奴隷のような、ボロチュニック一枚のカーミット。
そんな彼女が、シルクのドレスを着たノエミの後ろをついていく。
10人はいるだろう、兵士たちに守られながら。
『ノエミ。ありがとう。もしノエミがいなかったら……』
『そんなこと、考えなくていいんだよ、カーミット☆』
親友のノエミに助けられ、また再会できた。
溢れそうになる涙を抑え、カーミットはノエミに抱きつく。
『うわあああん! ノエミぃ……!!』
『よしよし……』
頭を撫でられ、暫く立ち止まり、時間が経つ。
再び歩く頃には、カーミットは兵士のセリフを思い出していた。
『……ノエミ。兵たちはアナタを、公爵夫人って』
『うん。わたし結婚したの。ゴルディ様の命令で』
『エ!? そうでしたか……』
『男子を産まないと、鞭打ちの刑か死刑だって』
『ソ、ソンナ……!』
たしかに中世では、結婚はただの交渉材料だ。
自由恋愛なんて存在しない。どんなに好きな相手がいても、諦めないといけない時代だ。
だとしても……
『ワタシたち現代人にとって、好きじゃない相手との結婚は、キツいのでは……』
『しー』
ノエミは無理のある笑顔で、人差し指を口に当てた。
『近代英語、わかる人いるかもしれないでしょ?』
カーミットは歯を食いしばった。
彼女は汚い中世人に犯された。体もプライドも。
でもノエミも、好きでもない中世人に、人生を奪われたんだ……
(ドウシテ、ワタシたちがこんな目に……)
静かにただ歩く。石造の街道が続いていた。
次第に周囲は、石を運ぶ獣人の奴隷たちだらけになる。
『エ? 獣人の……奴隷?』
『思い出すよね、あの日本人の隣の女の子』
『え、いや……王国は、獣人を殺せって命じているのでは?』
『殺す前に奴隷にしてるんだって』
ノエミはいやそうな顔を、笑顔で誤魔化している。
『ネルソン様は利益至上主義だから』
(あの悪趣味な建築物を、奴隷らに作らせてる……?)
しかもわざわざ、遥かに格上の宗主国の命令を、半分無視してまで?
公国と王国の関係性が、余計にわからない。
『ここがネルソン様の屋敷だよ』
ノエミが門の前に立っている間、わきで待機するカーミット。
次第に門が開く。更に歩くと、大きな屋敷が見えてきた。
ノエミが使用人に何かを命じる。
『カーミット、水浴びしておいで。ずっと入れなかったんでしょ?』
『エ? いくら公爵家でも、この誰もが汚い世界に、お風呂があるだなんて……』
『わたしがお願いしたら、次の日には入れてくれたの。ハンガリー式の風呂がいいなーって☆』
『エ。公爵って、いい人……?』
うふふ、とノエミが笑うと、カーミットは使用人に案内され、広い浴室に入った。
服を脱ぐ。使用人が、カーミットの体に水を体にかけたが……
瞬間、鞭で打たれた背中が、死ぬほど痛んだ。
『っ!!』
カーミットはただ、歯を食いしばりながら、それに耐えていた。
もう、二度と水浴びなんてできないと思った。感謝しないと。なのに……
『――っ!!』
どうしても、頭から離れない。
彼女を犯した男たちの顔と、それを命じた元凶のゴルディの顔が。
きっと、全員を殺すその日まで、この負の感情は消えない。
◇
リネンの布で体を乾かしてもらう。
さらに、メイドに櫛を通してもらった。
(……何か月ぶりでしょう)
ちゃんとしたドレスを着せて貰えるなんて。
(……まぁ、ドレスは、現代の物に比べると繊維も太く荒いですが)
でも、この世界ではきっと、トップレベルの服なのだろう。
と、ドアがノック無しで開く。
『ほう、この女がそうなのか』
『はい、ネルソン様☆』
小太りの髭おやじだった。
男はにやにやしながら、カーミットを値踏みしていた。
カーミットはスカートをつまみ、一礼する。
『……ハジめまして、ネルソン様』
相手は、この国で一番偉い人間……
いや、そもそもこの新興国の名前になった人物だ。
『その年で公国の主になった、偉大な方だと、その名は――』
『そういうゴマすりは要らんよ』
指差し指と親指で顎髭をいじりながら、男は不快に言った。
『君には死んでもらうんだ。カーミット』
『……っ!?』
カーミットは一歩下がる。
火あぶり? 首吊り? 石打ち?
『ノ、ノエミ……!?』
いや、ノエミは助けてくれない……?
