ハルトカンガエル

られ
られ

10: ぶつかってこわれておわる

公開日時: 2023年2月17日(金) 18:00
更新日時: 2025年1月22日(水) 19:54
文字数:3,826

「……そういうところが好きだったよ」

 

 迷いなくはさみを振り上げた───つもりの腕に、何か強い抵抗力がかかる。

 

「……!?」

 

 持ち手を握り込んだてのひらを開く向きの力。まるで鋏の持ち手の間にバネでも仕込んであったか、もしくは───誰かに糸で引かれているような。

 

「なんだ、これ……!?」

 

 腕を持っていかれるほどの力ではない。翔はそれにあらがい力を入れるが、一向に自由が戻らない。そうこうしているうちに、手首を誰かに掴まれたような感覚を覚える。振り返るとそこには雲居晴人の姿がある。

 

「お前どこからッ……放せ!!」

 

 翔は一層激しく腕を振り回す。晴人はそれになんとか耐え、両腕で翔の体を自分の方に引き寄せた。

 

(……よし)

 

 晴人が左足を後ろに蹴り上げる。すると2人の眼前一帯の床が音もなく消え失せ、そこに転がっていた理沙とそれにしがみつく真帆乃が落ちていった。

 

「理沙!!!」

 

 翔が大声を上げるが、誰かそれに応える間も無く教室の床は何事も無かったかのように元通りになってしまった。翔は目の前で起きたことが理解できず、暴れるのも忘れて呆然ぼうぜんとしている。

 

「はぁ……」

 

 晴人は小さく溜息をいて翔から手を離し、近くにあった机に腰かけた。はさみは依然翔の手に握られているが、その持ち手の輪には晴人の【糸】が結び付けられている。

 

「……お前の能力はなんだ?」

 

 少しの間があって、それが自分に向けられたといであると理解した翔は、そこに晴人がいることにやっと気づいたかのように勢いよく顔を向けた。

 

「お前、なんなんだよ!! いつの間に……理沙をどこにやったんだよ、なんで、こんな……!!」

 

 喚き散らす翔を見て、晴人はまたひとつ溜息を吐いた。

 

(質問に質問で返すな、なんて言えるわけもないな)

 

 晴人にとって、錠が与える能力とは「理不尽」だ。───単にひとつの捉え方としてだが。人間が常識の中で形作った行いを、まるで想定されていない力で粉々にする。壊されたそれに非は無い。例えば3次元でモノを考えていたせいで4次元的にもろい形をしていたというような、過去に対策のしようなく、これから反省のしようもないこと。後にはただ、崩れたもの、そしてその結果が残る。晴人が翔にしたのはそれだ。その行いにもまた翔の能力が使われていたとしても、結果それはこうして崩れ去った。理不尽を押し付けたのだ。

 

「……【糸】が俺の能力、そしてもう一人、【透明化】の能力者がいる。2人は床を透明化したときに下の教室に落ちただけ。ケガは無い……はず。」

 

 言いながらスマホを取り出し千秋からの連絡を確認する。

 

「ん、とりあえず無事だ」

 

 翔はもうなんの感情ゆえなのか自分でもわからない涙を流しながらゆっくりと考える。───能力。自分と同じような不思議な力。糸。透明化? それでこいつは突然現れた? そして理沙たちは床をすり抜けて落ちていった? なぜ? どうしてこいつが?

 

「なんで…………」

 

「……これ以上知りたかったらまず乙倉おとくらにかけた能力を解け。」

 

「うるせえ、なんなんだよお前!!」

 

 翔がはさみを振り上げる。晴人は鋏に結び付けた糸を左手で引きその動きを制しながら一歩後退する。天井から無数の【糸】が伸び、翔の腕を拘束し、吊り上げた。

 

「うああああああ!! うう、ぐうぅうううぅ───」

 

 翔は声にならないうなりを上げもがくが、逃れられない。勝負にならないのは見て明らかだった。

 

「……悪いけど、能力解いて。それができるのは能力者本人のお前と、その気になればお前を殺せる俺だけだ」

 

「…………」

 

 翔はピクリとも動かずうつむいている。その表情はうかがえない。

 

 

───一方その頃、1年2組直下ちょっか、第一資料室。

 

「ん、あ…………」

 

 シンとした小さな部屋にほうけたような声がして、真帆乃の体から力が抜ける。それに気づいた理沙が真帆乃の腕を振りほどき立ち上がる。

 

「なに、どうなったの……!?」

 

 恐怖と混乱の入り混じったような表情で理沙が言う。独り言というよりは、隣にいる千秋への問だ。真帆乃と共にここへ落ちてきたところにいた千秋から、晴人と共に2人を助けにきたこと、真帆乃は今翔の不思議な力によって体の自由が利かない状態と考えられると説明を受けていた。説明としては受け入れがたいものではあったが、何か訳の分からないことが起きているのは事実。それを理解している者があるとしたら、今この場には千秋しかいなかった。

 

「たぶんに戻ったんだと思う。……真帆乃ちゃん?」

 

「ちあきせんぱい……? わたし、理沙ちゃんを……約束……」

 

 まだ意識が朦朧もうろうとしているのか、クッションのためにと持ち出してきた貸し出し衣類の山の上で横になったまま呟いている。

 

