ハルトカンガエル

られ
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08: 自殺はダメです

公開日時: 2023年1月9日(月) 16:00
更新日時: 2025年1月21日(火) 01:15
文字数:3,652

「え? ちょっ」

 

 真帆乃が素早く立ち上がり、なかば反射的に駆け寄る。そして伸ばした腕に───なぜかを感じた───と気づいた時には、何かに引っ張られて廊下側に引き戻されていた。

 

「え、なに、なんで……」

 

 自分の体がどうなったのかわからぬまま、真帆乃が再び顔を上げた時には、目の前は火の海だった。窓際の楓を中心に炎のうずが床をい、時折せり上がって机を飲み込んでいる。

 

「あ……」

 

 ───立ち上がれない。

 

(知ってる、これ、わたしまた───)

 

 真帆乃は座り込んだまま両手で顔をおおってしまった。

 

「上手にけるようになったじゃねーの」

 

 晴人が皮肉ひにくる。楓が錠を開いたのだ。昨日より炎の規模は小さいが、教室の縦幅を満たすには十分だ。これでは近づけない。

 

『楓!? なに言ってんの!? そんな急に……!』

 

 葵の声が晴人のスマホから響く。

 

『晴人くん!!  僕たちが着くまで楓をお願い!』

 

 千秋の声色もいつになく真剣だ。

 

(こういうとき意外と冷静なんだなこの人)

 

 そしてそんな評価をしていられる晴人にはじんの焦りも無いということになる。

 

千秋アキのでなんとかならないの!?』

 

 普通に考えて、透明化の能力では特に何もできないだろう。葵はだいぶ焦っているようだ。

 

『着くまではとりあえずムリだよ! それに僕の能力、なんでか炎にさわると解けちゃうみたいなんだ!』

 

「へえ、そういうことだったんだ」

 

 晴人の呟きと同時に天井から【青い糸】が伸び、楓の左腕を捕まえた。

 

「……っ」

 

 掴まれた腕を振るが、その程度では外れない。

 

『お願い! 楓を止めて!』

 

 今度は葵が叫ぶ。

 

める……というかめておきますけど。彼女が死にたいってーなら俺が止める理由は無いので。後はなんとかしてください」

 

『はあ!? あんたおかしいんじゃないの!?』

 

「はい。正常な人間ですって名乗った覚えもないですが」

 

 晴人は眠そうな目をしたまま言った。別にわざと開き直ってみせる口喧嘩の手法ではなく、心からの言葉で。

 

『頭おかしい……!!』

 

「すいませんねぇ。まぁ突き落としはしないんで、まぁ。」

 

 欠伸混じりに。

 

「……それもこれの、なの?」

 

「ん」

 

 捕らえられた楓は暴れるでもなく、自分の錠を取り出してそう訊いた。埋め込まれた淡い橙の石が煌めく。

 

「まーね。……やれやれ、兄妹そろって同じ高校で能力者とは」

 

『楓、お願い! なんで!? 何かあったの!?』

 

 葵が叫び続けている。

 

「何も無いよ。……何も」

 

 炎の勢いが俄かに増す。まるで楓の感情をまきとするように。それは、怒りか、嫉妬か、無力感か。

 

「走っても葵に勝てない。努力で才能を越えるなんて無理なんだなって、もうわかってきた。」

 

『そんなことない!』

 

(それをあんたが言うのか……)

 

 晴人が目を細める。しかし、彼女に悪意は無いのだ。

 

「千秋も、……後は雲居くんも。能力で人を助けられる。これで、あたしも変われると思った。あたしだけの何かが、やっとできると思った」

 

 楓は自身を取り巻く炎を恨めしそうに眺めている。

 

「でも結局、こんな……人を傷つけるしかできない……なんで……」

 

 その先は声が震えてしまって続かなかった。炎がそれを代弁するように踊る。

 

「楓!」

 

 葵が、そして少し遅れて千秋が教室に飛び込んできた。───きたはいいが、床一面の炎の前には立ち止まざるを得ない。

 

「何しに来たんだよ……!」

 

 楓の声が大きく震え、それに呼応するように炎のうねりも大きくなる。ついには内1つの波が楓の半身を包み、晴人の糸だけを燃やし尽くした。楓は自由の身となる。

 

「おお、操作性上がった?」

 

 晴人はそういうアニメでも観ているかのように呟いた。

 

「あぶない!!」

 

 そう叫んで炎に突っ込もうとした葵の足首を、晴人の糸が捕らえた。

 

「あんたがね」

 

「離してよ!!」

 

「葵、落ち着いて!」

 

 葵が晴人の胸ぐらを掴んでする。

 

「ふふ、ほんとにソコ掴むんすね、思ったより苦しくないな」

 

「ふざけんな!!」

 

「あ、やっぱイタ、イタイ。……さっきも言った通り、俺、別に楓さんを止める理由が無いんですけど」

 

 と言いながら、とりあえずもう1本伸ばしてまた楓を捕らえる。彼女の炎は自由自在とはいかないように見える。時間稼ぎにはなりそうだ。

 

「クラスメイトでしょ!? なんで助けようと思わないの!?」

 

「クラスメイトだから何……というのはまぁいいとして、『助ける』。助ける、ですか。彼女が死にたがっていて、それを阻止する。それが、助ける?」

 

