ゴルフクラブは外装の鞄とは月とスッポン程の差で、長い年月この倉庫に放置されていたのだろうが、埃はおろか錆び一つついていない。
ドクンと心臓の鼓動が跳ね上がる。
俺は大股で表に出るとゴルフクラブを両手で構えた。
そして天に届けとでも言うように大きく振り上げ、
「おらぁっ……!」
今までの有りとあらゆるストレスをクラブのヘッドに蓄積し、渾身の力で振り下ろす。
ゴッ……と空気を震わせる程の鈍い低音と同時に、地面の土が抉られた。
無意識に笑みがこぼれ落ちる。
これなら武器としても文句はないと改めて確信した反面、俺の中には新たな後悔が生まれていた。
手が尋常じゃなく痺れるのだ。
雨上がりで多少ぬかるんでいるとは言え、堅い地面に全力で叩き付けたのなら、それなりの反動が返ってくる事くらい予想できただろうよ。
普段なら気付いたハズなのだが、今の俺の頭はそこまで回らなかった。
もう一度言っておく。普段なら気付いてた。ハズだ。
しかし良い武器が手に入った。
こいつにかかれば、当たり所次第で常人なんてイチコロだろう。六条が例えどんなに人間離れした運動神経を兼ね備えていようと、ヒットすれば絶対に骨くらいは逝く。頭蓋骨に当たった暁には頭蓋骨諸共粉砕できるだろう。
そうなれば、さすがの六条であろうとタダでは済まない。
後で正当防衛の限度なんかを怪しまれない程度におじさんに聞いてみよう。
俺は子供が宝物を抱えるようにゴルフクラブを抱え、律儀に散らかした物置の片付けに取り掛かった。
明日学校に行った時、このゴルフクラブの事を教員連中にどう説明するか。その理由を考えながら。
さっきまでの疲れきったおばさんの何処にそんな力が残っていたのか。思わず疑問視してしまうほど、これまた豪華な夕食が用意されていた。
「ところで忍、同好会ってゴルフ同好会なの?」
「ん? まぁね」
適当に箸と口を動かしながら返答する。
だってそうだろう? 俺は同好会なんて何の事か知らないもんね。どこでそんな嘘話を聞いたんだか。
おばさんは何を勘違いしているんだろうね?
「あ、そうだ、おじさん。正当防衛ってどこから過剰防衛になっちゃうの? 相手を殺したらアウト?」
「いきなりどうした!?」
おじさんが豪快に喉を鳴らしながらビールを一気に飲み干し、目を丸くしそう言った。
「い、いや。今俺WEB小説書いてるんだよ! で、正当防衛ってのはどこまでが正当防衛なのかなぁって思って────」
「忍っ! あなた国語の成績なんて全然ダメだったじゃないの! 作文なんてそりゃあ読めた物じゃなかったし、そんな忍が小説を書くなんて読み手の気持ちも考えなさいな!? まだ象形文字の方が読みやすそうじゃない!」
象形文字の方が断然読みづらいと思うのですがね、俺は。ってかそもそも解読出来ねぇよ。
「ほら、ご覧なさい。この人だって警察官じゃないのよ? そんな突飛な質問されたって困っちゃうじゃない」
困ってるって言うか、ただ酔いつぶれてるだけじゃねぇか。
「はぁ……」
この人達を当てにしたのが間違いだったと反省した。
後でグー○ル先生に聞いてみよう。その方が確実だろ。
「ごちそうさま」
箸を置いて席を立った。
「あら、もういいの?」
「うん」
「忍?」
「ん~?」
「ゴルフ同好会、がんばりなさいよ? 忍が何かに打ち込むのなんて初めてだから、おばさんも応援してるからね」
と、嘘同好会の事を本気にして本気のまなざしで本気で応援してくれるおばさん。
ちょ、やめてくれないかな、俺の僅かな良心が痛む。
「う、うん。がんばるよ」
とりあえず微笑み返して、ズキズキと痛む胸を庇いながら居間を後にした。
どうする。マジで同好会を開くか?
かったるいのは御免だが、あんな風に言われるとどうもな。
しかし教員連中にもゴルフ同好会の申請書を提出すれば、ゴルフクラブを持っていても怪しまれる事はないかも知れない。
だがマジでやるのか? あの面倒くさがりな俺が?
なんならフリー同好会とかふざけた同好会でも良いかも知れない。
個人個人が好きな活動をして良い訳よ? ゴルフ然り、トランプ然り、囲碁然り────
なんて考えながら、俺は舞い戻った自室のベッドへと倒れ込んだ。
ベッドの脇には、さっき倉庫から拝借して来たゴルフクラブが立て掛けられている。
出来ればゴルフクラブなど使わずに何事もなく過ごせれば、それが一番なのだが。
ピンポーン────
突然家内にインターホンの音が鳴り響いた。時刻は20時を回ったところだ。
おいおい誰だ、こんな時間に我が家を訪れる不届き者は?
新聞の勧誘か、宅配業者か、N○Kの集金人か?
おばさんは新聞の勧誘などには滅法弱い人間なのだ。街角で出会ったインチキ宗教の話を最後まで聞いてしまうくらいにな。
断る、と言う事に罪悪感を持っているのかは知らないが、もし来たのが勧誘なら俺が出るしかなさそうだ。おじさんはもうベロンベロンだったし。
階下では微かに話し声が聞こえる。
俺はベッドから降り、床に耳を押しつけた。こう言う時ってどうも聞き耳を立ててしまうモノなんだよな。
ゴニョゴニョと、声はノイズにしか聞こえない。
チラッと机上の時計に視線を向ける。訪問者が来てから2分が経過した。
再び床に耳を押しつける。
階下の会話は未だ終わっていないようだった。笑い声まで聞こえる? 世間話でもしていやがるのか?
再び時計へ。3分が経過した。
決定、こりゃ何らかの勧誘員だ。配達の人なら受領印を押して終わるはず。こんなに長居する訳がない。
俺はやれやれと身を起こすと、適当な追い返し用文句を考えながら立ち上がり、自室のドアを開け放つ。ガチャッとな。
「────」
えっと、前もって言っておく。
俺の部屋のドアってのは、開けたところで普段見慣れた廊下やら壁やらが視界に飛び込むだけの、そりゃもう、ごく普通の家屋のドアだ。
だからドアを開けただけで何処か別の場所にワープしてしまうと言う、猫型ロボットがポケットから取り出すような近未来アイテム的なドアでは無い。
なのに何だ、これは。
目の前に人形のように立つソイツは、全身に謎の白い衣装を纏っていやがるのだ。
しかもその姿は、まるでアニメの戦闘衣装のようなモノを彷彿とさせてくれる。
いつからこのドアはコスプレイベント会場にリンクするようになったんだろうか。
現実逃避も虚しく、俺とソイツの視線が交じり合う。
「忍ぅ? 後でお茶持って行くからね!」
なんて、階下でおばさんが声を張り上げる。
「こんばんは」
「……」
礼儀正しくも挨拶してくれるコスプレ野郎。
俺には返礼する余裕なんてない。
だって────
「昼間はどうも」
「ぅ……うわぁあああああああああああ゛あ阿ああああああ亜ッ!!」
条件反射だけを頼りにベッドへと舞い戻り、ゴルフクラブを拾い上げる。
そして震える手を力で誤魔化しながら、ソイツと向かい合う。
だって、あの無機質な目をした六条れいんが、そこに居たのだから……
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