宿題が出た。
好きなものについて、原稿用紙に書くという宿題だ。
原稿用紙のすみっこの方には、先生が書いた『好きなものについて書く』の赤い文字。
僕は国語があまり好きじゃない。
漢字はそれなりにかけるけど、文章を書くのが嫌いだ。
文章を読むことはそれなりにできるけど、感想を言うのが嫌いだ。
先生の黒板の文字を読んでわかるのがぎりぎりで、書き写すことが嫌いだ。
文字を口に出して読むことはできるけど、文字を目で読んで、それを書くことがなぜかうまくできない。
いろいろと頭の中では考えているけど、自分の思っていることを文字に書くことがなぜかうまくできない。
見たことや思ったことを、言葉にして言うことがなぜかうまくできない。
小さいころから、文字が嫌いだった。
小さいころから、話すことが嫌いだった。
保育園の帰りに、言葉の教室に通っていたこともある。
小学校の授業の後、言語の先生のところに通っていたこともある。
一か月に一度、コミュニケーションスクールに通っていたこともある。
いろいろとテストを受けたけど、僕は文字を書く事と話す事が得意ではないという事が分かっただけだった。
僕は家に帰ったら、宿題をしてから明日の準備をすることにしている。
明日の準備が終わったら、いつもお母さんのごはんを作る手伝いをするのが楽しみなんだけど。
「あれ、まだ宿題やってるの。」
いつもなら米を研いでいる時間になっても僕が来ないので、お母さんがリビングに顔を出した。
僕はリビングのテーブルの上に一枚の原稿用紙を広げて、エンピツを握りしめながら返事をする。
「むつかしい。」
「ああー、作文かあ、うーん、頑張れそう?無理ならまあ、手伝うよ。」
お母さんが目の前に座って、僕の手元をのぞき込んでいる。
「好きなものが書けない…。」
僕には好きなものがたくさんある。
だけど、好きなものは頭の中でばらばらと散らばっていて、一つを取り出すのが難しい。
好きなものがたくさんある中から、どれを見つけたらいいのか、どうやって見つけたらいいのかわからない。
「そうだなあ、抽象的過ぎて君には難易度が高いか。ふうむ・・・そうだ、唐揚げの事書いたら。」
唐揚げはおいしい。
僕は唐揚げが大好きだ。
唐揚げの事を考えると、僕の頭の中に、美味しい唐揚げが広がった。
「唐揚げはおいしい。」
僕は、原稿用紙に文字を書いた。
―――おいしいからあげ。
唐揚げはおいしい。
唐揚げを作るとき、ワクワクする。
唐揚げが熱くて、困ることもあるけど、美味しいから大丈夫。
唐揚げは大きいと食べる時にうれしい。
唐揚げが小さいと、少し悲しい。
唐揚げはそうとうおいしい。
頭の中が唐揚げでいっぱいになって、文字が全然書けない。
「おう…一行、ええと、題だね、題は書けたな、よし、じゃあ次はうーん、ええとね、どこら辺が美味しいのか、書いてみようか。」
どこら辺が美味しいのか。
皮かな。
肉かな。
全部おいしいな。
頭の中が唐揚げでいっぱいになって、文字が全然書けない。
「何を書いていいかわからない…。」
「じゃあね、どこが美味しいのか書いてみたら。まず、唐揚げの味について。ええと、甘いのかすっぱいのか苦いのか。」
唐揚げは甘くないな。
唐揚げはすっぱくないな。
唐揚げは苦いことがたまにあるけど、いつもおいしいな。
―――ぼくは、からあげが好きです。からあげは、おいしい味がします。こげていると、苦い。
「書いた。」
「うーん、せめて半分は書かないとヤバい、そうだ、どういうふうにおいしいのか書いてみたら。かじってかたいのかやわらかいのか熱いのか冷たいのか。」
どういうふうにおいしいのか。
唐揚げをかむと、美味しいのが口いっぱいになる。
噛んでいると、唐揚げの味がずっと口の中にあって、美味しい。
かじるとかめる固さだから、かたくない、でもやわらかいのはちがう気がする。
―――からあげはかむとおいしい味がします。かんでいると、おいしいです。かたくない、やわらかくない、ちょうどいい食べ物です。あげたてはあつくて、おいしい。冷たいのもおいしい。
「書いた。もういい?」
