玄関の前で少女が倒れていた冒険者はどうすればいいのか。
一瞬頭が混乱したが、姿を見ればワケありだとすぐに分かる。検査着のような白い質素な服に着ていて、その服が獣にやられたかのように裂けている部分があり血が染み付いている。だが少女自身に怪我があるように見えない。
なんであれ俺はロックを解除し玄関のドアを開け、少女を両腕で抱えて家の中に入る。
リビングのソファーに少女を寝かせて背中に担いでいた鎧を自室に置き、毛布を持ってきて少女に被せる。
さて、どうするか。
キッチンで刀を壁に立て掛けて、インスタントコーヒーを飲む為のお湯を沸かしながら帰りに立てた予定を一部変更を考える。
ネームプレートも無く血塗られた検査着の少女。誰がどう見ても厄ネタであるが、見捨てるという選択肢は初めからない。でなければ利益にならないギャング狩りや依頼されてもいない誘拐被害者の救助などしていない。
だから問題はこの子が誰で何処から如何なる事情でここにいるのか調べなければならない。少女からも直接聞く気はあるが、少女が嘘を吐く可能性もあるので下調べはしておくべきだ。それに少女自身騙されて利用されている可能性もある。
他に気になるのはアパートの通路にいた何かだ。敵意は感じられなかったが、幽体なのか散歩してる精霊かの区別がメイガスではない俺には判断できない。だから棒手裏剣投げて取り敢えず脅しておいたのだが、アレは敵か味方か。
コーヒーの入ったマグカップを片手に部屋の中をウロウロ。冒険者なんてアコギな商売をやっている以上、万が一の襲撃の備えはある。メイガスの覗き見対策もしている。
当然、自爆装置もある! 御近所さんに迷惑にならない程度の火薬だが、侵入者の度肝を抜くぐらいの威力はある。
ヤバイな。こんな時の為にと用意した物を実際に使える可能性があると思うとドキドキしてきた。
「ん、ぅ……」
拾ってから一時間弱ほど経過すると少女の意識が戻った。薄らと目蓋を開けたかと思うと勢い良く上半身を起こした俺と目が合う。
「――っ!? わっ!?」
反射的に後ろに跳び退こうとしたのだろうが、ソファーの背もたれが邪魔してそのままソファーごとひっくり返る。
「大丈夫?」
声を掛けると倒れたソファーから顔の上半分だけ覗かせてこっちを見てくる。中々野性味がある。
「別に何もしないし、していない。君、ウチの前で倒れていたんだ。覚えてる?」
寝てる時の第一印象は儚げな感じだったが意外と活発なのかと思いつつ、大雑把に経緯を説明する。すると少女は思い出したのかハッとした表情を浮かべ、僅かに身を乗り出して口を開く。
「え、えと、あの、助けて!」
「うん、そのつもりだけど事情を聞かせてくれないか?」
「あ、うん、えっと……」
少女の口から事情が説明される。
とあるウイルスがある。それに感染すると遺伝子情報が書き換えられて細胞に変異が起きる。
それだけ聞くと何処にでもあるウイルスだ。ミュータントなんて探せばよくいるし、ウイルスが原因でなくとも魔法やらで変異した人間もいる。
ただそのウイルスは一度安定化すると宿主をその状態のまま永続的に保存するようになる。常に細胞を補う事で怪我を瞬く間に治し病気に対しても免疫をすぐに作り出すのに加え、本来なら回数が限られている細胞分裂の制限をも解放する。
つまりは不老不死を実現するのだ。少女はそのウイルスのキャリアだった。
「やべ、血のついた服素手で触っちまった」
「私から感染しないから安心して。安定すると感染力を失うから」
ウイルスとしておかしいが、宿主が安定すると途端に感染しなくなるらしい。そもそも便宜上ウイルスと呼んではいるが突然変異なのか魔法云々由来なのかもまだ判断できていないとか。世界融合以後、偶にそういうアンノウンが出てくるから怖い。
「私は人の姿のまま全身の細胞が変異し終えた唯一の症例なの。だからずっとシャヘルで実験を受け続ける羽目になったんだけど」
シャヘルと言えば世界のメガコーポの一つだ。医療関係や遺伝子関係に強く、バイオウェアに関してトップと言える。そんな大企業が人体実験など――ありきたりな話だ。
