『そろそろお風呂に入らせてよ』
牢獄の中の心菜が、天井の出口に言う。
ゴルディはただ、彼女を見下していた。
『私はあんたたちと違って、頻繁にお風呂に入らないと、気持ち悪くなるの』
(……おかしいですわ)
ゴルディは歯を食いしばった。
この女には、全く絶食拷問が効いてない。
体重すら落ちていない。何者なの…?
『ウィル』
心菜に聞かれない位置でゴルディは続ける。
『絶食拷問の間、あの女の視界内に待機させた警備兵には、何も起こらなかった?』
『はい。間違いないです』
『なら、あの女の能力は遠隔ではない』
それでも胸騒ぎが……嫌な予感がする。
再度、心菜が聞こえる位置に戻り、ゴルディは声を上げた。
『今すぐ、あの女を殺しましょう』
『あら、ゴルディ。まだ冬の前なのに、いいの?』
ゴルディを見上げている心菜が、余裕で言う。
構わず、ウィルフレッドに油の入った樽を運ぶよう命じる。
『ゴルディ。私に手を出したら、あんたの息子たちはどうなると?』
『貴女に、その能力はないと判断しました。さぁ、ウィル!』
『……はい』
ウィルフレッドが、樽を倒す。
トクトク、と――真下の心菜の牢が、発火性のある獣油で充満した。
鼻をつくにおい――
『ウィル、確実に殺す為、あと3樽ほど用意しなさい』
『ふふ』
『ココナ様、なにがおかしいのです?』
『ずいぶん余裕がないのね、ゴルディ。白髪が増えるわよ?』
『こ、この女っ……!! はやくしなさい、ウィル!!』
次第に、2樽目、3樽目、4樽目と……
樽の中のオイルが牢に流され、心菜の足元がオイルで浸された。
ゴルディが布面を取る。
『さぁ、ココナ様。最後に言い残すことは?』
『やっぱあんたの聖痕、左目だったんだ。手以外って事は、アンタが言う、Sランクってことね』
『お黙り! 神に最期の言葉を残しなさい』
『ゴルディ。あんたは怖がってる。本当はすぐにでも火を付けたい』
ふふふ、と心菜は不敵に笑い、つづける。
『なのに、もし私に手を出したら、報復があるかもと、不安で不安で、しょうがない』
『っ!!!』
ゴルディは憤怒して、思いっきり怒りをあらわにした。
だが図星だった。今でもゴルディは、心菜のSランクの能力を恐れている。
『ゴルディ様……』
『かまいません! やりなさい』
『いいのですね?』
ウィルフレッドが、松明を牢の中に投げ捨てる。
その瞬間、逃げ場のない部屋で、一気に火が燃え上がった。
『うふふ、ゴルディ』
足元に火の波が広がるのに、余裕の表情の心菜。
『おめでとう。正解よ』
『……何がです?』
炎に包まれる心菜。
次第に彼女の服すら燃えて、その顔しか見えなくなる。
『あんたは、正解した。私はずっとハッタリを言っていた』
『っ!』
『私に、アンタの息子を殺す能力はないわ』
そうして火に包まれていく心菜。
次第に彼女の姿が消えて、焦げた臭いが、ゴルディの元まで広がっていく。
『私の時間稼ぎは、ここまでみたいね……』
それが心菜の、最期の言葉であった。
全身が燃え、次第に焦げた炭になり、煙でその姿が見えなくなった。
心菜は、ここで死んだのだ。
『……はぁ。やっと終わりましたわ。長かった』
『ゴルディ様』
『もう何樽か、この下に落としなさい。確実に焼死するように』
ゴルディがウィルが持ってきた樽の一つを、蹴り落とす。
『この塔がなくなっても構いません。確実に死を』
『ゴルディ様』
『なんですか? 油樽ならまだ――』
『そうではく、鐘が!!』
ハッとしてゴルディが耳を澄ますと、確かに鐘の音が鳴っている。
なんの音? ミサの鐘はとっくに過ぎている。
だがすぐに、その不自然な金の音は途切れていった。
『葬式の鐘? いえ、この時間にはならないハズです。これは一体……』
ゴルディは、何か嫌な予感がしていた。ココナの能力なのか?
