「さ、早苗さま……早苗さま……」
なんだろう。ララの声が聞こえ、重たい瞼を開けた。
体調は……今は大丈夫だ。
大きな川音が聞こえる。
「ああぁああ――! もうダメ!!」
「……ララ?」
起き上がろうとするが。
ズガンと激しい音がして、川に放り出された。
砕けたイカダは、そのまま……
衝突した石造の橋の下を、流れていった。
「ありがとう、ララ……重い荷物、濡れないようにずっと持ってくれて……」
「……ううん。全然大丈夫だヨ!」
「ララのお陰で、中身は全部無事だ。本当に助かった」
「……え! えへへ……わたし、役に立ててうれしイ……」
早苗たちは焚火で服を乾かしていた。
今はまだ、肺炭疽の症状――咳も熱もない。
「……早苗さま。でも、位置が分からなイ」
「川に沿って歩けばいいと思うけど……」
だが周囲は、深い森。
隙間なく木が生えていて、ファンタジーでいえば迷いの森か。
位置を調べる道具がいる。
「……試すか。最近、こんなことばっかり」
早苗がふくろから鉄くずーー針を取り出す。
そのまま嫌そうな顔で、泥だらけの川に入った。
右手で何やら石を拾って……
「さ、早苗さま?」
拾った石を、針に当てては捨てる。それを何度も繰り返す……
10回目ぐらいだろうか、石の一つに針がくっついた。
「あった。磁鉄鉱だ」
髪の毛を一本抜き、磁鉄鉱に擦り付けた針を縛った。
そして中身をくり抜いた果実の中に固定する。
「はい、磁気コンパス。あ、動いた……」
早苗は静かに考えた。
つまり、エアルドネルも、地磁気が南北に分かれている。
ということは、この世界はいよいよ……
「えっ? あの、じき、こン……」
「磁気コンパスは19世紀――この世界なら1200年後ぐらいに誕生する、地磁気を利用した、方位を示す計器」
「え…… そ、そんなものを、この一瞬で生み出しタ?」
「今午前中だよね。影から位置を当てる方法からも、こっちが北だ。着替えた後、行こう」
ララは両腕の鳥肌をさすった。
彼はまるで何でも知っている、神のように感じる。
ふと――ララのケモミミがピクピクする。
「早苗さま。兵士の叫びと、鉄の音……王国軍……」
「え? 僕らを追って――」
「ううん。たぶん帝国軍もいる。戦ってル……?」
そう言われ、早苗は無表情のまま提案した。
「歩いたら、港街までどれぐらい?」
「……たぶん、7日」
「じゃあ戦場に行こう」
「……エ」
何故だろう、と思いながらも、ララは耳を澄ませる。
「兵士たちの声は、こっチ!」
ララが、大量の荷物を持っているのに、アスリートのようなスピードで駆け出す。
早苗は、ついていくだけで必死だった。
◇
その頃、数キロメートル先。
初陣を飾るマックスは、頭痛と戦っていた。
『SHIT! くっそぉ……』
相手の軍隊を見たマックスは、動揺を隠しきれない。
敵は5000人ほど。マックスが率いる王国軍は7500人ほどなので、数で勝っている。だが装備の質と士気には、天と地の差があった。
『ファック! 帝国の装備、プレートメイルで統一されている』
そして自国の兵士たちを見る。
『くらべて、王国兵はほぼ全員が農民で、訓練も受けてない。装備は農具で、鎧すらない奴らも多い』
はぁ、と深いため息。隣の騎士長を見る。
『HEY、ウィル。オレはどうすればいい?』
『大丈夫だ。陛下の作戦通りにしろ』
『……ジーザス。そうは言っても』
と――馬の足音。
噂の偉大な王だ。立派な装飾が飾られた、騎馬に乗馬してる。
『勇者マックス。この向こうにグルミオの街がある』
『はい。勝った後、物資を略奪する……ですよね』
気が進まないが、仕方がない。
モラルを守っていては、同胞の兵士たちが飢える。
『覚えておけ。黒騎士サイウィンの足を止めろ。今回はそれだけで勝てる』
『……はい、わかりました。陛下』
一礼すると、マックスは馬に乗る。
そして待機している数千の兵士たちの元へ――
だが、そこでも壁にぶち当たった。
『――SHIT! オマエら、なんだその態度は!』
王国の兵士たちは、あからさまに無視を決め、あまつさえ見下すような態度を取っている。
マックスが貴族じゃないから、だろうか。
ぺっ、と王国兵の1人が唾を吐き捨て、前に立ち上がる。
≪Wilt þu dæl min, caserlic cwead? Cum, feoht me.≫
『……わかんねぇよ、死にたいのか?』
英語しかわからないマックスは、王国語にすらイライラする。
装備は酷い、会話もできない、命令も聞かない。なにを考えてオレに指揮を取らせている。
すると、背後から美しい声が。
『マックス様』
『リン。戻ってくれ』
『彼らが従っていない理由は、マックス様の帝国語です』
『英語が? じゃあ、どうしろって言うんだ』
リンは、前に出て兵士たちに声をかけた。
先ほど唾を吐いたリーダー格の男を、王国語で説得している。
『マックス様。彼の名前はイリック(Yrik)、この部隊のリーダーです。命令を聞いてくれるようです』
『HA……本当かよ』
そうマックスがつぶやくと、開戦の狼煙が上がった。
両国の兵たちが動き出す――
◇
「早苗さま、近い。すぐそコ――」
「はぁ、はぁ……ちょ、ちょっと待って……」
ララが木に囲まれた場所で立ち止まる。
崖から戦場の平地を見渡すと、そこには一方的な殺戮の光景が……
「うわ、これはひどい。王国、ぼろ負けだね……」
めずらしく、多少の同情を込めて言う。
戦場は中盤を迎えている。
そこら中に死体が転がっていて、そのほとんどは王国兵のよう。
望遠鏡で観察する。
「早苗さま、それハ……?」
「昨日ガラスで作った、遠くを見渡せるようになるもの、だけど……」
戦場を見て、戦慄する。
「なんだ……これ。死体が灰になって消えていく……」
「人間は死んだら、死体が消える。マナに還るっテ」
「ゲームみたいだね。亜人は消えないの?」
うん、とララ。ふと早苗は気づいた――
「あれって、マックスじゃ?」
見ると、そのマックスらしき人物は――
ちょうど騎兵の槍をもろに受け、馬から地面に叩き落された。
サイズの合わないヘルメットが、地面に転がる。
「……マックスだ、間違いない。このままだと死ぬ」
「どうする気なの、早苗さま……」
「確実に助けられるなら、行くけど……」
この状態で何ができる……
再び望遠鏡を覗く。
マックスの右手が電流を帯び、周囲の帝国兵たちを一掃していた。
「……あれがAランクの魔法」
その後マックスは剣を振るうが、まったく太刀筋がなってない。
敵わないと悟った彼は、近隣の森へ逃げた。
「たぶん、訓練も受けてないね。他の王国軍も、農民ばかり」
早苗には確信があった。
このままだとマックスは、死ぬ。
「どうせ、戦場に行く必要あるんだ……」
そう言って、早苗は動き出した。
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