雪月花~The Last Vampire~

九季さくら
九季さくら

早速遭遇変質者!

公開日時: 2020年10月15日(木) 21:06
文字数:3,548

 カラン────


 鈴の音の様なモノは暗闇の向こう、坂の上から確実に私達の方へ近付いて来る。

 街灯の光に晒されて、ただ漆黒の闇だったその音の正体が露になった。



「────」

 私は直ぐさま忍の影に身を隠し、そっとその影を覗き込む。

 影の姿に忍も思わず黙り込んだ。

 ソレは、誰がどう見ても怪しいモノなのだ。


 このご時世に魔法使いを彷彿とさせる突飛なローブ。おまけに顔全体を覆うフード。

 街行く人100人に聞いたら、絶対、100人全員一致で『怪しい』という答えが返って来そうな程だ。


 ローブ姿の人物は、足を止める事もなく、真っ直ぐ私達の方にやってくる。

 そして、私達の目の前まで歩み寄ると、静かに立ち止まった。


「────にもか……」

「は……?」

 フードの中から発せられた声。

 それは本当に小さく、聞き取れるモノではなかった。

 それでも、フードの中の瞳が忍のコトを凝視している事だけは、私にも理解できる。


「────」

「忍……」

 忍は答えず、視線だけでローブ姿を威嚇する。

 密着している為か、彼の唾を飲み込む音がやけに大きく耳に届いた。



 忍とローブ姿の人物は、向かい合ったまま、その空間だけ時間が止まったかの様に動かない。


 声を上げるコトは愚か、呼吸すらままならない。

 二人が向かい合ったまま、どれくらいの時間が過ぎたかはわからない。まだ10秒と経っていないのか、もしくは10分以上経ったのか。

 ただあまりの出来事に、私の中の時間感覚が麻痺してしまった様な気にさえさせられる。


「────ましょう」

 今一度、ローブ姿の人物が虫の羽音のような小さな声で囁いた。

 

 言うや否や、その謎の人物は小さな衣擦れの音と共に、何ごとも無かったかの様に背中を向けて、無言で去って行く。


「────」

 忍は目を丸くして、視線だけでローブ姿の後を追う。

 その後、ソレは振り返る事もせず、静かに暗闇の中へと溶ける様に消えて行った。



「さ、殺人犯かと思ったぁ……露骨な不審者すぎる……」

 ほっと安堵の溜め息を漏らし、私はヘナヘナと地べたに座り込む。そしてドサクサに紛れて忍に抱き付いていた自分を思い出し、燃える様に頬が赤くなったコトを理解した。

 忍はローブ姿が去って行った方を見つめたまま、動かない。



「し、忍……?」

 彼の中の時間は未だ止まっているか、忍は答えない。

「ねぇ……」

「ん、あぁ悪い悪い」

 忍も我に返る。


「何だったんだろうな今の。時間、余計に食っちまった」

 そう言って、忍は地べたに座り込む私に手を差し伸べた。

 その手をギュッと握り返し、まだ力が抜けたままの体を起こす。


「大丈夫かお前、顔赤いけど?」

「ううん……大丈夫、大丈夫!」

「そうか? なら良いけど」

 さっきの事を早くも振り払ったのか、忍はいつもの調子で歩き出す。

 駅まではこの坂を上れば、すぐ目と鼻の先なのだ。



 ◇


 犬神咲羅の実家は、楠木くすき市の中でも極めて小さな『北楠木』という地域で、小さな神社をやっている。

 外見は寂れたモノだが正月などには初詣に来る客も多く、犬神神社と言えば小さな北楠木の唯一のシンボルでもあった。

 しかし北楠木は忍の住む本楠木とすぐ隣りに位置しているものの、その差は大都会と田舎程の違いがある。


 駅前にビルが聳え建つ本楠木。

 駅前にコンビニも無ければ、ロータリーすらない北楠木。


 時刻は20時過ぎ。

 やはり頻繁に事件の起きている本楠木と近い為か、今日は平日であるにも関わらず、駅の構内は帰りの人々で一際賑わいを見せていた。皆少しでも早く家に帰ろうと思っているのだろう。



 忍と咲羅は駅の喧騒を後に、北楠木の薄暗い駅前の通りを歩いて行く。

 心なしか道を行く咲羅の足取りは軽い。


 その理由は何とも簡単なモノだった。


 “駅まででいいよ”と断った咲羅を、忍は家まで送っていく、と言ってくれただけの事。

 そんな単純な理由でも、恋する乙女にしてみれば好きな相手がそう言ってくれただけで、嬉しくなるのも当然だった。

 いつもなら“あぁ、そう?”と答えを聞くや踵を返していた忍。

 

