「床が抜けた? 本当は鈴っちが力に覚醒して倒したんじゃないっすか?」
冒険者ギルドの預金口座の新規登録と為替の換金を終えた千秋は、鈴たちから自分がいない間に起こった出来事を聞くなり、そう質問した。
ちなみに、気絶した男は、冒険者ギルド内の治療室に運ばれたあと、床の修理費を弁償させられている。周囲の冒険者の証言から、男が暴れたことが原因なのは明らかだったからだ。
「そんなはずないじゃん。だって、プロレスラーみたいに大きい人だったんだよ」
力の覚醒とかアニメじゃないんだから。そう言う鈴の話を聞き流し、千秋はガッカリと肩を落とした。
「あぁ、うちもお約束のテンプレ展開見たかったっす」
「……お約束なんだ」
蓮水が呟いた。
冒険者の通過儀礼みたいなものなのだろうかと考える。
「そうっすよ。冒険者ギルドに登録しに行くと、絡まれるのはお約束なんっすよ……はぁ、失敗したっす」
「こっちは本当に怖かったんですからね」
「冗談っすよ。三人が無事でよかったっす」
千秋がそう言ったところで、マーリンが戻ってきた。
「昨日に引き続き、また問題を起こしたようだな。異世界人はどうもトラブルメーカーらしい」
トイレのドアを壊したことを言っているのだろう。
「問題を起こしたのは昨日も今日も鈴っちっすけどね」
「もう、千秋ちゃん! どっちもたまたまだよ」
「これも冗談っすよ。それで、マーリンさん、それが冒険者ギルドカードっすか?」
「そうだ。発行手数料は儂が払ったが、再発行手数料の銀貨三枚は支払うつもりはない。無くさないようにするんだぞ」
「「「「はい」」」」
四人は全員、銅色のカードを受け取った。
金属でできているらしいその板には、四人の直筆の名前が写されている。
転写されるのなら、もう少し丁寧に書けばよかったと鈴は思った。
「これで儂の約束は果たしたな。なにかあれば、あと三日程は王国大使館にいるから、そのカードを見せれば中に通すように言っておこう」
「いろいろとお世話になりました」
ヤヨがお礼を言う。
「気にするな。儂も得るところが大きい取引だった。それで、お主たちは食事をしてから宿に帰るのか?」
そう尋ねられてヤヨは他の三人を見ると、彼女たちは頷いた。
先ほどのように知らない男に絡まれるのは嫌だけど、先ほどから周囲の人が食べている肉料理が気になっていたのだ。
「はい、そうしようと思います」
「ここから宿への戻り方はわかるな? 預かっている荷物は其方らの部屋まで運んでおこう」
「「「「ありがとうございます」」」」
四人は声を揃えて礼を言うと、マーリンは「儂も楽しかったよ。ありがとう」とだけ残して店を去った。
いい人だったというのが、四人の共通の感想だった。
そして、四人は食事を食べることにした。
周囲の冒険者たちも声が大きいので、自然と彼女たちの声も大きなものになる(蓮水を除いて)。
「蜂蜜酒! やっぱり異世界って感じっすね。まぁ、発酵前っすけど」
蜂蜜酒は世界最古の酒と言われている。熊などが壊した蜂の巣に溜まった雨水が自然に発酵してできたお酒だ。
水と蜂蜜を混ぜて置いておけば自然に酒になるが、四人が飲んでいるのはそのお酒になる前の蜂蜜水である。
「レモンのような柑橘類の果汁を入れてくれているみたいなので飲みやすく仕上がっていますね」
「……お肉は硬い」
「もしかして蓮水ちゃんって実家お金持ちなの? これって普通の硬さだと思うよ」
鈴はスーパーで売られている特売のアメリカ産牛肉を思い出しながら言った。
「祇園寺さんって、衆議院議員の祇園寺拓海さんの親戚ですか?」
「……祇園寺拓海は父」
「やっぱり! 珍しい名字だし、私たちの住んでいた市の小選挙区から出馬していましたから、そうじゃないかなって思っていたんですよ。じゃあお爺さんは元外務大臣の祇園寺省吾さんなんですね」