メガコーポに限らず大きな組織に後ろ暗い所など有って当たり前。寧ろそんな黒い部分がなければ生き残れない。
その中でも特にシャヘルに関しては些か以上に非人道的な噂が尽きず、大半のバイオハザードの裏にはシャヘルが噛んでいると言われ、スラムに出回っている麻薬にも彼の企業が営利目的ではなく新種の薬品を試すために関わっているという噂がある程だ。
「そういえば、どうして俺の所に?」
「私以外にも実験体にされてた人達がいて、皆を逃してくれた人がいたんだ。その人が言ってた。私が一番狙われるって。でも自分達に守れる力はないから、君を頼れって」
「誰? 名前は?」
「メディア。研究所の職員だよ。ヒーローみたいな冒険者がいるって、ここまで幽体で誘導してくれたんだ」
「幽体って事はメイガスか……ん?」
通路にいた気配がメディアとか言う人だったのか。メイガスは幽体離脱をして遠くの事を見聞き出来る。幽体は物理的な干渉を受けないし特に気合を入れた訳ではないので平気だろうが、棒手裏剣投げちゃったよ。
「どうしたの?」
「ヒーローって言う柄じゃないから困っただけ。俺は何て言うか、嫌いな奴を痛めつけているだけだし」
「嫌いな奴って、例えば?」
「子供を人体実験するような連中。だから嫌がらせになるから君を助けるよ」
ぶっちゃけまだ分からない点もあって少女の話を鵜呑みにする訳にもいかないが、これで見捨てて話が真実だった場合が怖いから彼女を守る。騙されていたならその時はその時で、事情を汲んで報復を考える。
目下の問題としては守る定義だ。原因の企業を倒すとかは不可能だし、シャヘルの綺麗な部分で助かっている人間は多い。ウイルス研究を行なっているプロジェクトを潰すのは奇跡が起きればできる。現実的な手段としてはまず少女に向けられているであろう追跡を振り切ってどこか別の地で――そういや名前知らないな。
「ああ、そういえば今更だけど名前は?」
「クラレ。そう呼んで欲しい」
今も身構え最低限の警戒を残すクラレは自分の名前を口にする時は嬉しそうに僅かだが顔を綻ばせた。
「俺はアキノだ。それで早速だけどこれからは……」
「…………どうしたの?」
動きを止めた俺を不思議に思ったクラレの声に俺は人差し指を唇の前に立てて静かにするようジェスチャーする。そして携帯端末を操作して音楽を流す。
誰かが外にいる。
音を立てないようキッチンに置いた刀を手に取り、壁に埋め込まれた端末を操作して玄関の外を見れる隠しカメラで見ればそこには暗い通路があるだけで誰もいなかった。
チッ、ハッカーに家のシステムを乗っ取られたか。
端末横の蓋を開け、鏡の反射とマジックミラーを使った覗き窓で通路を見れば服を着た狼の獣人がいた。ああ、クラレの服の破れは彼らの爪か。獣人は鋭い感覚と身体能力が厄介だから一撃でやるか。
刀を抜いてドアの前に立って大きく振り被り、横一閃に壁越しに獣人の首を撥ねる。感触とドアの向こうから人が倒れる音から殺せたようだ。
慎重にドアを開けて通路を確かめれば獣人の首が切断された死体が二つ転がっていた。後詰は無し? 部屋の前まで来たのが二人だけで他はアパートの外で待機しているのか。ハッカーが監視しているからどの道新手は来るから今の内に逃げる準備をしよう。
「壁越しにカタナで二人を一撃なんて、アクション・ムービーみたい」
「――――」
気配を全く感じなかった中で聞こえた甘い声に俺は二重に失態を悟った。
存在に気付かなかったのが一つ。もう一つは《魅了》の力が込められた声を聞いてしまった事だ。
したくもない筈なのに自分の意思で俺は声の聞こえた方に振り返る。暗闇の中から現れたのは赤と黒のドレスに身を包み折り畳んだ日傘を持った女だった。
人間離れした美貌に死者のような気配の無さ、薔薇の香水の匂いに混ざる仄かな血臭、視認してから感じるメイガスとしての高い実力と圧倒的な冷たいオーラ。
そうか。コレか。知識としては知っていたけどこうして対峙するのは生まれて初めてだ。
「――吸血鬼!」
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