 今日はあんなコトがあったから、特別なのだろうが────



 一方忍は、変わらずポケットに手を突っ込んだまま、咲羅のペースに合わせて横を歩いている。


「もうすぐさ、クリスマスだよね?」

 弾む心を抑えるコトもせず、咲羅は2ヵ月も先の事を口にした。


「クリスマスなんてまだ2ヵ月も先じゃねぇかよ」

「実はもう忍とどう過ごすか、計画は練ってあるのだ」

 忍はまだまだ先の事と言う認識の様だが、咲羅は気にもせず、一人クリスマスの話題で盛り上がる。

 なんだかんだ言いながら忍も咲羅に付き合った。



 そうしているうちに、一つの信号を挟んだ向かい側。犬神神社の鳥居が見えて来た。

 忍の目の前で、上機嫌の咲羅が振り返る。


「すぐそこだし、ここまでで大丈夫だよ。ありがとね、忍!」

「おぉ、じゃあな」

「あ、うん……」

 

 踵を返す忍にまたね、と無言で手を振る咲羅。


 彼女の頭の中は一瞬にして、さっきまでの暗いモノに戻された。

 忍はあれを、もう何も無かったモノの様に考えているのだろうか。


 何故今日に限って別れ際に“じゃあな”なんて、二度と会えないような言い方をするのか。


 いろいろな考えが咲羅の頭の中で錯乱し、不安になる。


 ────じゃあな。


 いつもなら本当に大した意味の無いその言葉。

 その一言が重くのし掛かった。まるで、忍がどこか遠くに行ってしまう気がして……



 ◇


 咲羅を送った後どこに寄り道をするでも無く、黒霧忍は真っ直ぐ家に帰宅する事にした。

 いつもならコンビニにでも立ち寄って、雑誌の立ち読みくらいして行くのだが、今日はそんな気分になれない。

 咲羅の前では平然を装っていたが、正直あの時からあの事が、頭から一向に離れてくれないでいた。



 ────ここにもか。


 ────また会いましょう。



 アイツは忍自身に向けて、確かにそう言ったのだ。


 咲羅にその言葉が聞こえていたかはわからないし、あいつが何者なのかもわからない。


 ただ、ソレから感じられた殺気。

 それだけは忍にも普通じゃないと感じ取れた。


 少しでも動けば、四肢をもぎ取られる様な感覚。

 少しでも大声を上げれば、喉を貫かれる様な錯覚。

 不用意に手を出せば、一瞬にして生命活動を停止させられる様な恐怖。


 それが忍の中で交錯していたのだ。


 極力考えないようにしても、それは容赦無く忍の脳裏を駆け巡る。



「くそっ……なんだってんだよ!」

 考えても埒が明かず、思いきり壁を殴り付ける。

 ドゴ……という低く鈍い音が、夜の闇に響いては溶ける様に消えて行く。

 殴り付けたまま壁に押しつけた拳は、肩の骨までギリギリと軋んだ。


「────忘れよう」

 無意識に、小さくそう呟いた。



 アイツの事は忘れよう。


 あの禍々しい程の殺気は忘れよう。


 深く考えるのはもうやめよう────


 よし、と自分で納得して小さく頷くと、血で赤く滲んだ拳をポケットにしまい込む。



 夜の9時。

 既に喧騒さえ消え去った街の中。

 静寂に満たされた闇の中を、黒霧忍は自宅に向かって這う様にゆっくりと歩き出した。



 ◇


 高層ビルの屋上。

 そこは暗闇に覆われただけの空間で、まさに異世界にすら感じられた。


 そんな闇一色のビルの上、白いローブ姿が一つ。ポツリと立っている。


 不思議なコトに、ローブ姿が立っているそこだけは周囲の黒をかき消す様に明るい。


「────」

 無言で見下ろす視線の先、さっき鉢合わせた茶髪の少年が力無く暗闇の中を歩いて行く。

 上空から見下ろすソレは豆粒と思える程に小さかった。

 ましてやこの暗闇の中で、ソレを事細かく捕らえるコトは、人間の肉眼では殆ど不可能に近いのだが────



 少年の姿はやがて建物の影へと消えて行き、完全に視界から消え去った。


「────」

 言葉は無い。

 ローブ姿はさっきまで少年が立ち尽くしていた暗闇を、ただ上空から見下ろすだけ。


「この街も、化け物の巣窟……か……」

 呟く小さな声。そこに感情なんてモノは微塵も無い。


「……」

 再び訪れた沈黙。


 そろそろ街も眠りに付く頃だろうか?


 街の人々だって馬鹿では無い。猟奇殺人が頻繁に起きているこの街で、あまつさえこんな時間に外へ出るような愚行をする人間などいないだろう。


 皆自分の命が大切なのだから、他人より。恋人より。

 それをみすみす捨てに行く事は絶対にしない。


 点々と点いていた建物の明かりの数も、時間が経つにつれて減っていく。



 ────突如上空で起きた突風が、顔を覆っていたローブを強引に捲し上げた。


 暗闇の中、露になったローブの中の顔。


 それはまだ幼さの残る少女の繊細な顔立ちで、未だ微かに吹く風が、その長い前髪を優雅に靡かせて見せる。


Novemノウェム、レイン。配置に着きました。狩りを開始します────」

 さっきまでとは感じの違う少女の声。


 暗闇に佇むソレは、誰に対してでも無くそう呟くと、少しだけ口許を緩めて微笑んだ。



 そう────


 夜が更ける今、奴等は行動を開始するのだから。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート