日が傾く頃。順調に会が進行していき、最後の一組となった。
これまでに二組を招待者として選んだ。ひとつはつい先日旗揚げしたという劇団、もうひとつは氷を削って花などを象ったアート作品を作る職人だ。彼らは高難度で繊細な技を簡単そうにやってのけ、見ている者すべてを笑顔にした。
三組を招待しなくてはならないという規定はない。最後とは言え、これまでと同様の目で評価しようと、椅子に深く腰掛けて肩の力を抜く。
演者に関する資料をめくりながら、ルイが説明をする。
「二十歳の兄と十六歳の妹による歌唱だそうです。活動場所は不定。補整された道からは外れた、道端や家々の間で活動しているということでしょう。身寄りのない子供たちのために歌っているとか」
街廻りのときに見た、家々の狭い隙間で暮らす子供たちの姿を想起した。きっと兄妹の歌唱は、彼らの数少ない音楽との触れ合う機会になっているのだろう。
その前情報通り、アナウンスに続いて現れたのは、衣装らしい衣装を身に纏っていない兄妹だった。これまでの演者は皆きらびやかな衣装だったため、観客が彼らを見てざわつく。
恐らく栄養失調寸前なのだろう。兄はルイと、妹はユスティーナと同い年であるのに、ずいぶんと背が低く細い。
日焼けした肌と、大きな吊り目は兄妹そっくりだ。天然パーマの髪の毛をざっくりと切ったような短髪の兄と、肩くらいまで伸ばした髪をポニーテールにした妹。
格好良いや可愛いといった俗な言葉では言い表せないオーラがある。エキゾチックと表現するのが適切かもしれない。
兄は朽ちかけたレコードプレーヤーを抱えて登壇した。妹が兄の分も含めて二本のマイクを持って登壇したが、このマイクは国側から貸したものである。彼女がマイクを手にしたのは初めてで、二本同時に電源を入れてしまい、ハウリングの雑音が耳を刺す。
マイクに繋がる線も絡まって、準備に時間が掛かった。
観客がひそひそと囁き合っている声を気に掛ける様子はなく、堂々とした立ち姿。狐のような瞳は真っ直ぐにユスティーナを見つめている。
レコードプレーヤーを操作して流れ始めたのは、非常に有名なクラシック曲だった。慣れ親しんだ曲に、群衆の身体が思わず揺れる。
何を披露するのかと全員が訝しげな視線を向ける中、妹はスタンドマイクに両手を掛け、激しく歌い出した。
このようなメロディは存在しない。歌詞も、当然、存在しない。兄も低音で彼女の歌声を支える。
喉を擦り減らし、魂を削るような歌声。おしとやかなクラシックとの相性は、案外良い。聞き慣れたクラシックを、まるで兄妹のために作られた伴奏のように聴こえさせる。
粗雑に歌い上げているふうに聞こえるが、このハーモニーは兄妹の歌唱力や表現力あってこそのものだ。
『おれたちの話を耳を塞ぐことなく聞け
光があれば影がある
よく言われる言葉だがお前は影に目を止めたことがあるか
おれたちを目を逸らすことなく見ておけ』
強気な歌詞に、観客の皆が息を呑む。
特にユスティーナは彼らの訴えが胸に突き刺さるような心地だった。
王国の力が及ばないゆえに、彼らが苦しい生活を強いられている現状がある。それを否が応でも目の前に突き付けられているようだ。
息が苦しい。目を背けてしまいたい。けれど彼らには視線を惹きつける力があって、魅入ってしまう。
『おれたちは現状を破壊するためにやって来た
甘えて生きるお前らも覚悟しておけ
ウィーアー“バイブレーション”
地を揺らし、血を揺らす存在だ』
大きな声で宣言し、歌唱は終了した。
アウトロとなる、綺麗な音色であるはずのストリングスが、心をざわつかせる。歌詞やメロディで、これほどまでに曲の印象が変わるのかと感じた。
沈黙の後、割れんばかりの拍手が巻き起こった。観客の表情に笑顔はなかったが、興奮の色がありありと浮かび、その興奮をどう言葉にしたら良いか誰も分からない様子だった。
「すごい、格好良い! こんな音楽聴くの初めて!」
一方で、連れて来ていた子供の耳を塞ぎ、帰ろうと促す人もいた。憤慨して野次を飛ばす人も。
「伝統的な音楽を、自分たちの主張を示すためだけの伴奏として使うなんて、冒涜だ!」
