警察庁刑事局特殊事案対策課。人知れず能力者による犯罪を追っているという、嘘みたいな機関がどうも実在するらしい。そこの次長であるという小板橋梨依奈警部は、想像していたよりもずっと雰囲気の柔らかい人だった。
「あなたが晴人くん? 真帆乃ちゃんはどっちかな?」
「あ、わたしです」
「じゃあ千秋くんで、楓ちゃんだ」
梨依奈は手で義兄妹を交互に指しながら言った。ふんわりとウェーブのかかった黒髪がよく似合っている。晴人は自分だけ名前を言い当てられたので、『男2人のうち不細工な方』とか『眼鏡の方』とか聞いてたのかななどと余計で卑屈なことを考えた。
「はじめまして、小板橋梨依奈です。今日は来てくれてありがとう。いろいろお話したいことはあるんだけど……とりあえず入ろうか」
梨依奈に続いてビルへと入る。大都会真宿の駅ビルはそれなりの混雑で、人の流れを眺めながらエレベーターに乗る。
「腹減った~」
当然のように今日この場にもやってきた飛鳥が伸びをしながら言う。5階で止まったエレベーターから降り、居酒屋の個室に通された。あまり雰囲気のある店で緊張させても悪いと気を使ってくれたらしい。成り行きと譲り合いの結果、梨依奈・千秋・楓と飛鳥・晴人・真帆乃に分かれて向かい合い、席につく。
「とりあえず飲み物……とお刺身とか適当に頼んじゃおっか?」
梨依奈がメニューを皆に配る。
「びーるー」
「はいはい。……みんな決まったかな? ここタブレット注文もできるから、決まったら教えてくださーい」
「オレンジジュースにします!」
「あ、わたしも」
「……ジンジャーエール」
「……烏龍茶で」
「はいはーい、と」
オーダーを済ませたところで、梨依奈がさて、と少し背筋を伸ばした。
「みんな、改めて今日は来てくれてありがとう。ここ数ヶ月の、特に6月にあなたたちの学校で起きた一件、民間人であるあなたたちを巻き込んであんな危険に晒すことは絶対にあってはならなかった。……わたしたちがなんとかするべきだった。本当にごめんなさい」
梨依奈が深々と頭を下げる。晴人たちは気まずそうに顔を見合わせる。
「ぜ、ぜんぜん大丈夫ですから! ね!」
「そうですよ! ……わたしなんにもしてないけど……」
「……ありがとう。結果として、みんなのおかげで被害をごく小さくすることができました。真帆乃ちゃんも、能力者の所在を特定するのに大きく貢献してくれたわ。本当にありがとう。心から感謝を」
また軽く会釈し、顔を上げた梨依奈が今度は笑顔を作った。
「ホントは感謝状くらいあげたいところなんだけど、どうしてもそういうわけに行かなくて。代わりに今日は遠慮せずになんでも食べて!」
「言われなくても!」
飛鳥がはつらつと返事をする。
「真渕さんには言ってません」
「なんでだ! 不当だ! ワタシだって功労者だぁーー!!」
こうして始まったこの宴は、主に飛鳥が取り留めもない話題を振りまきながらそれなりに盛り上がった。楓はわずかに、晴人はそれなりに緊張ぎみ遠慮がちだったが、それでも主に飛鳥に食わされる形で大いに食べた。
「そっかあ、高校生だもんねぇ……カレシカノジョできる子もいるよねぇ……」
梨依奈が日本酒をすすりながらしみじみと言う。話題は翔と理沙の話から派生してイマドキの高校生の恋愛事情である。
「わたしなんかさぁ、周りにおっさんしかいない! 仕事忙しすぎて他に出会いもッ! 無いッ!!」
「ははは……」
対角線で真帆乃が愛想笑いをする。挟まれた晴人は努めて存在感を消していた。
「ねえまたいくら丼来たんだけど。誰か頼んだ?」
「さっき注文入れたの飛鳥さんだけですよ」
「えー? ワタシ頼んだっけ? まぁいいや、晴人、食え」
「あんた人の金でそんな適当な……」
「あーいいよいいよ、気にしないで。……晴人くんは優しいねぇ、優し……彼女いないの?」
(こん人もダル絡みし始めたな……)
大人組はそれなりに出来上がってきている様子だ。
「……いませんよ、いません」