「野田翔くんに能力にかけられたこと、覚えてない?」

 

「のだ、ああ、約束、ああああ……!!」

 

 徐々に声を大きくし、そして勢いよく上体を起こした。

 

「ごめ、ごめんなさい、私……!」

 

 自分の髪を強く握り、パニックめいた様子で謝る真帆乃。謝られた理沙は、やはり状況が飲み込みきれずに困惑する。なにしろさっきまで自分の身体を全力で拘束していた相手が今度は必死に謝罪しているのだ。

 

「まあ、別にどうもなってないからいい、けど…………」

 

 それでもその様子から大掛かりにかつがれているとも思えず、とりあえず受け入れる態度を示す。要は翔に強制させられていたと思えば許せるようにも思えた。

 

「そうだ、晴人くんに連絡しなきゃ……」

 

 千秋がスマホに目を落とす。

 

「ハル? なんで……というか千秋先輩がなんで? ここ……私、え?」

 

 今や混乱しているのは理沙より真帆乃の方だ。

 

「真帆乃ちゃんのおかげだよ。晴人くん、ちゃんと気づいてくれたんだ」

 

 

 

(よし、能力は解けたみたい)

 

 再び1年2組。晴人が千秋からの連絡を確認し、スマホをポケットにしまう。翔は未だに動かないし、何も言わない。もう戦う気も無いだろうと判断し、拘束を解いて床に降ろした。

 

「……なんで邪魔したんだよ そもそもなんで俺の能力のことまで……」

 

 座り込んだ翔が言う。大きな声ではないが、強いいきどおりが感じられた。

 

乙倉おとくらだよ」

 

「!? そんなわけない、だって『俺を手伝う』って約束して、なら約束を破って誰かに話すなんてできないはず……!」

 

「【約束を守らせる】能力、か なるほどね」

 

 真帆乃はその翔を手伝うことを約束した。こうなった時点で『手伝うとは言ったが邪魔しないとは言ってない』などというふざけた手口は通用せず、真帆乃はある程度翔に従うしかなくなった。それでも、一挙手一投足が彼の言いなりだったわけではない。与えられたのはあくまで『翔を手伝う』という目的である。

 

「……体育祭練習の時間、俺そこの窓際で自習してたんだけど、一回トイレ行って戻ってきたらこれが置いてあった」

 

 そう言って晴人が紙片を取り出す。それはキャラクターもののメモ用紙で、小さな字で『助けて』とだけ書いてある。

 

「これだけなら、まぁ……助けろと言われた俺が何をするかはわからんわけで。真帆乃を『助けて』お前の目的を『手伝う』、って意味で【約束】に反しなかったのかもな」

 

 それについて何かあったのかと連絡したときには『なんでもない』と返ってきた。それ以上具体的なSOSは出せなかったのだろう。

 

「そんな、なんで俺はッ、……結局裏切られるのかよ……!!!:

 

 翔が床を殴りつける。晴人はそれを少し目を細めて見ている。

 

「そして俺は助けを求められたにも関わらず、あろうことかお二人の計画を妨害したという……まぁだから裏切ったのは俺なのかもしれんけど。あいつに助けてと言われたからには、俺はあいつの価値観になるべく合わせて結果を選んだ。それはやっぱり、お前があいつにやらせようとしたこととは違ってた」

 

「……もういい」

 

 翔が、今度は力のない小さな声でそう言った。

 

 

「そっか、あいつ、助けてくれたんだ…………」

 

 そしてまたその下、第一資料室。ようやく落ち着いた真帆乃が安堵あんどの表情を浮かべる。

 

「そういえばアレ、真帆乃ちゃんの名前は書いてなかったけど……晴人くんはどうして真帆乃ちゃんだってわかったんだろ?」

 

「いつも使ってるメモ用紙を使ったんです。あいつ私がプーミィ好きなのも知ってるだろうし」

 

 プーミィとは有名なイヌのデフォルメキャラクターだ。真帆乃の私物にはこのキャラのグッズも多い。

 

「なるほど! さすが、2人のコンビネーションだね……!」

 

「そ、そんなんではないですけど……はは」

 

 千秋が目を輝かせて感心するので、真帆乃は少し照れて否定する。そして、ここまでの話をわかるようなわからないような顔で聞いていた理沙に向き直った。

 

「あの、ほんとに、危険なことに巻き込んでごめんなさい。私、どうかしてる状態であなたと仲良くなろうとした……ほんとにごめんなさい。サイテーだった」

 

「ああ、そこから、そうだったんだ。……別に、いいよ。要はあいつが悪いんでしょ、わけわかんないこと言ってハサミまで持ち出して……ってか、アイツ今どこで何してるんだろ!? 通報しなきゃ……」

 

「ま、待って! 晴人くんがなんとかしてくれると思うから、とりあえず待って!」

 

「でも……」

 

「……野田くんは、ほんとに君のことが好きだから、こんなことしちゃったんだと思うんだ」

 

  ───『自分のものにならないならいっそぶっ壊れちまえってことも、あるんじゃないですか』

 

 翔に理沙を傷つける動機はあるのか? 千秋がいたとき、そう言ったのは晴人だった。千秋は結局、その愛のカタチをはっきりとイメージすることはできなかった。

 

「……晴人くんはきっとそのこともちゃんとわかってる」

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