ハルトカンガエル

られ
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09: 落とし穴は無いと言われたので、僕はその一歩を

公開日時: 2023年2月16日(木) 18:00
更新日時: 2025年1月22日(水) 19:48
文字数:2,435

「約束なんかいちいち守ってたら奴隷になるだろ」

 

 晴人は吐き捨てるようにそう言って笑った。

 

 

 

「つぎ団体応援だよね?行こっか」

 

 元カレ語りにも一通り満足した理沙りさが立ち上がる。真帆乃まほのはそれに言い訳するみたいに目を泳がせた。

 

「あー……ごめん、教室に、す、水筒取りに行っていい?」

 

「うん、じゃあ一緒行くよ」

 

「ありがと」

 

 廊下を歩きながら真帆乃は考える。自分がいつか恋をしてその相手に冷めてしまったら。あるいは冷められてしまったら。自分に気持ちが無くなってしまったのなら、やはりそれは仕方のないことに思えた。多分そこまでの自責は感じない。きっと相手にも原因があってそうなるのだろうし。でもそのように冷められたらどうだろう。自分が悪かったのだと納得してすんなりと諦められるのだろうか。

 

「あ……」

 

 2クラスの教室に着いて、理沙が声を漏らす。次の時間、ここを使う競技はたまたま無かった。物音は無く電気も落ちていたが、そこにはただひとり、野田翔が立っていた。死んだ目をして、立っていた。

 

「…………」

 

 理沙は軽く顔を伏せ、教室に入っていく真帆乃には続かず立ち止まる。

 

「理沙」

 

「…………」

 

 翔が呼びかける。理沙は応えない。

 

「話あるんだけど」

 

「……………………」

 

 やはり理沙は応えなかった。翔は待った。自分の知っているコミュニケーションをするために待った。それは叶わないだろうと、充分予測できていても、待った。

 

「なんで約束したの」

 

 誰かが力なく呟いた。───いや、それが翔であるのは声から明らかだったが、誰もそちらを向いていなかった。答える者も無かった。

 

「夏、海に行こうね」

 

 水着とビーチボール。

 

「映画の一気見しよう」

 

 欠伸あくびと視線。

 

「クリスマスはどこで過ごそうか」

 

 電飾でんしょくと背伸び。

 

「……約束じゃなかったの? 守る気なんか無かったの?」

 

 未来と人生。

 

「……………………」

 

 おり悪く通りすがる人なども無くて、ちゃんと沈黙が流れた。換気のため開けられた窓の外の喧噪くらいは問題にならない。

 

「……別にその時はそのつもりだったけど。…………しょうがないじゃん」

 

 心底不快そうに理沙が言う。視線は床の汚れに向けたまま。

 

「何がしょうがないの? その時だけ本気だったら、気が変わったら無かったことにしていいの?」

 

 翔の語気が強くなる。

 

「だって別に契約書があるわけでもないし」

 

 理沙は鼻で笑ってそう言い放つ。

 

「そんな子どもの言い訳ッ……おかしいよ!」

 

「そんなおかしい奴なんかやめときなよ、もっといい人がいるよ」

 

「理沙しかいないんだよ俺には!!」

 

「そんなことないって」

 

「……だって理沙のために生きてるのに…………」

 

「……私は翔に、翔のために生きてほしいよ」

 

「…………」

 

「ごめんね」

 

「……嫌だ」

 

「うん、許してくれなくてもいい」

 

「嫌だ…………」

 

「……真帆乃ちゃん、私もう行くね」

 

 きびすを返した理沙───その手首を掴んだのは真帆乃だった。

 

「な、なに?」

 

「ダメ…………」

 

「え? ……真帆乃ちゃんには関係無いでしょ、離して」

 

「違う、ダメ、ダメなの…………!!」

 

「え……?」

 

 見ると、真帆乃の眼にはうっすら涙が浮かんでいた。その表情は何かにおびえるように歪んでいる。なにか様子がおかしい。

 

「ちょっとどうしたの?」

 

 心配になり、一歩歩み寄った理沙の肩を真帆乃の手が強く掴む。

 

「───やくそくはまもらなきゃ」

 

 そのまま両腕を引き理沙の体を教室の中に引き込む。

 

「ちょ───」

 

 後ろに回り、抱きつくように体を抑える。逃れようとして体制を崩しかけた理沙が顔を上げると、そこにいつの間にか近づいてきていた翔が立っていた。

 

「…………」

 

 乱れた前髪のかかる視界に映る顔。お世辞にも美男子とは言えないその顔を、理沙は『でも顔も好きだよ』と言ったことがあった。それだけで、別に、今理沙がふと思い出したというわけでもなく、何も無い。

 

「……手伝ってもらうって、約束したんだ」

 

「は……?」

 

「乙倉はホラ、理沙と違ってちゃんと約束守ってくれてるよ?」

 

 耳元で真帆乃の荒い息遣いが聞こえる。翔は右手でははさみを鳴らしていた。左手では錠を弄んでいた。───【約束を守らせる】能力。

 

「約束は守らなきゃ。一方的に破ったのになんの罰も無いとかおかしいでしょ」

 

「なに……なに、やめて来ないで!!!」

 

 理沙が必死に暴れ、それを抑え込もうとする真帆乃もろとも床に倒れ込んだ。そこにあった机が押されて、椅子とその奥の席をまた押して大きな音を立てた。翔はかがんで理沙の顔に顔を寄せる。

 

「俺のものになるってもう一回ちゃんと約束して」

 

「嫌に決まってんでしょ、バカじゃ───」

 

「じゃあ殺すよ」

 

 理沙の眼前ではさみがシャクと音を立てる。

 

「……もう一回約束して。ずっと一緒にいるって」

 

「───ッ、何回も言ったでしょ! 私はあんたのこともうなんとも思ってないしこれから好きになることも無いの!!」

 

「ならなんで約束した!!!」

 

 翔は錠を手放し、その手で理沙の前髪を掴み頭を持ち上げた。

 

「約束……約束してなければ俺だって……理沙に吊り合ってないのなんてわかってた……!!」

 

 力以上に何かの込められた拳が震える。

 

「でも理沙が、俺とずっと一緒にいてくれるって約束してくれたから…………なのに!!」

 

 理沙は痛みに顔を歪めながら、それでも目は逸らさずに翔を見ている。真帆乃はその体を力強く抑えながら、ときたまうわごとのように何か呟いている。翔は口を小さく動かしながら息を詰まらせている。彼の頭の中では正しい展開の流れがとっくのとうに出来上がっていて、それがごく常識的に進めばまた理沙と2人で幸せに過ごしていけるはずだった。でも理沙にそう振る舞う素振りが無いまま進めていくのには、限界があった。

 

「…………おねがい ……すてないで」

 

 ───しばしの沈黙の後、翔がすがるようにそう言った。

 

「……そういうとこが嫌だったんだよ」

 

「……そういうとこが好きだったよ」

 

 右手に握るはさみを持ち換え、握り込む。その動作がそれなりにスムーズだったのも、多少気の利いた返しができたのも。

 

(きっとこうなるってわかってた)

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