すぐに別の鐘が鳴りだす。
次第に、五つめ、六つめの鐘と……
王国中にある鐘が、猛烈な速度でカンカン鳴りはじめた。
『ゴルディ様、襲撃の鐘では!?』
『いえ、ありえません。もう200年以上も、この王都に敵が攻めたことは……』
『だがそれ以外に考えられません!! 鐘は最初、正門から聞こえました』
『うふふ』
それこそあり得ない。
包囲して、王国民を飢えさせる攻城戦なら、まだ現実味があったが……
と、息を切らした、使者がやってくる。
『ゴルディ太后!! 報告です!』
『はやく言いなさい』
『門番が何人も、正体不明の攻撃を受けています。遠距離です!』
『……ロングボウですか?』
『いえ。ただ即死した、と……』
わけがわからない。
せっかく一つ問題が解決したばかりなのに。
ゴルディは親指の指をかじった後、命じた。
『正門に兵を! 弓兵軍と魔術士軍を、はやく!!』
そしてゴルディは、早歩きで塔を出る。
『ゴルディ様。どこに?』
『王(オズソン)を避難させます。ウィル、あなたも王を守りに!』
『……しかし! 私が門に出向いて、兵たちを指揮しなければ』
『王を守るのが最優先です!』
そうして少数の兵たちを連れ、外に出るゴルディたち。
ちょうど命令が行き渡り、弓兵と魔術兵たちが壁の上を移動し、門を守りに行った。
『これから王都で最も安全な場所、城の地下に避難します』
城の庭。正門から最も離れた、安全な場所を、ゴルディは歩く。
ここにある裏口を通れば、すぐに城内へ。
『――っ!?』
空気が震える。
最も安全な場所、王都を囲む壁が――
すさまじい爆発音とともに、砕けて吹き飛んだ。
『う、なにごと……!!』
勢いよく襲う石と砂の波が、ゴルディたちを押しのける。
『ああっ!!! なにが――』
キーン、と爆音で耳鳴りが。
あまりにも大きな音。
風圧で息ができない。
『はぁ、はぁ……』
『ゴルディ様――』
ウィルの声がよく聞こえない。耳がダメになった?
『……っ! はぁ、はぁ』
ゴルディは息を整える。
あまりに急なことで、思考すらマヒしていた。
視界がようやく安定する。
そうして砂埃が収まる頃、彼女はようやく爆音が響いた、背後の壁を目にするが――
『っ!!? 信じられません……壁が……』
壁が、なくなっていた。
正確には、大きな穴――それこそ、工兵たちが何か月も掘り続けなければいけないような穴が。
『こんなの、ありえません……』
200年以上、難攻不落だった王都の壁が……
(……な、なにが起こっていますの?)
Aランク? いや、Sランクの奇襲?
このエアルドネルに、まだわたくしが知らない、脅威となる術者が?
『ゴルディ様!! こちらへ!!』
ウィルに守られながら、城の壁に避難する。
地下にはもう逃げられない。瓦礫で塞がれている。
『ーーっ!』
刹那、パン、と破裂音。
ゴルディの背後にいた使者や兵たちが、次々に倒れていく。
『う、ウィル……』
『……はい』
『これが貴方の思う、未来の兵器なのですか?』
頷かれる。
ゴルディは歯を食いしばった。そんなの、ありえない。
こんな桁違いの力、人間に扱えるわけがない。
だがソレを見た彼女は、信じざるをえなくなった。
『……さ、サナエ、ですって!!』
脱獄した、魔力無しの男。
こいつが、亜人たち一人一人に、Bランク以上の力を与えたと!?
『久しぶりだな、ゴルディ』
『……ふ、うふふふふ!!』
2か月ぶりの対面だった。
あの時、無様に左手を焼いてやった男が、またわたくしの前に……!
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