四人が泊まることになった宿は、トイレ付き、風呂無し、ベッドが四つとチェストがあるだけの簡素な造りの部屋だった。
本当はもうワンランクどころかツーランク上の部屋に泊まる予定だったが、既に部屋が埋まっていたようだ。
それでも、防犯上の問題はないし、食事の内容は部屋で食べるか食堂で食べるか以外、変わらないそうなので、四人は特に不満の声を出さずに部屋に入った。
そして、全員がベッドに一度横になる。
「……硬い……私たち、本当に異世界に来ちゃったんだね」
鈴がそう言って呟く。
一息ついたところで、不安が一気にこみ上げてきた。
「暫くは大丈夫だと思いますが私たち、この後うまくやっていけるのでしょうか」
「大丈夫っすよ」
千秋は楽天的にそう言った。
そのことで、鈴はいろいろと気になっていたことを尋ねる。
「千秋ちゃん、異世界召喚? ってアニメじゃテンプレ? って言ってたけど、私、詳しく知らないの。異世界召喚ってどういうアニメなの?」
「異世界に私たちのような少年少女が転移したり転生したりするアニメっすね。アニメだけじゃなく、ラノベや漫画でもよく見かけるっすが知らないっすか?」
「うん、具体的にどういう内容か教えてほしいの。たぶんだけど、これも似たような感じなんだよね?」
「私も教えてほしいです」
「ヤヨ先生に教えるなんて、光栄っすね。スミスミは異世界転移について知ってるっすか?」
「……私も知らない。あとスミスミ言うな」
蓮水が文句を言った。
「じゃあ僭越ながら教えるっす」
異世界召喚の物語とは、地球の人間が異世界に召喚される物語であるらしい。
日本ではブームになっていたこともあり、その世界観のほとんどは中世ヨーロッパ風とのこと。
「なんで中世ヨーロッパ風なんですか??」
「まぁ、ファンタジー小説が基本っすから。それに、ゲームの影響も強いと思うっす」
「あぁ、そういえば悟がしているゲームってそんな感じだったなぁ」
鈴は思い出すように言った。
「みんなはあまりゲームをしないんっすか?」
「私はスマホで、なめこを育てるゲームをしているよ」
「父の古いパソコンで、ソリティアとマインスイーパーを遊んだことがあります。子供の頃は学習ゲームとか買ってもらいました」
「……どうぶつの森」
「どうぶつの森は少し惜しいきがするっすが、でもファンタジー世界の基本はわからないっすね……まぁ、おいおい説明していくっすが」
「あの、千秋さん。その異世界召喚された主人公たちは、日本に戻ることができたのでしょうか?」
「最終巻では日本に戻るか異世界で暮らすかの選択に迫られるみたいな雰囲気っすね」
「どうやって戻ったんですか?」
「それはいろいろっすが、神の力を借りたり、神にも等しい力を手にしたりってのが多いっすが、とりあえず召喚魔法を研究している人に当たってみるのがいいんじゃないっすか?」
千秋はあっけらかんとした口調で言った。
そんな千秋の態度に、少しだけ緊張感がほぐれ鈴とヤヨは笑みをこぼした。
そんな中、蓮水が通学鞄からあるものを取り出した。
「それって、梅干しっすか?」
「……干し梅」
蓮水が頷いて、干し梅が入っている袋から一粒梅を摘んで食べた。
そして、その袋を三人に差し出す。
「食べていいの?」
鈴の問いに蓮水が頷くと、三人は袋から一粒ずつ干し梅を取って食べた。
酸味の効いた食べなれた味に、三人は少しだけ感動した。
「美味しいですね。海外旅行に行ったときにお味噌汁を飲むとほっとするって言いますけど、それと同じ感覚ですね」
「カップうどんとかも人気みたいだよ。そういえば、千秋ちゃんはフランスからの帰国子女だけど、梅干しとか食べるの?」
「勿論っす。フランスでも日本食を食べる割合は多かったっすからね。納豆もいける口っすよ。あ、うちはポッキーとチョコボールを持ってるっす」
「私はのど飴なら持っています」
「私はうまい棒! みんなで食べよ!」
鈴は鞄の中からいろいろな味のうまい棒を取り出した。
三十本くらい入っている。
ポッキーとうまい棒は校則違反なのだが、それに対して注意する者はいなかった。実は生徒の九割が何らかのお菓子を学校に持ってきていて、先生はそれを黙認している。
授業中に食べるのは禁止だが、勉強に集中するのに糖分が必要であるためだ。
ちなみに、生徒会が長年にわたり、お菓子の自由化の校則改正を教師陣に要求しているが、そちらはいまだに受け入れられていない。
「十円だからついついコンビニとかスーパーで買っちゃうんだよね。私のおすすめはこのめんたい味!」
「美味しいですよね。あ、チーズ味を貰っていいですか?」
「うちはたこ焼き味をもらうっす」