「若い女の子とは思えない汚い言葉だわ。舞台に立つべき人じゃない」
これまでのどの演者よりも、披露後、観客が静かになるまで時間が掛かった。「静かにしてください」とアナウンスが流れる間、ユスティーナは再び頭を抱えていた。
ルイがマイクを渡しながら、
「確かに難しいですね。彼らを連れて国を回っても“笑顔の波及”という目的は達成出来ませんが、彼らをここで手放すのはあまりに惜しい……」
と言った。
ユスティーナはちらりと彼を見上げて尋ねる。
「私、どうしたら良いかしら」
「さて、分かりかねます」
期待よりずっと淡白な返答に、突き放された気分を覚える。しかし彼は言葉を続けた。
「初めの舞踊団に言ったことと矛盾する形にはなっても、ユスティーナさまの直感を大切にすると良いと思います。何が正しいかは分かりませんが、何がしたいのかは分かるでしょう」
「……そうね、ありがとう」
微笑むルイを見て、マイクを受け取った手に力がこもる。
初めにユスティーナが感じたのは、彼らを王族として選ぶのは違うということだった。その直感は時が経つにつれて変化し、むしろ王族であるからこそ彼らを招待して向き合うべきではないかという考えに至った。
けれども、舞踊団のときに語った評価基準が揺らいでしまう。でも。
逆接ばかりが浮かぶ。どうしようと決まらぬまま、コメントを促される。言葉をひとつひとつ選びながら、自分の中を曝け出すしかなくなった。
「ええと。“バイブレーション”のお二人の訴えは、確かに受け取りました。お二人に私たちが能動的に関与することが出来ず、国の現状をあまりに長く放置してしまって、申し訳ございません」
言葉を途切れさせ、深く息を吸うと、観客の表情までもが明確に見えてくる。
皆が眉を下げて不安気な瞳でこちらの様子を窺っていた。祈るような表情だが、どちらの意味の祈りなのか判別が付かない。
「……王国についてのご意見を伺いたい、というのもありますが、私個人として、お二人の作る音楽をもっと聴きたいという強い気持ちを抱いています」
隣にいるルイに一言掛ける。その様子を見て、観客から高揚と落胆の入り混じった声が上がった。
「お二人とも、王国のパーティーにいらしてくださいますか。パーティーの場で、お二人のご意見を聞かせてください。そして、音楽の新しい可能性を見せてください」
「わかった。あたしたち、行く。ただし」
「俺らに小綺麗な格好とか、上品な言葉遣いとか、そういうものは求めてくれるなよ?」
「貴様ら! 殿下になんて言い方を!」
衛兵が舞台に上がって彼らを咎めようとするのを、ユスティーナは一言で止める。
「やめなさい! 彼らに手を出さないで。……ええ、求めませんよ。ぜひ友人に愚痴をこぼしたり、夢を語ったりするように、フラットな関係を皆さんと築きたいと考えているので」
彼女の言葉に満足したように頷いて、二人は舞台から降りた。
芸謁の会終了を告げるアナウンスが流れ、再びシフォン生地のカーテンにユスティーナの姿が遮られる。カーテンが閉まりきる間も、彼女は群衆の声に手を振って応えた。
彼らの表情は開会のときと異なっていた。ユスティーナにより傾倒して恍惚の表情を浮かべる者、自分の思う評価と異なっていたことで、失望して冷淡な表情を浮かべる者。
歓声には、野次が混じる。
降壇してからも視覚と聴覚はそれらに囚われたままだった。ルイは目を伏せて考え込むユスティーナに、コートを着せながら、
「お疲れ様でした。どのような決断をしても、群衆の意見がひとつでない以上、賛否が湧き起こります。どうかお気になさらないよう」
と気遣う言葉を掛けたが、ユスティーナの気分は沈んでなどいなかった。
「私が代表として選んだのだから、責任を持って素晴らしいパーティーにしてみせるわ!」
拳を握り締める彼女を見て、ルイは呆気にとられた後、思わず笑ってしまった。
彼女はそんなに弱い人間ではなかったことを思い出して。
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