「当たり前でしょ! 急に自殺なんて、そんなの、間違ってる。落ち着いて考えなおせばそんな!」

 

「当たり前、か。急って言いますけど、さっきも言ってましたけど。本当に急なんですか?」

 

「……!?」

 

「先輩の才能と自分の努力を比べて、ずっと苦しんでたんじゃないんですか? ……まあ、それ別に先輩は悪くないんですけど」

 

「そんな、でも」

 

「だから、急に自棄やけ起こして自殺するんじゃなくて、アンタの才能がついには人間ひとを殺すのかもしれないんだぜ。すげーことだ」

 

「こ、のッ!!」

 

 晴人はこれまた、別におどけているわけではない。眺めている。自分とは決して交わらない物語を。すなわを。楓はこちらの様子をうかがいながら、窓の外を気にしながら、という状態だ。糸もあり、すぐに思い切れはしないらしい。

 

「……晴人くん」

 

 これまで黙っていた千秋が口を開き、葵の腕を握った。うながされ、葵は悔しそうに晴人を放す。

 

「楓の気持ちを考えずに連れ戻すのは、間違ってる?」

 

「さあ、どうなんでしょうね。死にたい人を死なせないのは優しさなのか、俺にはよくわかりません」

 

「そっか」

 

「先輩はどう思います?」

 

 千秋は笑った。

 

「わかんない!」

 

「ふむ」

 

「でも! 僕は楓に戻ってきてほしいし、また3人で一緒にいたい! そのために、晴人くんに手伝ってほしい!! そういうのは、ダメ?」

 

 晴人は少し驚いた様子を見せて、やがてニヤリと笑った。

 

「それでこそだ、。それでいい」

 

 直後晴人の左眼から青い光が走った。そして教室の前後、窓に平行な向きに糸が伸びる。数も速さもこれまでの比でない。

 

「!! 来ないで!!!」

 

 楓が炎を持ち上げ全身を包む。糸はのきみ燃えて無くなった。

 

「ありゃりゃ」

 

 言いながら、今度は楓より少し離れた位置に糸を張っていく。

 

「よっ」

 

 晴人は手近に数本並んでいた糸に飛び乗り、跳躍。次の糸でまた跳躍。炎より高い位置でそれを繰り返し、楓に迫っていく。しかし楓も今の防御で腕が自由になり窓枠に手をかけている。

 

「はっ!!」

 

 楓の真上、その天井から自分自身と楓それぞれに向けて糸を射出。楓が炎で糸の対処をしている内に、糸を左手にくくり付け今度は縮める。窓から乗り出そうとする楓に割り込むような形で突っ込んでいく。

 

「危なッ!!」

 

 ───誰かがそう叫んだのが聞こえた。

 

「いてっ」

 

 糸とつないでいた左手に熱を感じた。足を何かにぶつけた。───頬に風を感じた。どうやら楓の炎で左手に繋いでいた糸が燃え、窓の外に放り出されたらしい、という認識はその後からついてきた。つまり今まさに真っ逆さまに落下中である。

 

「晴人くん!!!」

 

「おおー」

 

 3階から落ちたら死ねるのか。今度は晴人が考える番だった。

 

(うーん、頭から落ちたら逝けそうな気もするけど)

 

 しかしその時点で晴人の体は落下を止めていた。──【糸】だ。

 

(見られたらダルいなあ……)

 

 校庭の面々がそれぞれ部活青春いそしんでいることを祈りつつ糸を巻き取る。

 

「実績解除、『窓から登校』」

 

「よ、よかった……」

 

 千秋ががくりと首を落とした。

 

「こんな時のための蜘蛛男でしょうよ」

 

 少し見渡すと、楓を押し倒して抱きしめわんわん泣いている葵の姿があった。そういえば辛うじて炎に呑まれていない机で跳躍した葵がこちらに突っ込んできていたのが見えていたような気がしてきた。

 

(あの炎の中突っ込んできてここまでたどり着いたのか……)

 

 やはりというかなんというか、とんでもない運動能力だ。しかし、葵は【糸】に足を封じられていたはず。晴人はそれを解除していない。

 

「……やれやれ、たぁ、妹に勝目ナシだねぇ」

 

 千秋だ。【透明化】能力を葵にかけ、縄をすり抜けたのだ。

 

「見た目に透けてるだけじゃなくて、モノもすり抜けるのかよ」

 

 便利な能力だ。やっぱりちょっとうらやましい。

 

「良くなかったと思う?」

 

「うーん」

 

 晴人が姉妹に目をやる。

 

「……バカ。バカ。……ごめんね」

 

「うう、だって、ううううう」

 

 葵は『バカ』と『ゴメンネ』を7:3ナナサンで出力し続け、楓はそれを聞いているんだか聴いていないんだかわからないような調子で押し殺すようにすすり泣いている。

 

「どうなんだか。別に楓さんの問題が解決したわけじゃないでしょう? やれハッピーエンドたぁ、俺は思いませんけど───」

 

 そこまで言って、晴人は千秋の方に向き直った。

 

「?」

 

 千秋は相変わらず、何も考えていないようにきょとんとしている。

 

「……ま、後は人間どうしで何とかしてくださいな、ってことで」

 

「うん、楓なら。きっとね」

 

(大丈夫、ね)

 

 千秋が言うのならそうなんだろう。人間は折れてもまた立ち上がれる。それでこそ人間なのである。俺はくわしいんだ。

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