ハルトカンガエル

られ
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06: 何色の夏

公開日時: 2023年2月13日(月) 18:00
更新日時: 2025年1月22日(水) 11:39
文字数:2,281

 その日、7限終わりの1年2組。体育祭練習を終えたジャージ姿の生徒が徐々に戻ってきている中にひとり制服姿の野郎がのこのこと戻ってきた。晴人である。

 

「あれ、帰ったんじゃなかったん」

 

 先に席に着いていた楓がく。

 

「え、帰ってよかったん?」

 

「いやダメだと思うけど…………」

 

 授業が無いとは言っても放課の時間はいつもどおりで、この後はホームルームもある。

 

「ん」

 

 『でしょ?』とでも言いたげな顔をして座る晴人。楓からしてみればそもそも体育祭準備に参加しないのが良くないわけで、それをサボるというならいっそ帰ったものかと考えていた。律儀に(?)時間をつぶして戻ってきたらしい。球技大会は無断で欠席し、体育祭の準備には参加せず、しかし帰りのホームルームにはちゃんと居る。

 

(基準わからん……)

 

「かえでぇ」

 

 真帆乃が体を左右に揺らしながらちてちてと歩いてきた。なんだか少し困り顔だ。

 

「ん?」

 

大戸おおと理沙りさちゃんって、ど、どんな子? 仲いい?」

 

 大戸理沙。1年5組。女子サッカー部。2組野田かけるの元交際相手。

 

「理沙? いやまぁ、ふつうに話すくらいだけど……なんで?」

 

「ダン女で一緒なんだよぉ」

 

「あー、ぐみか」

 

「そー」

 

「なんかあったの?」

 

「いやそうじゃないけど、話しかけたいといいますか」

 

「おー、……普通に話しかければ?」

 

 普段は誰にでも気後れせず話しかけているように思える。何かやりにくい事情でもあるのだろうか。

 

「ちょっと顔強いけど別に見た目ほど怖くないよ」

 

 理沙は少し外国人らしい印象を受けるようなはっきりとした目鼻立ちをしている。それがあってか気が強く見られがちらしい。

 

「別に怖がっ、てるわけじゃないんだけど~……なに? きっかけがないと話しかけられないというか……」

 

「ふーん」

 

 彼女なりに話しかけられるときとそうでないときがあるらしい。

 

「きっかけかー。理沙ファンプとか好きだけど」

 

 Funny Amp. 、略してファンプは中高生に人気のロックバンドだ。

 

「あ、Tシャツ着てたかも!」

 

 体育祭練習は授業ではないので、服装はある程度自由だ。それぞれが動きやすい恰好で参加している。組ごとにTシャツをデザインして作ることもある。

 

「ありがと~今度それで話しかけてみる!」

 

「おー、ダン女頑張ってねー」

 

「ありがと! 楓は美術だっけ、そっちもね」

 

「あとー」

 

 こうして始まった体育祭準備期間。組真帆乃はダンスの練習に励み、ヤマ組楓と組所属の千秋はそれぞれ美術展示のため木材を運んだり釘を打ったりを塗ったりした。1週間が過ぎても晴人は準備・練習に出なかった。ある日楓が見かけたときには、廊下の窓際に置かれた机で勉強をしていたようだった。この期間中の午後はほとんどの教室が個人種目の練習、あるいは制作に使われているためにあんな冷房も無く日の当たる所にいたのだろうが───

 

(そんなに嫌?)

 

 楓はその時美術展示用の資材を運んでいた。そこまでの重労働というわけでもないし、みなでひとつのものを作っていくのは楽しい。たしかに晴人の中間テストの点はがいして良かったが、高得点を取ることにそこまでのこだわりは感じられなかった。普段の授業中もよく居眠りしている。いま勉強を優先する理由が何かあるのだろうか。

 

 

(知らね~~暗記ゲーかよ)

 

 数学の解答解説に内心で悪態を吐いてシャーペンを置く。『基本を押さえれば応用問題も解けるはずである』というのをどこまで信用していいものやら。高校数学の参考書には固有の解き方を覚えていないと手が付けられないように感じられる問題も少なくない。解説を読めば確かに基本の知識だけで解けるようにはなっているのだが。問題番号の脇に印を付ける。印付きの問題には時間を置いて再度取り組み、その時やり方を思い出せればとりあえずよし、ということとする。別に珍しくもない、やっているだけ多少は偉い取り組み。晴人にどうしても勉強をしなくてはならないような事情は特に無い。体育祭は時間と体力の無駄。勉強はどのみちある程度は必要であろうこと。晴人に取って、ほとんどそれだけだった。体育祭に恨みがあるわけでもなければ勉強に熱意があるわけでもない、単純な損得勘定。雲居晴人はただの男子高校生だ。たとえ球技大会や体育祭練習を平気でサボろうが、クラス写真撮影で頑なにポーズを取らず周りを白けさせようが、雲居晴人はただの男子高校生だ。普通ではないかもしれない。普通でなかったとしても、わざわざ世に取り立てて言うようなことではない。取るに足らない、なんでもない、ただの男子高校生だ。───え、能力? ああ。確かにそれを取り立てる程のことでも、と済ませるのは無理があるかもしれない。でもその力ですら、彼の生き方をかたってはいない。それをゆえにいっとき特殊な状況におちいったとしても、それが終わればほら、ただの男子高校生だ。ただの男子高校生にも、代々医者の家系で自分も医大に受からなければいけないというプレッシャーにさらされているような例がある。晴人はそうではない代わりに能力がある。それだけのことだ。そして体育祭不参加を決めきっていることに、能力があることはほとんど関係無くて、少しは関係がある。それは単に、能力があるというのがこの雲居晴人という生き物である以上無視はできないというような、それだけのことで、たいした話は無い。

 

 つまりはそう、人にはそれぞれ事情があるが、それは気軽に見せ合うものとはされていない。勝手に警戒し合い、勝手に尊重し合い、勝手に踏み入り合い、勝手に傷付き合う。それを冷ややかな目で見ているつもりの晴人からすれば、ここで回想シーンに入る必要はないのである。

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