「う、しまりが悪いな、もうちょっと踏ん張れ。ええとね、ああそうだ、唐揚げ作るって事書いたら?どうやっていつも作ってるっけ、作り方書いたらさあ、半分こすよ!よし書いて!!」
唐揚げの作り方なら知ってる。
いつもお母さんの唐揚げ作りの手伝いをしているから。
僕は唐揚げを調味料で揉みこむところが好きなんだ。
―――ぼくはからあげを作ることがあります。お母さんの手伝いをします。とりにくを切って、しょうがと塩としょうゆとねぎを入れて、ビニールに入れてよくもみます。とりにくがやわらかくなったらかたくりこを入れて、それをお母さんに油であげてもらいます。おいしいにおいがする。いつもいちばんはじめのいっこはぼくが食べます。からあげはとてもおいしいです。
「かけた、ありがとう。」
「…うん、まあ、これだけ書けばいいでしょ、うん。じゃあ、明日の準備してね。」
「はい。」
僕がリビングのテーブルから立ち上がったら、お姉ちゃんが帰ってきた。
「ただいまー!あれ!!何、宿題?見せて見せてー!」
お姉ちゃんは僕の宿題を見るのが好きみたいだ。
いつもドリルを見てはいろいろと書きこんできたり、作文を見ては手直しをしてくれたりする。
「ちょ!!あんたは手伝い過ぎるから手出しすんな!!!」
「いいじゃん!!…あ、これ『私の好きなもの』じゃん!!あたしも三年生の時に書いた!!」
お姉ちゃんは何を書いたんだろう。
お姉ちゃんは作文を書くのに困らなかったのかな。
僕はこんなに困ったのに。
「みたい。」
「あるよ!!ちょっと探してくる!!!」
お姉ちゃんは自分の机の引き出しをごちゃごちゃしている。
「あんた三年生の時の作文まで取っといてあるの!!!もうさあ、いい加減捨てたらどうなのさ、そもそもリビングに勉強机ってさあ、超絶邪魔なんだけど!!!」
お母さんはプンプンしている。
「だって誰かいるところで勉強した方が寂しくないじゃん!!勉強した記録とっときたいじゃん!!…あ、あったあった!!もうさあ、これ写して書いとけば!!あ、もう書いたんだっけ!!ぎゃはは!!!」
僕はお姉ちゃんが渡してくれた原稿用紙を見てみた。
―――わたしはバナナが好きです、とくにおいしいところが好きです。かわをむいて食べると、おいしくてとてもしあわせな気分になります。バナナはとてもおいしいです。おいしいのでいつも買いますが、おいしいのですぐになくなってしまいます。バナナがおいしすぎるから、いっしゅんで食べてしまうのです。どうしてバナナはこんなにおいしいのでしょうか。おいしすぎると思います。バナナはくだもので一番おいしいので、おいしいのだと思います。おいしいバナナはすごいと思います。バナナだったらいつまででも食べられる。私はずっとおいしいバナナを食べていこうと思います。バナナの事を書いたので、バナナがとても食べたくなりました。今からお母さんといっしょにスーパーに行って、おいしいバナナをたくさん買ってこようと思います。
「おいしいしか書いてない。」
「だっておいしいんだもん!!!」
・・・おいしいしか、書かなくて、いいの。
・・・おいしいって事だけ書いて、いいの。
なんだろう、ちょっとだけ、頭がすっきりした、ような。
「ちょ!!これはひどいwwwあんたこんなんでよく四年生になれたな!!」
「失礼じゃん!!立派な高校生になったじゃん!!来年は専門学校生じゃん!!」
おいしいと思ったことを、そのまま文字にしていいんだ。
おいしいという文字を、そのまま文字に書いていいんだ。
僕は少し、勘違いをしていたかもしれない。
文字は、奇麗に並べて書くものだと思っていた。
文章は、きちんと書くことが大切だと思っていて、きちんと書けない僕は、書いたらいけないというか、書いたらダメというか、書けないと思っていたんだ。
なんだ、書いて、良いんだ。
思ったことを、書いて、良いんだ。
もしかして、思ったことを、そのまま文章にして、良いんじゃないのかな。
ちゃんとした文章を話さなくても、大丈夫なんじゃないのかな。
僕は、ずいぶん、おかしな思い込みをしていた…?