当然か。中世の女性には、後世に名を残す権利すら与えられていない。
ただの子供を産むための道具。
公爵夫人だってそうだ。ただ後継者の男子を産むだけの機械で――
『もう、ネルソン様ったら☆』
『ハハッ! 冗談が過ぎたな』
『……!』
カーミットがゆっくりと警戒を解く。
すぐに、ネルソンは真面目な顔に戻った。
『だが事実だよ、王国から処刑の命令が出ている』
『……ソンナ! でもこの公国は、独立国だから』
『はっ! 独立国だ?』
くだらない、と椅子に腰を下ろすネルソン。
『ただの王国の属国だよ』
『……ドウいうことです? てっきり王国との関係は悪いと』
『もともとは公国は、経済活動が活発な、商人や職人組合の自治都市だった』
ネルソンがゴブレットを持つと、ノエミがワインを注ぐ。
『王国が、俺たち商人を支配するよう、立派な鎖をつけただけだ』
『ソレは……』
『トップの俺ですら、持っているのは徴税権だけ。裁判権や、千人以上の軍隊を持つことすら許されない』
『…………』
『妻の頼みでも、お前を裁判にかけることすら、できないのだよ。ゴルディが君を殺せと言ったら、従うしかない』
カーミットは絶句した。
ノエミと公爵の後ろ盾があっても、もう拷問されない程度の話だ……
結局、ワタシは殺される。これも運命……
(……アハハ。コレも、神の試練?)
いや、違う。これはあの女、ゴルディが仕込んだことだ。
神の試練じゃない。
(……この未開の地に、ワタシを救う神はいない)
テルアビブの女子高生だったカーミットは、世俗的(ヒロニーム)でそこまで信仰心がない。
エルサレムの髭を伸ばした正統派(ハレーディー)のように、理不尽な試練を受け入れられない。
『……ネルソン様。どうして公国は、王国に頭が上がらないのでしょう?』
『そいつはマナ教のせいだな、カーミット』
『……!』
カーミットが、顔を上げた。
『マナ教は血統主義。つまり王家を崇めるためのものなんだ。農民や俺たち商人は迷える羊だから、ゴルディやオズソン王に従え、と教えられている』
『ツマリ、独立したくても、信者たちが反対する……?』
そこで椅子に腰を下ろしたノエミが、ニコニコする。
『そうよ、カーミット☆ わたしもあの後、部屋で勉強してたの』
ノエミが、マナ教の正典を渡してくる。
近代英語で書かれていた。
『ハジめて見ました。司祭のトップや、貴族しか持ってないマナ教の正典……』
カーミットは読み始めるが、まとめるとマナ教の内容はこうだった。
・『神』とは『世界樹』のこと。
・『魔法』は神が人々に与えた恩恵。
・『聖痕』は神と人々を繋げるもの。
・『王家』は神の代理人。故に……
・『人々』は王家に導かれるべき。
『……ナルホド』
『これを、半数以上の農民たちが信じてるの☆』
『ひっでぇもんだろ?』
唾を吐いて、ネルソンはつづける。
『独立なんてしたら、暴徒に内部から壊されちまう』
『ハイ。宗教的権威は絶対ですからね』
そうして、カーミットはゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、光を宿していない。
悪魔に乗っ取られたように、引きつった笑いを見せる。
『……でもワタシなら、この宗教、ぶっ壊せますよ』
『は? 何言ってるんだ。そんなことできるわけ――』
『ううん、ネルソン様。カーミットは本当のこと言ってるよ☆』
公爵の方に手を乗せ、膝をつくノエミ。
『カーミットは前世で、ノーベル平和賞を取ってるの』
『なんだそりゃ?』
『もっとも優れた人間に与えられる、最高級の権威なの』
カーミットは静かに頷いた。
取ったのは早苗が死んだ1年後で、彼はワタシを知らないが。
『具体的には、前世の世界で最も、解決が難しい問題(パレスチナ)の一つを、非暴力で解決しちゃった人なの☆』
『ハイ。ワタシが言いたいのは――』
カーミットは、再び悪魔の様な表情を見せた。
『ワタシなら、停戦も、開戦も引き起こせます』
『……ほう』
『ただし公爵。アナタの協力が必要です』
そしてカーミットは、ネルソン公爵に計画を話す。
ついにこの時が来た。彼女の能力を、遺憾なく発揮させる時が――
それを聞いたネルソンは、思わず吹き出した。
『ふはっ! ハハハ!! マナ教が言う悪魔って、お前のことだな、カーミット! お前は魔女だよ! 間違いねぇ!』
『……公爵、どうです? やりませんか? ワタシたちは永遠の権力を得る』
再び髭をいじっていたネルソンは、ニヤっと笑った。
『ノエミ、面白れぇな、コイツ』
『気に入ってもらえてよかったです☆』
『いいぜ、カーミット。やろう』
だが、と人差し指を立てるネルソン。
『ただし条件がある』
『ナンですか?』
『農民たちがマナ教を信じている理由は、世界樹の存在だ。まよえる子羊たちは、奇跡にすがる』
『……ハイ』
それは、地球の歴史でも一緒だった。
『つまり、お前も奇跡を起こしてみろ。それが条件だ』
そしてカーミットは、あることを命じられた。
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