その後、薫が用意してくれた自室となる予定の部屋の視察を行なった。
6畳 (嫌な響きだ)一間の和室。窓の下には小さな机が置かれ、その上には古びた書籍が俺に勉強しろと言わんばかりに置かれていた。
押し入れの中には綺麗に畳まれた布団も用意されている。
他にも何部屋かあったが、他も似た様な間取りで、部屋数からすれば民宿にしてもいいくらいの建物だ。
そんな浅葱邸の中を一通り見て過ごしたその日の夕方、薫が言った通り本当に一人の来訪者があった。
「ん……?」
「あ……」
その娘は階段から降りて来た俺と鉢合わせ、モノの見事に硬直している。
両脇に下げた長い髪 (ツインテールとか言う奴だ)。
それとお揃いに、両手に買い物袋をぶら下げ立っている。
確か名前が────
「ユマ」
「は、はいっ!?」
ビクッと跳ね上がる程のリアクションをした少女は、何故私の名前を……と言わんばかりに俺を見ている。
そして、
「何故私の名前を……?」
本当に言った。
何をビクビクしている。俺はそんなにガラの悪い兄貴に見えるか?
「薫に聞いたんだ。アンタの事は」
「あ、薫に……? 噂のお兄さん……ですか?」
え、何? 俺もう噂になってんの?
子犬のように震える少女ことユマは、イライラする程ゆっくりした動作で靴を脱ぐ。
「とりあえず、多分薫の兄貴の黒霧……? ……浅葱?」
この場合どっちにすればいいのだろう。
まぁここは、
「黒霧忍だ。よろしくな」
まだここに住むとは決まっていないし、黒霧のままで良いだろう。
「あ、はい♪ 薫さんの友達の橘友真です。ちょくちょくお手伝いに来てます。よろしくお願いします」
深々とお辞儀をする友真。
お手伝いだ? 全くこの御時世に良く出来た娘だこと。
そんな中、目に止まったのは彼女の格好だ。
冬服と思われるセーラー。膝丈までの長いスカート。制服なのだろうが────
「もしや中学生?」
「はい、中学生ですよぅ?」
友真はそれがどうしたと言わんばかりに堂々と言い放つ。
まじか。てことは薫は中学中退か。
俺の妹だと言うから高2以下であることは判っていたが中学生か。義務教育だろ? いいのかよ?
「薫の病気の事は聞いてます。皆に迷惑をかけちゃうからって薫も言ってましたし。学校では友達として何も出来なかったから、だからこう言った場では友達として力になれたらな……って♪」
純粋無垢な笑顔で微笑む少女。
アカン。涙が出そうだ。
薫よ、こんなに自分のことを思ってくれる友達なんて、生涯でたった一人すら出来るか判らないぞ。
作者に友達は居ないし、俺にも一応神童や咲羅がいるが、ここまでしてくれる友達かと言えば違うかもしれない。
この涙は絶対に妬みの涙ではないと思いたい。
「じゃあ今日は頑張っちゃいますよ♪ 忍さんも居ますし腕によりをかけます」
そう言って友真はテテテッと台所の方へ駆けて行った。
それからと言うもの、友真は休憩なしに手を動かした。居間に、タンタンと言う小気味良い包丁のリズムが台所から聞こえて来る。
「もうちょっとで出来ますからねぇ♪」
「あいよ~」
徐に点けたテレビのニュースを見ながら気のない返事を返した時、
中学生……?
素朴な疑問が生まれた。
「なぁ、橘さん。橘さんは中学何年生なんだ?」
すぐに返事は返ってきた。
「中3ですよぉ?」
おいおい、受験真っ直中じゃないかよ。
いくら友達のタメとは言え、自分の人生を棒に振る必要はないだろう。受験勉強しないと。
「私、高校には行かないつもりなんです」
「まじか?」
「はい。家庭の事情なんですけどね」
あまり立ち入らない方が良さそうな話だな。
「あ、そろそろ出来るので薫呼んできてくれますか?」
「んぁ? 構わんよ」
とりあえずテレビを消し、薫を呼びに二階へ向かう。
いやはや、仕事の早い娘だ。将来立派な嫁さんになれるぞ?
夫にとって都合の良い嫁さんにならないか心配だがな。
「薫?」
薫の部屋の前、一応襖をノックする。病弱とか言っていたから死んでないか心配だったが、返事は直ぐに戻って来た。
「……はい?」
「晩飯、もうすぐ出来るってよ」
と、襖越しに言ってやると、
「すぐ行きますから、先に食べてて下さい」
「あぁ、わかった」
中で何をしてるのかは判らんが、ここはお言葉に甘えるとしよう。今日一日、ほとんど何も食べていなかったからな。
「……」
まず我が目を疑った。こいつは中学生が作る料理なのかってな。
「す、すげぇな……」
「えへへぇ~」
驚嘆する俺の傍ら、友真は照れてポリポリと鼻の頭を掻いている。
しかし本当に凄いのだ。
色鮮やかなだけでなく形も、何から何まで凝っている。まるで高級レストランのフルコースのような豪華さだ。
これで味も完璧だったらマジで凄いぞ? 川○シェフもビックリなクオリティだ。
「じゃあ先に食べちゃいましょうか♪」
「おぉ!」
こんな大層な料理を置いて薫は何をしているのだろう。頻繁に食べ過ぎて舌が肥えちまったか?