「宿題終わったんなら明日の準備してキッチン来てね!」
「はい。」
お母さんがパタパタとキッチンに走って行った。
「ねえねえ!今日晩御飯何作るの!!あたし中華食べたい!!!」
料理をしないお姉ちゃんは僕の料理本をぺらぺらとめくっている。
ちょっと分厚くて、本格派のレシピ本は、僕の誕生日に買ってもらったものなんだ。
いつでも見れるように、リビングのソファの横に置いてある。
作ったページには、付箋が貼ってあって、僕はいつか全ページに付箋を貼るのが夢なんだ。
「ねえねえ!!このお肉おいしそう、これ作って!!ええと、なにこれ、東…肉」
お姉ちゃんの指差したページを確認する。
「東坡肉、わかった。」
豚バラブロックあったかな。確かだいぶ前に冷凍したのがあったはず。
…レシピ見ると一時間煮るって書いてある。
圧力鍋でお母さんに煮てもらおう。
「このページの作りたい。」
明日の準備をして、料理本をもってお母さんのところに行く。
「トンポーロ?時間かかるよ、というか、皮付きの三枚肉ないな。まあいっか、似たようなもんか。お父さんのバラ肉使っちゃお。」
「圧力なべで作ろう。」
お母さんが保冷庫から肉の塊を取り出している間に、棚の上の圧力なべを椅子を使って取って、コンロの上に用意する。
「なに、作り方はもう見たの。」
「みた。」
僕の頭の中は、さっき見たトンポーロのレシピでいっぱいだ。
うまく言葉にならないけど、作り方の順番も、作ってる写真も、全部頭の中に広がっている。
「うーん、ついでに煮卵も作りたいな、ネギ多めで作ってつまみも確保したい、あとコーンスープにもう一品欲しいな、どうするよ。」
僕は米を研ぎながら、頭の中をぐるん、ぐるん・・・。
炊飯器の横に玉ねぎがいっぱいある、うーん酢豚作りたい、でも…。
「玉ねぎ炒めたい。」
「ああ…ピーマンとニンジンあるから酢豚にしよう、豚肉がかぶるな、ベーコンで代用しちゃお。」
ベーコンもおいしそう。
そうか、ちゃんとレシピ通りに作る必要、ないよね。
そういえば、お母さんはいつも、あまりレシピ通りの料理をしていない。
・・・なんだろう。
僕は、すごく、頭の中が楽になった気がする。
ひょっとしたら、僕は。
明日から、少しだけ、うまく話せる気がする。
明日から、少しだけ、文字が書けるような気がする。
よくわからないけど。
頭の固かった僕が、柔らかく、なったような。
カチカチに凍ってた、豚バラ肉がゆだったらプルプルになるような。
「あ、お湯湧いたから豚肉入れてねー!」
「はい。」
僕はよくわからないワクワク感を頭の中に広げながら、豚肉の塊を四つ、熱湯の中に入れた。
「じゃあ次は何からいく?」
「玉ねぎの皮むく。」
玉ねぎの皮をバリバリとめくりながら、僕は少しだけ、明日の国語の授業が…待ち遠しいと、思った。
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