(あれ)
朝のホームルーム開始の時刻をゆうに過ぎた1年2組の教室。しかし担任教師の姿が見えない。
(せんせ遅れてんかな?)
なにも初めてのことではない。職員会議が長引いただかなんだかで担任が遅れてくることは多く、むしろ時間通りに始まることは少ない。今日もそうだとすれば、どうやら晴人は遅刻を免れたらしい。
(それにしたって今日はだいぶ遅れたけどな)
まぁ俺にだって事情がある。たまたまその日先生にも何か事情があっても、そこまで不思議なことではないだろう。皆勤賞を目指すようなガラでもない。さしたるお得感も感じず、晴人はそんなことを考えながら自分の席に着いた。窓から2列目、後ろからも2番目。
「おはよ」
「はよ」
隣の席の女子生徒、乙倉真帆乃に挨拶を返す。
「遅かったね? 寝坊? なに?」
「いやぁ……」
なに、と訊かれると……なんだろう。とても一言で言い表せる気がしない。
「……事故?」
とても一言で言い表せる気がしない。
「うっそ!」
「うーん、嘘……」
「なんだよーーもう!」
「うーん……」
雲居晴人には友達がいない。作る必要性も感じていない。自然にできるということも無い。4月に始まった高校生活もおよそ1カ月を経たが、未だにクラスの半分くらいは顔と名前が一致しないし、係の仕事等でやむなく話しかけられる時向こうも自分の名前があやふやな手ごたえがある。そんな中で言えば、乙倉真帆乃は数少ない晴人と面識のあるクラスメイトだ。それは偶然席が隣だったからとか、彼女の人当りの良い明るい性格のおかげということもあるが、中学校が同じで若干の親交があったことが大きい。なので晴人も知っている。彼女はいちいちリアクションが大きめだが、別にぶりっ子とかそういった類ではない。
「あ、来た」
真帆乃が教室の入り口に目を向けた。
「おはようございまーす職員会議で遅くなりましたー連絡は放課後HRでしまーす、出席だけ取りまーす、相原ー」
間もなく1限開始という時間になってやっと1年2組の教室にやってきた担任教師高田は、教卓にたどり着く前に事情を説明し終え、なんならまだ歩いている内から出席を取り始めた。外の雨でじめじめとした教室は生徒たちの駄弁りでまだガヤガヤとしている。
「小田ー」
「はい」
「乙倉ー」
「はーい」
出席番号6番、真帆乃が軽く手を上げ返事をした。それを横目に、晴人は先ほどのことを思い返している。突然知らないイケメンに話しかけられた、というか泣きつかれた、今朝のことが事故でなければあれはなんだっただろう。いや桜木楓なる女子生徒が行方不明となれば、事故というより事件だろうか。
(そうはならないと良いけど)
「雲居ー」
「あい」
出席番号13番、自分の番が回ってきたので気の抜けた返事を返す。『元気よく返事をしなさい』なんて注意されるのは小学校までだ。
────体育教師ならあるいは? これは晴人の偏見である。
(まあまあ、無事であることを祈るよ)
見かけたら2年4組まで、などとは言われたが、桜木先輩とはもう会うことも無いだろう。繰り返しになるが晴人は顔の広い方ではない。桜木楓本人の顔も知らないし、誰なら知っているのかもわからない。そもそも何組だろう。
「桜木ー」
今何番まで来たのだろうか。高田がその名を呼んだ。しかし返事は無い。淡々としていた出席確認の流れが止まった。
(…………)
「桜木ー?」
「あ、今日休むって言ってましたあ」
廊下側の方で誰か女子がそう言った。
「あ、そう。桜木楓、欠席と」
高田が手元の名簿に何やら書き込んでいる。晴人はそっと目を閉じ、再開した点呼をしばし聞いて、またゆっくりと目を開いた。
(2組だったわ…………)
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