まぁそのうち降りて来るだろうと言う結論に至り、俺と友真は一足先にソイツをいただく事にした。
「いただきまぁす」
目の前のミートボールを摘み上げる。パクリとな。
スドドン────
的な効果音がピッタリだ。俺の口の中に雷が落ちやがった。
「お口に合いますでしょうか……?」
なんて、友真は不安げに俺の顔を覗き込みながら問うて来る。しかしその傍らではどこか自信の色も見て取れる。
むぅ……こいつは凄まじい。
「まずいな……」
「えっ────」
俺の口の何とも浅はかな事か。不意に飛び出した言葉は、友真の瞳の中で涙の大洪水を起こさせた。
「ごめんなさい! 調子に乗って作りすぎました! 無理して食べなくていいですからっ……!」
顔を両手で覆いながら声を震わせる橘シェフ。
俺は俺でしまったと言わんばかりに弁解に走る。
「あいや、そう言う意味じゃない! 誤解させて悪かった!! 俺の意思が揺らいじまっただけだ!! さっきのまずいはそっちの意味だ!!!」
口早に説明を終え肩で息をする俺。
無我夢中になっていたためか、自分が立っていた事に漸く気付いた。
そして友真は本当ですか、と涙目で俺を見上げる。
「本当だ」
友真の料理はマジで美味い。下手すりゃそこらの飯屋より美味いのだ。
そのせいだ。そのせいで俺は昨日までの信念を曲げてしまいそうな場所に立っている。
確かに今の俺には家族は居ない。その唯一の思い出の詰まった宝物が黒霧の家だった。
しかし、俺が今後あの家で一人で暮らし、こんな豊かな食生活を送れるか?
普通に店で食えば一食合計1000円以上の出費は覚悟せねばならぬ程の友真のこの料理。これと同等の物を俺が作れるか?
否、絶対にインスタント食品ライフを送る事になるに違いない。何しろ生活費すらない。
ならどうする? 思い出は心にしまってあるから思い出なのではないか?
過去の幸せは過去の幸せだ。未来は未来で、過去の幸せに負けない幸せを手に入れればいいのではないか?
昨日葉月氏が言おうとしたのはそう言う事じゃないのか?
なら俺は────
「友真どうしたの? 目なんて赤くして」
と、モノローグ中に突如現れたのは薫である。
「あ、ちょっとタマネギが……」
「ふぅん?」
友真の言葉に鼻で返事をし、薫は貴様が泣かしたのか? と言った目を俺に向ける。
「薫……」
「なんです?」
「俺この家に戻るわ」
「い、いきなりなんでッ!?」
薫の表情は驚きの顔に一転した。
「俺は気付いたんだ。あの家に居ても俺は過去に縛られるだけだ。生活費もままならない。だったら、過去の幸せに負けない幸せをここで得ようと思う。俺は生まれ変わるんだ。美味い料理もあるし、ここでならソレが出来る。豊かな食生活には人を変える力がある気がするんだ」
「ん? なんか動機が不純だけど……本当に良いんですか?」
あぁ、と大きく頷く。
明るい未来になる当てのない生活を送るくらいなら、俺はこっちを取る。
ここには美味い料理もある。生活にも困らない。万事OKだ。
「二度と日常には戻れなくなりますよ……?」
友間に聞こえないよう耳打ちして来た。薫からの最終確認だった。
確かに簡単に頷ける言葉ではない。頭の中で復唱すればその言葉の重みが判る。
人並み外れた力を持つ希種、浅葱。
吸血鬼の様な奇病を持った人間は、人間同士の輪には入れない。
薫の辿り着いた結論は、言ってしまえば世間からの隔離だ。
「あぁ……覚悟は出来てる」
「いいのですね」
無言で頷く。
頷いた時、律義に正座したまま俺を見上げる友真と目があった。
「ってワケだ。これからもよろしくな、橘さん」
「あ、はい。よろしくお願いします♪」
友真のお辞儀はペコリと、茶道の時のように深々と。本当に良く出来た娘である。
「もうすぐ葉月さんも来るでしょうから、そうしたら黒霧の家から荷物を持って来てください。大切な物や必要な物、いろいろありますでしょうから」
「わかった」
「細かい事も追々、決めていきましょう」
言って薫は席につき、夕食を食べ始めた。
俺も座り、気を取り直して一品ずつ味を吟味しながら飲み込んで行く。やはり友真の料理は文句なしだった。
「……」
そんな中、チラッと薫に目を向ける。
薫のたたずまいには何故か威圧されてしまう。
六条の時もそうだった。
友真からはそれが感じられない。
これが希種と亜種の違いなのか?
俺には何がなんなのか、まだ判らない。
カチャカチャと言う食器と箸のぶつかり合う音が、暫くの間居間に響き渡った。
葉月氏がここに到着するのとほぼ同時に、浅葱家の夕食は一段落した。
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