とうといものは ぜんぶ あのこがもっていってしまった
「あ、きっ」
一夜明けた木曜日。いつも通りの時間に登校してきた晴人を、席替えをして隣の席になった楓が二度見して何かもらした。
「?」
晴人は席が変わらなかったが、当然周りはそうではない。軽く周りを見渡し、真帆乃がいたのとは逆の隣に楓がいたこと以外には特に感慨も無く、晴人は椅子を引いた。
「……となり」
楓が曖昧にお互いの席を指さす。
「え? ああ」
だったらどうしたのか掴みかねたまま座る。
「昨日、どうしたの?」
「昨日?」
「来なかったじゃん」
球技大会を欠席したことだろうか。真帆乃ならともかく、楓にツッコまれたのは意外だった。
「爆痛」
「ばく……?」
「サボりだよ」
「……サッカー経験者なんだって? 真帆乃がキレてたよ」
楓たち1年2組は、女子サッカーや男女バレーが好成績を残したものの男子サッカーが足を引っ張りパッとしない結果に終わった。
「いや経験って…… 小学校のお遊びサッカーよ? ノーカンノーカン」
たとえ中学3年間をサッカー部に捧げたとしても晴人はこんな風に言いがちだが、事実これは謙遜とも言い切れなかった。週に2回も3回も練習があるクラブもある中で、晴人が習っていたところは週に1回2時間ばかり。雨が降ったらその日は中止。フットサルよりもせまいくらいのコートで、背番号はおろかポジションも決まっていないありさまだった。晴人は当時も今もリフティングの10回すら出来ない。
「野田も休んだんだよ。だから男子サッカーボロボロ」
野田翔。先月の一件に絡───むかと思ったら絡まなかった───わけでもないのかもしれないサッカー部員だ。現役サッカー部員を欠いたとあらば、それは痛手だろう。
「いやそっちだろ。俺にやつあたりすんな」
「まぁね」
楓はたいして気にしてもいないのだろう、軽く笑っている。流れで適当な会話をしている内に、担任がやってきて点呼が始まった。
「桜木ー」
「はい」
楓はピンと手を上げて返事をした。元気いっぱい、というキャラではないが、ところどころでずいぶんちゃんとしている人だなと晴人は思う。
「んで、結果は? 順位とか出るの?」
「1年の中で2位だったぽい」
「ふーん。やっぱ3年が強いん?」
「まーうん、だいたいね。経験者がいっぱいいると1年でも勝ってたけど」
「サッカー出たの?」
「わたし? うん。わたしも初心者みたいなもんだけど、けっこう勝ったよ」
「へー、すげー」
考えてみると走るのが本当に好きなわけではなかったのだ、と彼女は言っていた。晴人に語ったのではない。その時真帆乃がたまたま傍にいただけだ。
(それはそれで残酷というか、アレな気もするんですが)
姉との差に苦しんだ楓。それが才の差であるとするならば、楓に才で劣る生徒もまた在るのではないだろうか。好きではないからと簡単に辞められてしまっては、そういう彼らの心中は如何ばかりであろうか。
(まぁ別に誰が悪いとかじゃないからなー)
とにかく余計な執着を捨てるために競技を変えたかった───決してサッカーを侮るわけではないが。そんなようなことを言っていた。
「野田ー」
テンポよく流れていた出席確認の流れが止まった。
「野田って部活とかもしばらく来てないの?」
担任教師、高田に訊かれたサッカー部と思しき男子が頷く。
(ほんで彼は今日も休みですか)
昨日に続き今日も休んだくらいのことなら、周りからもちょっとしつこい風邪を引いたくらいのものと思われるだろう。少なくとも晴人は気にしない。高田がわざわざ部活への参加について質問したのは、晴人が席替えされたばかりの教室に視線を回し空席を探したのは、ここしばらく彼の欠席が目立っているからだ。期末試験の期間は出席していたが、その前、6月下旬においては数日続けて欠席することも目立った。
(まぁ俺ができるこた無いわね)
部外者が事情を邪推するなら、この場合行き着くのはやはり事実としてここ最近の彼にあった失恋だろう。心を痛めている人に対して、他人ができることはなんだろうか。晴人は自分なりに答えを出しているつもりでいる。それに基づくならば、野田少年がどれだけ沈み込んでいたとしても晴人からアプローチをかけることは無い。
(助けようって、それも自己満足だからなぁ、結局)
「に じゅ う な な て ん」
丸刈りの男子が太い声を張り、再生紙を堂々と掲げる。教室には笑いが起きる。珍しくもない、クラスの中でもよく目立つ男子生徒が数学のテストを返却され追試参戦が確定するシーンである。
(追試かぁ)
