ハルトカンガエル

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九月。最後に、あるいは最初に

00: それを知らないのならば、終わりは無い

公開日時: 2022年12月30日(金) 22:34
文字数:726

 全てはいつかは終わりが来るのだと人は言う。

 

 かけがえのない青春はやがて終わる。身長の伸びも止まる。好きなアニメもマンガも、いつかは完結して終わる。過ごしやすい春はやがて終わり、そしてやってきた夏もじきに終わる。どれだけ愛したとて、ペットとはいずれお別れになる。星でさえいつかは死ぬ。確か地球は寿命を終える前に膨張した太陽に飲み込まれるのではなかっただろうか。そうして『太陽系というか、太陽』になったその星も、いつかぜて無くなるのだろう。当たり前に星の死を見たことの無い俺が、『星はいつか死ぬ』と言われてなんとなく納得しているのは、全てのことには終わりがあると了承していてこそなのかもしれない。

 

 それでも。俺は永遠えいえんを信じたい。たいしてロマンチックでもない、独りよがりの永遠を。

 

 人はいつか死ぬ。俺もいつかは死ぬ。でも俺が死んだことを、その時俺は知り得ない。死のとこいきえるや半透明の霊魂れいこんがスッと起き上がり、『あーあ、死んじゃった』、なんてことはないのである。言ってみれば、春が終わるのは夏が来るからだ。高校生活が終わるのは、卒業して進学なり就職をするからだ。ペットの犬が死ぬのは、一夜いちや明けてその子のいない朝が来るからだ。仮にそれが日本より遥か彼方かなたスウェーデンの一家に訪れた『終わり』だったとして、その一家もワンコの犬種も知らない俺からすればそんなことは終わりでもなんでもない。始まってすらないとも言えるかもしれない。何しろ終わるためにはまず始まらなければいけないのだから。

 

 屁理屈だと一蹴いっしゅうしてくれても一向に構わない。とにかく俺はそう信じる。人は死んでもそのことには気づけない。その人という存在は、彼女がその時持っていたものは、死んだ当人にとっては永遠なのだと。

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