「ぐへっ……!」
これまた見事な蹴りを食らい、吹き飛ばされる俺。壁に打ち付けられると同時にカエルが車に轢かれた時の声じみた嗚咽を発した。
うぅむ……デジャヴ。こいつは蹴りも凄まじかったのだ。
「チェックメイト」
無表情に言いながら、床にうなだれる俺へと歩み寄り、首に刀を突き付ける六条れいん。
「ふ……ざけるな……」
俺も必死の抵抗を試みるも、まともに食らった蹴りのせいか体が思うように動かない。
「街のタメなの。悪く思わないで」
悪く思うに決まっているだろうが。
街のタメだ? こいつの存在、行動の方が危険極まりない。六条が黙って街を去るのが一番の街のタメだろうよ。
────カチャリ
この音を今日だけで何回聞かされただろうか。いい加減耳にタコだ出来そうだ。
六条は俺を見下ろし、静かに俺の『滅却』とやらを執行しようとしている。
手は尽くした。
それでも六条には手も足も出なかったのだ。唯一勝てたのは威勢の良さだけ。それ以外の全てで俺は劣っていた。
ならこのまま黙って殺されるか?
やはり痛いのだろうか。それとも痛みは感じずに逝けるのだろうか。
嫌だ────。
それは正直な気持ちだった。
痛い云々とかの問題じゃない。俺はまだこの世界で生きていたい。やりたい事も沢山ある。
そうだ、俺は────
歯を食いしばりながら六条を見上げた。
「俺は……死なない……」
「……」
六条は答えない。
俺もクラブを握る右手にギュッと力を込める。
見苦しかろうが無様だろうが、まだ意地は通す。絶対に死ぬもんか。
「俺はっ……!」
「今度こそ、さようなら」
六条が刀を振り上げた。
殺される訳にはいかないんだ。
「うぉおおおおおッ!」
それはがむしゃらと言っても過言ではなかった。例え体が起き上がれない状態にあろうとも、とにかく死に物狂いで腕だけを動かした。
六条に当たらなくとも、少しでも逃げる時間を稼げれば、それで良かった。
ブンブンと腕を振るう。
部屋の中の空気を揺るがす。
「っ!!」
突如六条の動きが止まった。
同時に、クラブを通して俺の手にも確かな衝撃が伝わって来る。
今の俺の脳は事態を瞬時に悟る事が出来なかった。だが足を抱えながら床にうずくまる六条の姿を目にし、漸く理解出来た。
当たったのだ。
あの、がむしゃらに振ったクラブが六条の足に。まさにミラクル。圧倒的ミラクル!?
勝利の女神というモノが本当に存在するのなら俺に肩を貸してくれたのだろうよ。
今の俺なら幸運を呼ぶ壷とか、明らかに胡散臭い商品の通販にも、喜んで申し込んでしまいそうな勢いだ。
俺は未だ痛む脇腹を押さえながら立ち上がると、今自分の出せる限りのスピードでドアまで走り寄った。
そして奴によって閉ざされたドアの錠を開け、六条へと振り返る。
「形勢逆転だな殺人鬼! 俺を標的に選んだ事を心から後悔しな! この場でじゃねぇ牢獄の中でな!! わっはっはっ────」
うぐ……調子に乗った高笑いのせいで脇腹が痛んだ。
「くそっ……」
と、六条が顔をしかめる。
「おらぁ! お返しだッ!」
ブン──
と、脇腹の痛みを我慢しながら六条目掛けてゴルフクラブを投げ付ける。
「っ────」
ゴッ……と、六条の肩にヒットしたそいつは鈍い音を響かせた。六条はうずくまったまま苦悶の声を上げている。
直視した訳ではなかったが、さっきがむしゃらに振ったクラブがスネにクリティカルヒットしたのだろう。
さすがの六条とは言え、そのダメージが相当なモノになったようだ。
「げははっ! ざまぁねぇな!」
「……」
うずくまりながら必死に睨み付ける六条の目にも、さっきまでの気迫が失われている。
俺は僅かながら勝利を確信したね。
おばさんが警察を呼んでくれてさえいれば、あと残された問題は、警察が来るまでの時間をどうやり過ごすかだ。
六条が動けるようになる前に紐などで動きを拘束すれば一丁上がり。逃がさないようにすればゲームセット。やってやる、やってやんよ!
俺は善は急げとばかりに踵を返し、使えそうな紐を手に入れるため一目散に階段を駆け降りた。
もうすぐ全てが終わる。
一時はデンジャーになると思われた俺の学園生活。その心配ももう必要ない────
「……えっ?」
階段を降りきった途端、ドクンと、鼓動が大きく跳ね上がった。
視界に飛び込んだ光景に吐き気が押し寄せた。
同時に目眩も。更に視界が赤一色に染まる。
それらに堪えきれず、俺は思わず床に踞った。
視線を階段の上に移せば、何やら険しい顔をしながら六条が一段ずつ、ゆっくり階段を降りて来る。
そして廊下に視線を移せば壁に飛び散った大量の血飛沫と────
今度ばかりはとてもじゃないが理解出来る状況じゃなかった。
今では六条の存在など全くもって気にならない。
それよりも気にかかるモノが俺の視界、判断力を支配していたのだから。
血に塗れた廊下。
コロコロとボウリング玉のように俺の元に転がって来る丸いモノがある。それこそが俺の視線を独占する物体。
さっき部屋のドア越しに言葉を交わしたおばさんの、見るも無惨な頭部だった。
堪えきれない吐き気に俺は床に胃の中のモノをぶちまけた。
いつの間にか階段を降りきった六条が無言で俺を見つめている。
何が起きた? その疑問の答えは少なからずまとまっている。
この頭部だけの死体。最近街を脅かす謎の怪奇殺人事件そのものじゃないか。
犯人だと思われた六条の断固たる否定。
現に六条は俺と一緒に居た。ましてや、生きたおばさんとドア越しにだが会話もした。
だとしたら考えられることは一つだ。
他に犯人がいる。
考えれば直ぐに判ることだった。
「まさか……ね」
廊下の奥を見つめながら六条は呟く。
俺は答えずに、おばさんの見開かれた瞳だけを凝視する。
これが例の殺人犯の仕業だと言うのか?
だと言うのなら運が悪いにも程がある。
何故うちなのだ。何故おばさんがこんな目に遭わなければならないのだ、おばさんが────
ふと頭を過ぎった不安に、俺は本能だけで立上がり、よろめき壁伝いに歩き出す。
向かう先は居間だ。居間には酔いつぶれたおじさんが居るハズなのだ。
だが俺の目には全く別の人物が映るハメになった。
真っ黒な漆黒の長髪をした、骨だけのような華奢な女。居間にいるのはそいつだけ。
居間は廊下同様に血で真っ赤に染まっていた。
そして床に落ちたおじさんの頭部、バラバラになった体も、廊下同様に。
俺に気付いたソイツは今にも死にそうな瞳で俺を凝視した。
「……」
俺の足は地面に根付いたかのように、その場から動かない。情けない話、立ちすくんだのだ。
本物の化け物が、そこには居た。
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