赤点の解答用紙を囲んで笑いあう一団を横目で見ながら少し不安になる。今回の期末試験は晴人たちにとって2回目の高校のテスト。ミナミコーはいわゆる進学校である。そこに進学してくるのはいわゆる勉強ができるタイプの生徒たちだ。テストなんてものは90点を取って当たり前、ということが彼ら彼女らの中学時代には珍しくない。しかし多くの生徒がその認識を改めざるを得なかったのが前回の前期中間試験、特に数学の試験であった。「30点未満は追試」という話を、果たして何人が自分のこととして聞いていただろうか。テスト返却時、赤点組(のうち端から完全に捨てていた男子を除く面々)の焦り様、気落ちのしようはなかなか痛ましかった。これまでの人生で見たことも無いような点数が返ってきて、しかも追試を受けなくてはならないのだ。ショックを受けるのも無理はない。晴人は危なげない60点ではあったが、それがわかるまでまず追試は無いという自信は持てていなかった。それは今回も同じである。
(いや別に追試になったって、追試を受ければいいんですけどね なんか…………なんかね)
ああやって追試をひけらかして、それを茶化して、そんなことをするから他の追試勢まで肩身が狭くなるのではなかろうか。励まし勉強会の予定を組むくらいの空気を作れないものだろうか。
(無理だろなァ)
彼らはこのまま、同じようなことをずっと大学受験まで繰り返していくのだろう。なんなら交友関係を替えてその先も。
(……で、なんだかんだ大丈夫なとこまで前回と同じと)
57点。追試回避、以外に特に感想の出ない心持である。
「余裕やな」
自分の返却を待つ楓が声をかけてきた。晴人はペラリと解答用紙を見せる。
「そんなでもないけど」
「高いじゃん。平均がだって37しょ」
「まぁねえ。……平均そんなんでいいのかね」
「よくはないんじゃないの…… わかんないけど」
「記録的に文系が多い年なんかもしれん」
「そんなはずはないんだけどね~」
「記録的に勉強ができない年なんかもしれんな」
「やべ~」
平均点が5割を割るのは中間でも数学2科目くらいのものだった。担当が特別焦っている様子もなかったし、今回の期末も、この先もそうなるのだろう。とりあえず今回は各人反省を活かし平均点大復活とはならなかった様子である。
(むしろハナから諦め宣言が多く聞かれたような気もする……)
解答用紙と模範解答とを照らし合わせ、凡ミスケアレスミスに辟易とするなどしている内に楓がテストを持って戻ってきた。席に座り、特に感情の見えない貌で模範解答を眺めている。机に置いた解答用紙は得点の部分が角を折って隠されていた。数学に限っては問題用紙の両面に回答する。点数を隠すために用紙を伏せるとより難しい、そしてたいていの生徒にとって出来の悪い、裏面が見えてしまうという事情からだろうか。
(そんなことしなくても誰も見ないと思うんだけど)
そして見られたって別にいいじゃないか、と晴人は思う。たとえ赤点を取ったとしても、彼はその解答用紙を雑然と机上に広げておくだろう。───ちょうど今そうしているように。それはたまたま裏面を上にしているかもしれないし、あるいはたまたま点数の記載がある表面を上側に見せているかもしれない。───ちょうど今、たまたまそうなっているように。それで誰かが何か言ってくるとは思えない───のは彼に友達がいないからだとしても、晴人自身は友達が赤点を取っていても特にコメントをしないと思う。
(それともなにか、赤点だとこう……ハブられたりするんですかね)
テストの得点などというのはある種わかりやすい能力の評価であるし、それが低いのは喜ばしいことではないだろう。まさか誇るべきものでなかったとしても、それでも恥ずべきものでは無いように晴人は思う。あくまで今回の結果であるし、単なる数学の評価であるし、とにかくその数字がそこまで大層なものには感じられない。成績がどうの推薦がどうのといった、そういう現実的な話に関連づけて言えば軽んじてばかりもいられないところがあるが、それはそれ。芳しくない結果が恥ずかしい、人に見せるのも憚られるということにはならない。───ならなくていいはずだ。 ……ならなくていいんじゃないか? ダメなんですか?
(そういうわけにいかないなら……まぁ好きにしてもらうしかない 俺は俺で好きにするので)
───その後、テストが返ってくる度に好きに解答用紙を隠さず置いた。楓はいちいちそれになにかコメントした。日本史92点、現代文83点、数学I60点を挟んで古典96点をペラリと机に出したとき、楓が晴人の膝を無言ではたいた。
「あ痛ァ!」
ひとつ後ろの、どうも楓とある程度親交があるらしくさっきからちょくちょく口を挟んできていた、よく知らない女子生徒が自分のテストを受け取りに行きがてら晴人の机を手の平で叩いた。
「え怖ァ!!」
赤点より高得点の方が敵を作るかもしれない。周りに合わせず好きにやっていいのは好きにやった結果常識を外れない者だけなのかもしれない。そうでなければそうでなかったぶんこういうことが起こる。
(人の得点見なきゃいいんじゃないですかねェ!!!)
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