白猫少女《ケット・シー》は仮想世界で夢を見るか

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第七話 図書室の彼女

公開日時: 2020年9月13日(日) 23:24
文字数:3,410

 恋白の初ゲーム体験から一週間ほど経った放課後。

 二年は新学期の健康診断で一足早く授業が終わったので、後輩を待つ間、俺は学校の図書室に来ていた。色とりどりの小説や参考書、辞典なんかがたくさん貯蔵されている。最近はほとんどの本屋の棚までもがほぼ電子書籍になっていて、こうして紙で公開されている所は珍しい。


 かくいう俺も少し前までは恋白ほどではなくとも時代遅れな人間だったので、画面をじっと見つめているよりは紙で読んだ方が好きだ。ゲーム以外の機械類は未だ満足に使えないので、あまり彼女のことを馬鹿にはできない。


 広い割には他に人が見当たらない図書室を奥に進むと、受付に一人の女性が座っているのが見えた。長い黒髪をかき上げながら本に目を落とすのは、まさに大和撫子という表現がぴったりな女子生徒。彼女は自らの元へ向かう人の足音に気付き、顔を上げた。


「久しぶりだな桜花」

「陽斗…………またお前か」

「そんな嫌な顔すんなよ。今日は本を返しに来ただけだし」

「本当にそれだけか?」


 その言葉には何も返さず、鞄から取り出した小説を机の上に置く。彼女はそんな俺の様子を物言いたげに見て、やがてため息交じりに回収した。


「小説、結構面白かったぞ。前にお前が読んでたやつの続編だっけ」

「……同じ作者だが、これは全く別物だ。私はファンタジーは読まん」

「あ、そういえばそうだったな」


 日本文学や古典を嗜む、見た目通りの趣味を持つ彼女──金春桜花こんぱる おうかはいわゆる俺の幼馴染。小学生の頃から同じ学校に通い、家も近かったことから割と仲の良い関係だった……のだが。


「何度誘われても私はお前らの部活には入らんぞ。その……えっと……」

「第二ゲーム部」

「そう、それだ」


 桜花の言う通り、設立を決意した去年から俺は何度も彼女を第二ゲーム部へ勧誘し続けている。それも朱鳥のような類稀なるゲームセンスがあるからとかではなく、むしろ恋白の時と似たような理由である。


 家は古くから伝わる道場で、小中そして高校一年の時に剣道の全国大会で優勝。更には柔道や弓道においても全国クラスの強さを誇る、まさに十年に一人レベルの天才だ。


 そんな彼女がなぜ図書室で一人静かに本を読んでいるのか。それには理由があった。


「でも怪我で運動は控えるように言われてるんだろ。ダイブ型ゲームのリハビリ効果は科学的に実証されてる」


 オーバートレーニングよる右肘の怪我。スポーツをする人間にはよくあることだが、医者に復帰まで一年はかかると言われた彼女は、その日からずっと図書館に籠っている。


「何度言われてもやらん。私の心技体は武道のためにある。そんな児戯のために鍛えたわけではない」


 そして桜花は恋白以上に融通が利かなかった。「一度だけでいいから」と誘ってみても、頑として意思を曲げないし妥協さえしない。恋白を昔の人と呼ぶなら、きっと桜花は原始人というのが適当だろう。


「児戯って、やったこともないのに言い切れるのかよ」

「言えるさ。ほらこれを見てみろ」


 桜花が出してきたのは、とある古い雑誌の見開きページ。そこには髭ヅラの厳しそうな顔をした老人の写真と共に『ゲームは健全な精神と肉体を蝕む毒』と大きく書かれていた。下には金春幹正(みきまさ)という、桜花の実の祖父であり彼女が最も敬愛する人物の名前が添えられている。


「それ何年前の記事だよ。いつも思うけど、その雑誌が出てからもゲームは進化してるし」

「そんなことは関係ない。重要なのは師匠であるおじい様がこう仰っていることだ」

「……はあ」


 もう何十回と繰り広げられた同じやり取りに、思わずため息が漏れる。

 家柄のせいか元々おじいちゃん子だった桜花は、半年前にその祖父が病で倒れてから更に頑固になった気がする。命に別状は無いからと検査入院しているらしいが、この様子では彼女の意思を曲げさせるのは難しいだろう。


「本を返しに来ただけなのだろう? お前だって部活があるのだし、早く行くといい」

「それも、そうだな……邪魔した。また来る」


 またダメか……。もしかしたら彼女の気が変わるかもと期待していたが、やっぱり今日も変化は無いらしい。このまま勧誘を諦めて帰宅、というのがいつものパターン。


 しかし今回ばかりは少し違った。図書室を後にしようとする俺の制服の裾が何者かに掴まれたのだ。


「どうした?」


 振り返って確認すると、裾を掴んだのはもちろん桜花だった。親指と人差し指で摘まんでいるようだが、とても指だけで押さえているとは思えないくらいの力強さだ。体を軽く引いても、むしろこっちが引っ張られるほど。


 彼女は軽く顔を横に背けながら、先ほどよりも小声で言った。


「しかしその、なんだ。お前の熱意は痛いほど伝わったのもまた事実で……」

「え?」

「だから、えっと……陽斗が誠意を見せてくれれば検討くらいはしてやってもいい……という、か……」

「本当か!?」


 予想もしなかった言葉に思わず机に体を乗り出す。


「あ、焦るな。検討と言っただろう!」

「っぶ!」


 若干引いた様子の桜花へ更に詰め寄ると、凄まじい威力のパンチが顔面にヒット────する寸前で躱し、ぶおんっと風を切る音が頬を掠めた。


「桜花おま、マジで洒落にならないから止めろ!?」

「お前が近づき過ぎだからだ! もっと離れろ!」


 猛牛を相手取るように、拳を握って構える桜花を宥めながらゆっくり後退する。


 こいつの鉄拳は本当に顔が吹き飛びかねないレベルだから、次は冗談抜きで死ぬかもしれない。今避けることができたのは奇跡に近い。


 俺が離れたことで警戒を解いた桜花に、改めて質問する。


「それで、今の話について詳しく」

「うむ……まあいいだろう」


 桜花は微かに紅くなった顔を誤魔化すように咳払いを一つし、続けた。


「実は次でお前の勧誘は百回目になるのだが……正直言って、ここまでしつこく付きまとって来られるとは思わなかった」

「え、数えてたの。意外と律儀なんだな」

「た、たまたまだ! 陽斗が私に勧誘した数だけ、後で殴ってやろうと思って!」

「……冗談ですよね?」


 百回もマトモに殴られたら顔の造形どころか、全身の跡形すら残るか怪しい。さらっと死刑宣告がされたことに戦慄しつつ、しかし頑張って話に意識を向けた。


「とにかく、たとえ児戯であろうとも、陽斗がゲームに本気で打ち込んでいるというのは理解した。だから私がお前の遊びに付き合う条件を用意したのだ」

「それがさっき言ってた、『誠意を示す』ってことか?」

「そうだ。陽斗だけでなく、お前ら全員がどれだけ本気なのか知りたいのだが、生憎私はゲームとやらをよく知らない」


 そこまで言いかけたところで、桜花は机の下から取り出した鞄を膝に置き、中から一枚の紙を取り出した。


「私のクラスメイトにゲームに詳しいやつがいてな。そいつにその『だいぶがた』のことを話したら、ちょうどいい『もんすたー』とやらを教えてくれた」


 その友達が〈エターナル・モーメント〉をプレイしてるのなら候補の一人に……とも考えたが、流石にここで聞いては失礼すぎるからグッと堪える。今度さりげなく聞いてみよう。


「ほらこれだ。画像も付けてくれたぞ」


 画像が添付されているらしい紙を受け取り、確認する。


「は? いやお前これって──」

「どうだ強そうだろ? 私はよく分からんが、もしお前らがこんなのを倒せるなら認めてやらんこともない」


 改めて視線を落とした紙には《ゴレアス》とモンスターの名前が記載されている。ネットから拾ってきたのか画質が粗いので青い鉱石の塊くらいにしか見えないが、俺の記憶が正しければ青の鎧騎士だったはず。


 ゴレアスは〈エターナル・モーメント〉において〈ネームド・モンスター〉という特定の場所に一定確率で出現するレアモンスター。他のモンスターよりも良質な素材をドロップする反面、その辺のボスよりも強い場合が多い。少なくともコイツが出現するダンジョン内では段違いだ。


「まさか無理とは言うまい? 私に誠意を示したいなら、そのくらいはこなしてもらわんとな。期間を過ぎたら結果を聞かせてもらおう」


 この得意げな様子を見るに、そのゲームをやる友人はきっと「初心者にちょうどいい相手」とでも吹き込んだのだろう。本気でこんなチョイスをしたあたりエアプ勢か、或いは余程性格が悪いかのどちらかだ。

 正直言って無謀に近いが、ここで退いたらもう彼女を勧誘できるチャンスは二度と無い。

 俺はできるだけ自信満々に、胸を張って応えた。


「余裕! 任せとけ!」


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