あれから3日。
早苗が予想した、症状が出る日が来た。
重症化――抗菌薬投与のタイムリミットまであと2日。
「早苗さま……?」
馬を2人乗りしている。
そして、ララの後ろで早苗は咳き込んだ。
落ちるのが心配で、縄でララに固定されている。
「……ごほっ、ごほっ」
乾いた咳と、インフルエンザに近い症状。
間違いない。致死率90%を超える、肺炭疽の初期症状だ。
「さ、早苗さま。明日にはつくからっ! もう少しだケ!」
「うん……」
頷いた早苗は、だが胸に強い違和感を感じる。
「……まずいな。予想通りだ」
「エ!」
「たぶん2日後に高熱が出て、呼吸困難になる。重症化したら、その36時間後に僕は死ぬ」
「……い、いやだっ! いやダ!! どうすれば――」
ララの体が、病気の早苗以上に震えだした。
「き、昨日は宿で、わたしが買い物してる間も、元気だっタ……」
「そんなものだよ。明日、帝国についたら、最後の1日で注射器とペニシリンを完成させる……それが助かる唯一の道……」
「――うん! 絶対に死なせないっ! 絶対に……ッ!」
◇
次の日。
抗菌薬投与のタイムリミットまであと1日。
早苗とララはようやく、貿易街イスロール――帝国で唯一、出入りしやすい街についた。
「すぐにペニシリンを作る。カビの培養液をろ過して……」
ブツブツ言う早苗。もう分離機を作る時間はない。
彼は馬と戦利品を売って、漏斗を買い、宿に向かう。
すぐに作業に取り掛かった。
「……まずは固体培地を液体に戻し、濾過する』
そしてエーテルを加えて混ぜ、ペニシリンをうつす。
次にマックスの電気で、塩水から作った水酸化ナトリウムを混ぜる。
すると、ペニシリンが白い粉末になる。
そんな感じに、ペニシリンの精製をはじめた。
「……よし、1個終わった。どの培地に効果があるかわからない。あと4個、ララ、お願いできる?」
「うん、覚えた! わたしが作ル…!」
「今日一日、薬剤感受性テストをして、明日結果を見て、注射する」
「大丈夫。早苗さまはきっと助かル!」
「……ありがとう」
君がいてよかった、と言うと、ふと気になった。
これが最後かもしれないからか――
「君が僕に尽くす理由はなに? 故郷を救いたいから、とか?」
「……え、違ウ」
ララは口ごもり、次第に下を向いた。
「……い、言えない。わたしと早苗さまじゃ、立場が違い過ぎるかラ」
「どういう? 気になるけど……」
早苗はそのまま、ドアに向かう。
「……僕は宝石細工店に行く。この世界には存在しない、注射器と点滴器を作ってもらう」
銀の細工ができる職人なら、作れるはずだった。
「わたしも一緒に行ク……」
「いや、ここでペニシリンをお願い。帰ったら、君の故郷の話をして」
じゃあ、と言って出ていく。
ララは嫌な予感がしていた。でも、作業を続けた。
◇
夜になった。あれから何時間が……まだ早苗は戻ってこない。
考えたくないが、まさか……
「どこかで倒れたんジャ……」
考えただけで泣きそうになる。
たまらず立ち上がり、宿から出ようとドアに手を伸ばすと――
「――あ、早苗さま!」
「ただいま……お湯をすぐ、沸かして……」
顔色が悪い。明らかに、無理をした顔で平静を装っている。
早苗はガラス製品と、ポーチをテーブルに置いていた。
「……お湯できた。それハ?」
「注射器と点滴器具。ガラスと銀の。水車で重曹も作れた。あと今は、生理食塩液を作ってる」
中世の塩には不純物が混じっているので、再結晶化して純度を上げた。
やり方は、飽和食塩水をゆっくりと蒸発させる。
とにかく――
「明日、重症化する。その時、この生理食塩液を点滴してほしい。僕の血圧が下がり過ぎて、ショック死しないように」
泣きそうな顔で、見たこともない装置をララは見る。
「わ、かっタ……」
「やり方は紙に書いた。あと、ララ」
早苗はふらつきながら、ベッドに座った。
「聞かせて。君の故郷の話」
「え、うン……」
ララは正直、話したくなかった。
話した後、彼がどこかに消えてしまう気がしたから。
それでも話す。
島の思い出、土地勘、問題点まで……
「なるほど」
早苗が何やら、買ってきた紙にメモをしている。
そして次に、ララの過去を聞いてきた。
「つまりララは、世界を見たいから、反対を押し切って島を出た……」
「うん。もっと世界を知りたかった。でも島では「女は子を産む以外のことはするな」って」
「近代化する前は、どこも男尊女卑だしね。あの聖書にすら、女性は権力を持つべきじゃないと書いてあるし」
なんとなく理解したのか、ララが頷く。
「わたしが生まれた時、もうお父さんが決めた結婚相手がいた。すごくイヤで、ずっと振り続けタ」
「どうして?」
「獣人の男は力だけで、何も考えてない。わたし、知的な男性が好キ……」
「君は頭がいいもんね」
「……ううん。そんなことないって、最近しっタ…」
ララがこちらを見て、泣きそうな顔をしている。
「君は賢いよ。僕の世界を基準にしても」
「わたし、早苗さまの世界に行きたイ……」
「もし行けたら、いろいろ連れて行くよ」
でも、と早苗は聞く。
「世界を知りたいから、行きたいの?」
「違う。好きな人が生まれた世界のこと、知りたいかラ……」
「……そうか」
「わたし、誰かを好きになったの、はじめてなノ」
「……ララ」
今日のララは、大胆だと感じた。
普段は言わないことを、そのまま話してくれる。
「わたしは賢くない。本当に頭が良くて、実は優しくて、男なのに綺麗で……私はそんな人を、助けることもできない……」
「そんなないよ」
ララが唐突に立ち上がって、ゆっくり歩き、抱きしめてくる。
右手で受け止めると、彼女は上目づかいでこちらを見た。
「……わ、わたし……早苗さまのことガ……」
「ダメだよ」
言って、早苗はララの唇を人差し指で押さえた。
「僕が死んだら、よけいに悲しいでしょ?」
「……さ、早苗さまは、死ななイ!」
「僕だって死ぬ気はない。やれることは全部やった。でも僕は超人じゃない。体も弱い……」
「だ、大丈夫、だから。早苗さまは大丈夫だヨ……」
「ありがとう。生きたいよ」
そう言って早苗は、意識が途切れそうになる。
「そろそろ寝るよ。ララも眠いでしょ?」
「ううん、大丈夫」
「そっか。じゃあちょっと、寝るよ……」
瞼が重くなった。
やれることはやった。そう思いながら、意識が途絶えていく。
◇
次の日になる。
抗菌薬投与のタイムリミット当日。
今日、ペニシリンを打たないと、彼は死ぬ……
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