思う」
焼け落ちた【鎖】の一片を拾い上げて楓が言う。
「でもまた【穴】開けられて逃げられたら───」
「3階だし、そんなに楽には逃げられない……ってあの人は言ってたし、【炎】も置いておいたけど……」
───つまり、攻撃手段も逃げ道も無し?
「だとすると……じゃあ…………解決だ…………」
晴人がぽつりと言ったそれに、下の千秋の「いてて……」が被ってしんと響いた。
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