「えー、好きな子くらいいないのー?」
「いません」
「どんな娘がタイプ?」
「小学生」
「うえ!?」
場全体がざわめいてしまった。
「……冗談です」
異性の好みなどというのは定番の話題であるが、晴人はこれに対して明確な回答を持たない。
(結局その人全体がどうかが問題というか……ある要素だけで好きになる意味がよくわからないというか……)
そんなことを答えてもなにも面白くないため、おもしろくもないボケでもして受け流す他無いのである。
「リーナちゃんのタイプはー?」
「木場雄馬」
「即答でウケるんだけど 誰それアイドル?」
「俳優です」
晴人もてんで聞いたことが無い名前だ。真帆乃だけが納得したように頷いた。
「真帆乃ちゃんわかる?」
「わかります、なんていうか、カワイイ系ですよね」
「そーー、かわいいの」
「え、年下がいいってことですか?」
「そー……いうわけでもないんだけど~、なんかなぁ……周りにマトモな年上がいないせいかなぁ……」
「リーナちゃん? それワタシのことじゃないよね?」
(あんたの方が年上なんだ……)
梨依奈とて見るからに若い女性なので信じられないというほどではないが、飛鳥はかなり若く見える。
「まぁわたしのことはいいんです。高校生活なんて、当たり前だけど一度きりだからさ、絶対恋愛しなきゃいけないわけじゃないけど、青春してほしいよみんなには」
「青春かー……」
真帆乃がぼんやりと呟いた。他の面々もいまいちピンと来ないような顔をしている。
「梨依奈さんはどんな高校生だったんですか?」
「う、わたしはー、そのー、勉強しかしてなかったというかー……」
「青春してないじゃないですか!?」
「だからこそ言ってるんだよー……」
「飛鳥さんは?」
「ん? ……………………」
ジョッキを持ったままフリーズしてしまった。
「………………寝てたかな。あとゲーム」
飛鳥にしては淡々と、笑顔も無くそう言ってジョッキを口に運んだ。
「彼女は?」
「まぁ。いたけど」
「当たり前のように言う……」
「泣かせてそう」
「そんなことないって~」
そういう飛鳥だが若干眼が泳いでいる。
(青春ねぇ……)
飛鳥がやり玉にあげられている脇で、晴人はぼんやり考えた。絵に描いたような青春がしてみたいと、微塵も思わないわけではないような。でもやっぱり自分には無縁のものとしか考えられない。
(────友達もいない、誰にも好かれないヤツがどうやって青春するんだっていう)
「ごちそうさまでした!」
「おいしかったです!」
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
「ごち~」
「いえいえ、こんなお礼しかできないから」
会計を済ませ、挨拶を交わす面々。エレベーターに乗り、何が特に美味しかったなどと話しながら1階に下りる。風除室を前に、梨依奈が立ち止まった。
「? どったの?」
飛鳥が気付いて声をかけ、一同の視線が集まる。梨依奈は少し神妙な面持ちでいる。
「……みんな、こんなことが続いて、不安な気持ちもあると思う。あなたたちが持っている『錠』、そして『能力』は、まだわからないことばかりだし」
「………………」
「真面目な人」、というのが、今夜梨依奈に持った晴人の所感だった。あまりにバカらしいこの世界を、あるべき姿に保とうと本気で思っている人なのだと。それはそのままバカらしいことかもしれないが、誰かがやらなくてはならないことなのだろう。たとえ誰かにバカにされたとしても。
「この先絶対大丈夫だなんて安請け合いはできない。でもわたしは全力を尽くすから。……それだけは信じてほしい。君たちの未来を、守ってみせるから」
梨依奈がそう言って笑顔を作ったのと、足元から鈍い地響きのような音がしたのが丁度同時のことだった。晴人はそれを、どこか冷めた眼で見ていた。
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