ヤヨの問いに、蓮水は特に感情を見せず、無言で頷いた。
ヤヨは感動している様子だが、政治にまったく興味のない鈴と千秋は、目を点にして、小声で、
「知ってるっすか?」
「そういえば名前は聞いたことがあるような……ないような?」
「まだ選挙に行ける年齢じゃないっすからね。ぶっちゃけ、うち、総理大臣の名前すら知らないっすよ」
「それは言い過ぎだよ……私も下の名前は微妙だけど」
と話していた。
そして、蓮水の家系の一部が明らかになったところで、千秋が提案した。
「そうそう、みんなで冒険者ギルドの依頼を受けないっすか? 冒険者で依頼を受けて実績を積むと、ランクが上がって冒険者ギルド所蔵の本を読むことができるそうっすよ。もしかしたら、その本の中に元の世界に戻る手がかりがあるかもしれないっす」
元の世界に戻るための本があるかもしれない。
そんな甘い話はないし、そもそも四人ともまだこの世界の文字を読むことすらできない。だが、現在これといった目標がない以上、千秋の話を無下にすることもできなかった。
「冒険者への依頼って、危ない仕事なんじゃないの?」
「そんなことはないっすよ。冒険者ギルドの依頼って、要するに何でも屋みたいなところもあるっすからね。テンプレだと下水道の掃除かと思ったんっすけど、そういうインフラ設備の掃除は信用できる人にしか回せないから、新人はできないって断られたっす」
「千秋ちゃん……勝手にそんな仕事を受けようとしていたんだ。下水道って、そんなのあるの? 宿はスライム式トイレだったけど」
「スライムが分解したあとに下水に流れる仕組みらしいっすよ? その方が臭いが少しマシになるそうっす」
「そうなんだ」
臭いがマシになるといっても、気持ちのいい物ではない。
下水道掃除できないと言われて鈴たちはほっとした。
「なので、果樹園の収穫の手伝いとかどうっすか?」
「果樹園の収穫?」
「そうっす。この蜂蜜酒(アルコール抜き)にも入っているレモンを収穫する仕事――まぁ、アルバイトみたいなものっす。明日一日、朝から夕方までで一人大銅貨八枚っすね」
「……千秋にしてはまともな仕事を見つけてきた」
「私も、こっちの世界の仕事を知るにはいいと思います。今日の買い物で金貨五枚使っちゃいましたし、お金は稼がないといけませんから」
「じゃあ、受けよっか。金貨五百枚だけじゃ、いつまで生活できるかわからないもんね。宿だって一カ月分はマーリンさんが払ってくれているけど、それ以降は自分たちで払わないといけないし」
「じゃあ決まりっすね!」
四人は受付に行き、果樹園の仕事の依頼を受ける手続きをした。
そして、宿に帰った食後。
四人は早速着替えた。
全員、それぞれ動物をモチーフにした服を着ている。
「まさか、こっちの世界にも動物パジャマがあるなんてね」
ウサギパジャマの鈴が、ウサ耳を引っ張りながら言った。
「狩人が動物の真似をして獲物に気付かれないように着るための服らしいですよ? 失敗作なんで全然売れなかったみたいですけど」
猫パジャマのヤヨは、手の平の肉球を押さえてその感触に少し夢中になっている。
「どこからどう見ても人間っすからね。ひいき目に見ても獣人っす」
羊パジャマの千秋は、アタッチメントらしい角を外して脇に置いてた。
「……でも、可愛いからいい。これはいい服だ」
この動物服をパジャマにしようと言った蓮水はご満悦そうだ。
そして、彼女の服装を見て、彼女以外の三人は同じことを考える。
この町の冒険者は、狩りの獲物としてこの動物を狙うのだろうか?
ぺたぺたと足を鳴らして歩くペンギンパジャマの蓮水は、やはり満足そうだった。
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