馬車から降りると、ジャングル特有の蒸し暑さがルイたちを襲った。
運動をせずとも汗が噴き出すので二人は上着をできる限り脱ぐ。ルイはシャツと膝小僧が出る丈のパンツ、ソフィアはボアコートのみ脱いだドレス姿。女性の衣服は何枚も重ねる必要があり、どうしても暑い。
木漏れ日を頼りに国の奥へと進むうちに、地面が湿った泥質の土からさらさらとした砂に変わっていく。べとべととした臭いもだいぶなくなっている。
「不思議ね。空を覆う木々はそのままで、直接日光が降り注いでいるわけでもないのに、どんどん砂漠になっていく」
「直射日光なしでここまで砂漠になる理由として、異常なまでの水はけの良さがあるようです。この土地の砂の成分は他とは違い、それを活かして珍しい楽器が作られていると聞いたのですが……」
木の影が落ちた、到底砂漠とは思えぬ風景を見渡してみても、人の姿はひとつも見えない。
木材の枠組みに草を編んで作られた家が周囲にぽつりぽつりと見えるが、看板はなく、楽器を求めてどこを訪れれば良いのか分からない。通気性のためだろう。高く組み上げたような構造をしている。
適当に家を訪ねてみるわけにもいかず、建物の中を窺うため、家々の間を縫うように歩いていく。
静かで生活音のする民家らしき建物、接客の声と客の声がひしめく商店らしき建物……案外、近付くだけでそれぞれの様子が分かってくる。
暑い中を一時間ほど歩き通した頃、とある建物に近付くと賑やかな楽器の音色が聴こえてきた。
シャカシャカと砂が混じり合うような音と、ポーンポーンと広がるような優しい音、ドラムのような音。三つの楽器が重なる伴奏に、こぶしを効かせた少年の伸びやかな声が乗る。
「エングフェルト王国では聴いたことのない音ですね。この国特有の楽器かもしれません、入ってみましょう」
植物のツルを吊り下げたのれんをくぐる。
エキゾチックな匂いが充満した家の中には、褐色の肌をした男性がいた。皆が上半身裸で、腰回りに草を編んだ蓑《みの》を巻いている。
片手に収まるほどの大きさの筒を上下に振る四十代くらいの男性が、手を止めて外国語で尋ねる。
「外国人かい? 珍しいな」
木製の板が大きい順に規則正しく並べられた鍵盤を、先端に綿糸の球がついた棒で叩く三十代の男性が、叩きながら野次を飛ばす。
「若いお嬢さんがこの国には少ないから、女神さまかと思ったぜ」
伸びやかな声で歌っていた、十歳くらいの少年が、警戒心丸出しの様子でこちらをじっと見ている。
ルイは懸命に覚えた外国語で、自己紹介をした。そして王女のために目新しい楽器を探していることを説明した。
「ユスティーナ殿下は、楽曲を作る才がございます。僕は彼女の楽曲制作の足しになればと考え、この国を訪れました」
四十代くらいの男性が、楽器を片付けて手招きする。近寄ると、楽器を指し示して、
「俺が持っていたのがシェイカー。ヤシの実の皮を容れ物にして、中には国特有の砂が入ってる。彼が叩いていたのがマリンバ。木製の鍵盤をマレットで叩くんだ。……あとは、えーと、未だにあそこのじいさんが叩いてるのがティンパニ。牛の皮を張った部分を叩くと、明確に音の差が出る」
と教えてくれた。
真っ白な髭を蓄えた、痩せ細った七十代くらいの男性は、ティンパニをひとり叩き続けている。ルイたちに目もくれない彼を、先ほどの男性が咎める。
「じいさん、せっかくこんな遠くの国まで楽器を求めに来てくれたんだ。片付けてきちんとした状態でお客さまを迎えようじゃないか」
「ふん。お姫さんが作る曲なんてどうせ耳触りが良いだけだろう」
「いえ、どちらかと言えば、“耳障り”です」
間髪入れず反論したルイに面食らったように、渋々といった様子だがティンパニを家の端にずらした。そして不機嫌を隠すことなく、建物を静かに出て行ってしまう。
彼の後ろ姿を見送った、四十代の男性は、
「あの人は気難しくて……すまないね」
ばつが悪そうな表情で、そう言った。
******
ソフィアが度々この国の暑さや寒さに文句を言ったものの、最高級の宿に泊まって、どうにか滞在期間を過ごした。
来たときと同様の場所に停まっている馬車へ向かう。
ルイは、シェイカーもマリンバもティンパニも購入したせいで、かなり大荷物を抱えて歩くことになった。その重さに揺られて千鳥足だ。
「全部買うなんておかしいわよ。意味の分からない楽器まで買って」
「使える可能性のある楽器はすべて持って帰りたいのです。……おや」
広大な砂漠とジャングルに生い茂る木々。その両方が見える、国の境目付近に、白髭の痩せた老人が待っていた。
「あたしあの人覚えてるよ。太鼓叩いてたおじいさんだよね」
「ティンパニ、ね。ええと、こんにちは。この度はお世話になりました」
「……ほらよ」
男性は挨拶に応えず、大量のノートや雑誌を突きつけた。半ば押し付けられる形で受け取る。
「これは?」
「俺が若い頃に書き溜めてたノートと、読んでいた雑誌だ。お姫さんの足しに少なからずなると思う」
ノートの一ページ目を開くと、楽譜や音楽記号がずらりと並んでいた。
この国を訪れて多様な音楽を聴き、メモを取ったルイには分かる。彼が書き留めた楽譜には、この国特有の音楽の特徴が詰まっている、と。
「ありがとうございます!」
すでに踵を返して遠ざかる彼の背中に感謝を伝えると、彼は片手を軽く挙げて応えた。
待ちくたびれた御者が急かすので、買い込んだ楽器を押し込むように馬車に詰む。そして行きよりも狭くなった座席に、ルイとソフィアは並んで座る。
発車して十五分程度、砂漠は見えなくなり、あんなに大きく見えたジャングルも小さく見えるようになった。
馬車の小さい窓から、後ろ髪を引かれる思いで異国を見ているルイは、止めどなくエングフェルト王国で待つユスティーナの話ばかりしていた。新しい楽器を手に入れたことで、彼の頭の中は彼女の喜ぶ顔でいっぱいだった。
それに気を悪くしたソフィアは、ルイのコートの襟元を引っ掴み、まるで宣戦布告するかのような語気で言い放った。
「あたしは、レオよりも、ルイのことが好きだから」
呆気に取られるルイの目を、彼女はじっと見ている。
「ま、ルイはユナのことが好きみたいだけどねー」
手を離し、軽くため息をついて、わざとらしく首を傾げて。あまりにあっさりとした告白に脳が追いつかないルイは、しどろもどろになって言葉を返そうとするが、
「返事は要らないわよ。どうせ結果は分かってるから」
とソフィアに遮られ、二人は行きと同様、言葉を交わすことなくエングフェルト王国へと帰還した。
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