ゴツン、と揺れる馬車の中。
早苗は鐘の音と、ララの声で目を覚ました。
「さ、早苗さま。王国の首都エフレについたヨ……」
「ああ。そうか……」
「サナエサン、うなされてましたね」
悪夢を見ていた早苗が、目を開く。
まず気づいたのは、すさまじい悪臭だ。
吐き気に襲われて、何事かと、馬車の窓を開けてみる。
「……ここは」
石造の戸建てが、視界一杯に……
露店が道に沿うように並んでいて、塔の鐘が鳴っている。
だが、道路には……
「……そこら中の、茶色の水たまりってもしかして」
言われなくてもわかった。糞尿だ。臭いでわかる。
住民が木の板の窓を開けて、ドバドバと茶色い液体を捨てていた。
ネズミやハエがたかっている。
「……下水がないのか。うぐっ!」
「キョーレツですよね。ワタシは最初気絶しました」
「信じられない悪臭だ。鼻が完全にばかになる……」
だがララは平気そう。
現代人は、中世の排泄物や、腐敗したゴミの臭いに耐えられない。
カーミットが早苗に笑いかける。
「ホラ、あの川。糞尿だらけなのに、料理人がその川の水を汲んでます」
「……わかったから」
「コノ世界じゃ、貴族ですら年に2回しかお風呂に入りません。平民は一生風呂に入らない場合も! 誰もがひどい悪臭を」
「……もういい」
「アア! 雨が降ったら凄いですよ! 街中のゴミと汚物が浮かんで――」
「いいんだ、カーミット……!」
寝る前の不吉なセリフはこれか。
大げさではなく、嗅覚を失った方がマシなほど臭い。
気絶するのを堪えながら、窓を閉めた。
しばらくして、馬車が城の入り口につく。
「ミナサン、城につきましたよ!」
全員が馬車から降りる。
このあたりも汚物の臭いが。
早苗はスタスタと歩く心菜を、静かに見ていた。
「なにか?」
「いや……」
感情を抑えて、周囲を見ると……
門の入り口付近で、石打ちの刑を受けている中年男性が。
市民たちに石や糞を投げられている。
首と手をさらし台に固定された男は、瀕死の状態だ。
「史実通りなんだろうが、未開だな……」
そうして城の方角を見るが、その向こうの空には……
「あ、れ――――」
右目から、自然と涙がこぼれた。
「サナエサン、世界樹に感動したんです? 感情あるじゃないですか」
「……世界樹?」
カーミットが歩いて、教会の向こうを指差す。
地平線の向こうに、全長3000メートルを軽く超えるであろう、巨大な木が。
「……なんて」
神秘的な……いや、禍々しい。この世の物とは思えない。
(……異世界、なんだな。本当に)
はじめて、受け入れられた気がした。
と、心菜の小声――
「アンタが失敗したら、私はあの木を燃やさないといけない」
「……心菜?」
見るが、彼女にそっぽを向かれる。
(……なんなんだ? いや、まずは自分の心配か)
聖痕がないのだ。
今日、処刑される可能性がある。
考えながら歩くと、城の門がゆっくりと開いた。
「ア、チナミに、紹介したい人が――」
瞬間、白いドレスの女が、ダッシュで近づく。
『カーミット! ずっと待っていたよ☆』
そしてカーミットに激しくハグをした。
イタリア系アクセントの英語。18歳ぐらいの女である。
『グルしい……ミナサン、彼女はノエミ。同じ転生者です』
『うわぁ、超イケメンじゃん♪』
ノエミと呼ばれた少女は、早苗に握手を求め近寄る。
『ちゃお! アタシはノエミ・リアーリ。ローマ出身よ♪』
早苗は、だが握手を返さない。
ノエミはシルクのドレスの裾を揺らしながら、構わず距離を詰める。
『うわー、凄いハンサム。うっとりしそう。でも前髪長すぎない? ねぇ、どこ出身☆?』
『日本だよ。僕は早苗』
『よろしくね、サナエ。ねぇ、ガールフレンドはいるの?』
心菜を見るが、彼女はワザと視線をそらした。
『アア、ノエミ。サナエサンは前世でノーベル賞受賞してますよ』
『エエエ!? ウソ! カーミットと同じく凄いじゃん!!』
話が読めない。とにかく抱きついてくるノエミをかわす。
ノエミはそのまま、隣のマックスの方へ歩いていった。
『ちゃお、身長高いわね!☆』
『OH! イタリア人か! ピザ大好きだぜ。こう、パイナップルとベーコンを……』
『あ、それはアメリカの偽ピザ☆』
『OH……』
ノエミは本物のピザに関して熱く語った。
最後に彼女は、心菜とララに挨拶したあと、2階に向かう階段を上がる。
『アっ、ノエミ。今日はフィースト(宴会)です?』
『ええ。陛下はいないけど、ゴルディ殿下がいるわ♪』
早苗は何も言わず、彼女たちについていった。
◇
『ここが、サナエの部屋だよ♪』
ノエミがドアを開ける。
その瞬間、ネズミが壁の隙間に逃げていった。
『別の部屋を頼む。ネズミ由来の感染症が心配だ』
『アハハ☆ でも王族の私室以外は、どの部屋もこんな感じだよ』
『……この部屋に来る間も、病気の使用人がかなりいた』
使用人たちの手は、寒さで紫色になっていた。
唇は乾いていて、一部の人の頬は血で汚れている。壊血病のように見えた。
そもそも石造の城は、気温が低すぎる。
『靴越しでも、床が氷のようだ……』
『中世の城って、全然素敵じゃないよね。私も最初ガッカリした☆』
『薪を焚きたいんだが……』
『いいけど、部屋が煙だらけになるよ☆?』
『……なんてこった』
早苗は思い出した。
中世初期には、まだ煙突はなかった。エアルドネルも同じか。
『煙だらけになるか、凍えるかの二択か……』
『イケメンだから、サービスしちゃうね☆』
ノエミは窓を、蝋を塗った亜麻布を縛って塞いだ。
窓ガラスの代わりなのだろう。
と、彼女が接近してくる。
『ねぇ、聞いたよ。アナタが治した病気。そんなセクシーな顔して、前世じゃ世界一の学者じゃない……』
ノエミが白い左足で、ゆっくりとドアを閉める。
そして彼女は、コタルディ(上着)を脱ぐと、薄いドレス一枚になった。
胸元は大きく開き、唇はろうそくの光で赤く照らされている。
『ねぇ。暖かくなる方法、知ってる?』
『……何が言いたい?』
『裸で抱きしめあうと、暖かくなるんだよ……』
ノエミが手を取り、胸に当てる。
『Voglio fare l'amore con te adesso.』
(ねぇ、しちゃおっか)
そのまま彼女が、服を脱がそうと手を伸ばした……
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