「……チキンカレー味は?」
「あれ? ない? 売っていた全種類買ってきたんだけど」
「蓮水さん、チキンカレー味は販売終了したってニュースで見ましたよ」
「……なんとっ!?」
蓮水は結局、とんかつソース味を手に取った。
夕食までの間、四人はお菓子と水筒のお茶で平穏な時間を過ごした。
そして――
「ちょっとトイレ」
鈴はそう言って立ち上がると、部屋の入口にあったトイレに向かった。
鍵がかかる音がした、すぐ後だった。
「キャァァァァァっ!」
悲鳴とともに、扉が蹴破られ、鈴が飛び出してきた。
「どうしたんっすか、鈴っち」
「と、トイレの中に、なにかが動いているっ! 変なものが――」
鈴はそう言って、今度は四人でトイレに向かった。
水洗トイレではなく、トイレの底が見える。
深さ二メートルくらいある、その奥にうごめくものがあった。
茶色い泥の塊のようなものが穴の底を這いまわっている。
「うげっ、たぶん、あれスライムっす」
「スライムって、洗剤糊とホウ砂で作るスライムですか?」
「いや、魔物のスライムっすね。粘体の魔物……多分あのスライムが排泄物を分解しているんっすよ……リアルのスライムってあんなに気持ち悪いんっすね。うげうげっす」
「……ちょっと可愛いかも」
「「「え?」」」
蓮水の意外な発言もあって直ぐに気付かなかったが、部屋の中には、鈴によって蹴破られた扉が放置されていた。
「鈴っち、バカ力っすね」
「そんな、無我夢中で、鍵をかけたの忘れて開かなくて混乱して蹴とばしたらこうなっただけよ。ほら、蝶番のところとか錆びてるし……やっぱりマズイかな?」
「マズイっすね。まぁ、マーリンさんに弁償してもらうっすよ。宿代の一部として」
こうして、マーリンの負担が、彼の預かり知らぬところで増えていくのだった。
「夕食美味しかった。お米もあったし。えっと、リージ・エビーチだっけ?」
「リーズィ・エ・ビーズィって言っていましたよ。生ハムとグリーンピースのリゾットです。異世界だから虫とか出てくるんじゃないかって不安だったんですけど、普通の料理でしたね」
日本人である彼女たちにとって、お米の存在は大きかった。
もっとも、日本のお米とは硬さも味も異なるが。
そして、蓮水と千秋は部屋の外のバルコニーにいた。
「なんっすか、スミスミ。もしかして愛の告白っすか? ダメっす、自分にはルルーシュ様という心に決めた人がいるっす」
「……スミスミ言うな。恋人いたの?」
「あれ? ルルーシュ様を知らないっすか? コードギアスの」
「……知らない」
「なるほど、ジェネレーションギャップっすね。上段はさておき、どうしたっすか?」
「……お礼を言いたかった」
「お礼? あぁ、ポッキーっすか? まだもう一袋あるから明日食べようっす」
「……そうじゃなくて、無理して明るく振舞ってくれて」
蓮水はそう言うと、千秋は納得したように息を漏らした。
「気付いてたっすか?」
千秋の問いに、蓮水は無言で頷く。
「全部嘘ってわけじゃないっすよ? そりゃ、オタクたるもの、異世界転移を夢見て、悪役令嬢に転生したときの対処法を考え、婚約破棄されたあとはざまぁしないといけないという使命感に駆られるものっすから……でも、意外と本当に異世界召喚されてみると不安もあるっすね――事実は小説よりも普通っすよ」
「……異世界召喚される普通を私はしらない」
「あはは、スミスミの言う通りっすね。こんなことなら、もっと本気で内政チートできるだけの技術を学んでおけばよかったって思うっすよ」
千秋はそう言ってバルコニーから星に手を伸ばす。
「フランスでも日本でも、星座は同じなんっすよ。でも、ここは知らない星だらけっすね」
「……でも、綺麗」
「そうっすね……本当に綺麗っす」
二人はそれぞれ違う星に手を伸ばす。
伸ばせば掴み取れそうな星空に向かって。
「うちのこと心配くれてありがとうっすよ」
「……うん、明日ポッキー二本宜しく。代わりに都昆布一枚あげるから」
「スミスミは渋いっすね」
「……スミスミ言うな」
あははと、これからもスミスミと言い続けようと心に決めた千秋は振り返り、壊れた扉を見る。
鍵の部分の金属が曲がっていた。
普通の女子高生が、火事場の馬鹿力で壊せるようなものではないことは千秋も確認している。
「ちょっとだけ希望も湧いてきたっすね」
こうして、四人にとって初めての異世界の夜が過ぎて言った。
「あ、チョコボール、金のエンジェルが出たっす!」
「「「えぇぇぇぇぇぇぇっ!?」」」
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